私は東京の郊外で、調布市に住んでいる。
世田谷区と狛江市に隣接した場所である。
従って、電話地区は都内となっていて、
不動産の売却依頼のチラシが、
毎日、数社から郵便ポストに入ってくる。
近くに流れる野川沿いに、住宅地に整備されたのは、バブル時期であった。
50坪程度に区画された土地が一億円以上で、売地と表示されていたので、
家内と驚いたりしていた。
私はこの近くで一戸建ての程々の広さの庭で生活して、
多額な住宅ローンを返済していた。
定年前にやっと返済が終ったので、
定年後の今は、土地と家屋に伴う固定資産税と都市計画税を支払っている。
家を建てる時、気負って茶室まで造ったので、
造園にかける資金がなくなり、
雑木を植え込んで対処した。
植え込んだ雑木は、か細い頼りない樹木であったが、3年、7年と過ぎれば、
それなりの樹形になってきた。
こんなふうに28年を過ぎれば、
淘汰した雑木もあり、新たに植え込んだ樹木もある。
こうして季節に応じて、雑木はそれなりの色合いを楽しませてくれる。
数年前、新聞の広告で高層マンションの案内が載っていたのがあった。
『こういうマンション、庭の手入れも必要なく、
住み易そうね・・都内の展望も観えるし・・
港の情景も観えるわ・・都内のホテルも近いし・・』と家内は言った。
『だけど、季節感がないよ・・』と私は言った。
『そうかしら・・』と家内は言った。
『そうした情景は飽きるよ・・
そうした情景に近いホテルに3泊4日で泊まったら、
解ると思うよ・・』と私は言った。
私の定年後の理想は、
旅行先で観かける里山を切り拓いたホテルの付近の分譲住宅であった。
里山の樹木に囲まれた一軒屋に住み、
ときたまホテルのレストランで食事をする。
こうした事を十数年前に家内に話した所、
『利便性がないわ・・買い物も大変よ・・お友達も遠くなるし・・
風邪を退いても、ケガをしても、その上よ、身体を壊しても近くに病院がないわ・・』
と言われ、反対された。
我が家の結論として、このまま今の家に住み、
片方が身体が弱った時、看護用の老人マンションに移る、と話し合った。
それまで我が家の周辺と違った国内旅行先でその地なりの情景を受容し、
思い出を創っていく、こととなった。
それぞれの理想の家は、まぼろしとなった次第です。