goo blog サービス終了のお知らせ 

夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ひとつの旅でも4度ぐらいは享受している、と老ボーイの私は微苦笑を重ねて・・。

2017-01-25 12:15:56 | 旅のあれこれ
私は東京の調布市に住む年金生活の72歳の身であるが、
家内との共通趣味のひとつは国内旅行であり、私たち夫婦は子供に恵まれなかった為か、
若き新婚時代から日本の各地に四季折々に訪ねたりしている。

旅から帰宅すれば、愚図で齢ばかり重ねた私は、何かと慌ただしく過ごすことが多い・・。

もとより旅行は非日常の出来事で、平素の私は年金生活している中、
程ほどにのんびりと過ごしたりしている。

2004年(平成16年)の秋に定年退職後、多々の理由で年金生活を始めた私は、
自主的に平素の買物担当を宣言して、家内から依頼された品を求めて、
殆ど毎日のようにスーパー、専門店に行ったりしている買い物メール老ボーイとなっている。

その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
             

日常の大半は、随筆、ノンフィクション、小説、現代史、総合月刊雑誌などの読書をすることが多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

そして少なくとも家内は料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
せめて家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、茶坊主ぐらいはしている。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、パソコンの故障とか旅行に行っていない限り、
ブログの投稿文を重ねて、早や13年生となっている。

そして時折、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、家内と国内旅行をしたりしている。
             

我が家の両親は、無念ながら家内の母だけとなり、
80歳過ぎた頃から膝(ひざ)を悪化して、まもなく杖(つえ)を突く身となって、『要支援2』となってきた。

こうした中、整形外科、内科、眼科に通院している中、膝(ひざ)と腰に激痛が感じ、
一昨年の5月より少し遠い大学病院で検査、そして入院、退院後の検査が加わりした後、
リハビリで近くの病院に行ったりしている。

そして家内は付き添う為に、家内の母宅で駐在することが多くなってきた。

やがて家内の妹が強力な援軍となり、家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。

そして昨年の5月より、家内の母は市の福祉課が再審査を得て、『要支援2』から『要介護1』と認定されたりした。

こうした関係で、家内は家内の妹とお互いに日程を調節して、家内が担当した期間には家内の母宅で孤軍奮闘し、
私は我が家で独りぽっちの『おひとりさま』の生活をしている。
             

家内は旅行する前日、女優を引退された後に随筆家として著名な亡き高峰秀子さんのように、
台所を洗い清めたり、洗濯物も残さず、そして冷蔵庫の肉類、魚類、野菜物、牛乳など殆ど空の状況にしない、
と満足しないひとりである。

私たちは旅行の滞在日数が多い場合は、旅先の最終日に現地より旅行ケースを宅配便を利用して、
自宅に送付することが多いが、
帰宅した直後は、部屋に外気を入れたり、着替えたりした後、手荷物を開けたりしている。

そして煎茶、コーヒーを私が淹れた後、私は入浴したりする。
この間、家内は宿泊した売店、お土産屋さんで買い求めた食べ物、或いは旅先でその地の特有な食べ物を皿に移して、
食卓に並べたりしている。

そして風呂上りの私は、私は煎茶を飲みながら、少し食べ物などを賞味している間、
家内は入浴している。

その後は私たちは、旅先のこぼれ話を談笑したりする。

やがて旅の疲れもあり、家内は寝室に行き、寝てしまう。

そして私は、確か5年の晩秋頃からブログの投稿文に写真を添付しているので、
旅先で撮った写真をデジカメの記憶媒体からパソコンに移動させ、
パソコンの大きな画面を見て、独り微苦笑したりすることが多い。

こうしたことはコンバクトのデジカメの性能もあるが、何よりもデジカメの技量の乏しい私は、
撮った数多くの写真への心の思いは強いが、やはりこの程度かょ、と苦笑したりしている。
                                         

そして写真を見ながら旅行の投稿文を思案したりしている。
出来うる限り、綴りは紀行文の形式に準拠したく、内容、構成とかを配慮しながら、
苦心惨憺としながら綴ることが多い。

結果として、私は平素は毎日一通は投稿をしてきたので、
こうした制約もあり、やむなく短めの散文で写真を添付して、
ごまかしたような手抜き投稿文となってしまい、ときおり後日に再読し、苦笑したりしている。

しかしながら、せめてタイトル名には配慮したりしている。

もとより小説、随筆、映画などの場合は、タイトル名で内容を適切に凝縮した表現となるので、
私も拙(つた)ないなりの投稿文であるが、タイトル名は気にしているひとりであるが、
大半は失敗だった、と後日に後悔したりしている。
                       

帰宅後の翌日は、家内は洗濯の合間に掃除をしたり、料理をしているが、
私はスーパーを2店ぐらい廻り、パン類、肉類、魚類、野菜、牛乳などを買い求めたり、
この間に、このブログサイトの投稿する内容を考えたりしている。

今回の旅は、たまたま沖縄本島の北谷(ちゃたん)地域にある『ザ・ビーチタワー沖縄』に滞在して、
1月12日より9泊10日で周辺を遊学した旅路であったが、
何とか7通ばかり投稿し終わったのは、昨日の24日であった。

この間に、このブログサイトで私が愛読している御方の投稿文を数多く読ませて頂ただいたり、
ネットで毎日のように精読しているニュース、音楽業界のサイトを見たりしている。

このように私は、情報機器として携帯電話、スマホも使えず、
自宅に設置しているパソコンだけが頼りとなっている稀な国民のひとりなので、
帰宅直後から、ブログ投稿の完了まで、何かと慌ただしく過ごすことが多い・・。
                       

家内は旅先でも、家内の母の安否を心配して毎夕電話連絡をし、
旅路から帰宅した翌日には、家内の母の介護に行く日程を家内の妹と調整したり、
或いは次回の旅行を思案しているらしく、今回の旅は忘却の彼方のように心情となっている。

しかしながら私は、少なくとも旅立つ前の思惑、旅行のさなかの遊学、
そして帰宅後の旅先の写真の整理、或いはブログの投稿文などで、
ひとつの旅でも4度ぐらいは享受しているなぁ、と微笑んだりしている。


☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の旅路、私たち夫婦のささやかな旅行は、石川県・能登半島の和倉温泉に滞在プランとなり・・。

2016-11-06 12:52:59 | 旅のあれこれ
私は東京の調布市に住む年金生活の72歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、私たち夫婦の共通趣味のひとつは国内旅行であり、
結婚以来、国内の各地をときおり旅路を重ねてきた・・。

やがて2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、多々の理由で年金生活を始め、
旅行の日程から解放されて、5泊6日前後の旅路が多くなったりした。

そして季節としては、5月の大型連休が終わった後、
或いは舞い降る雪が恋しく冬の時節に旅行をすることが、多かったりしてきた。


私たちの旅路、定年後まもなく自動車の免許書の更新を中止した私は、
最寄駅の近くにある旅行代理店に私たち特有のプランを依頼して、JR、航空機、フェリーなど、
そして宿泊先を選定したりしてきた。

或いは通販のクラブツーリズムの滞在型で、魅了されたプランに参加して、
幾たびか活用したりしてきた。

いずれにしてもリゾートホテル、観光ホテル、観光旅館などに滞在して、
街中、周辺を歩き廻ったり、郊外の山里の小道を歩いたりして、遊学をしたりしてきた。
            

こうした中、秋の旅路も、少しばかりしてきた・・。

2011年10月16日から3泊4日で、初めて八ヶ岳の山里にある大泉高原を訪れた。

八ヶ岳の高原にあるリゾートホテル『八ヶ岳ロイヤルホテル』に三連泊するクラブツーリズムのプランがあり、
星空が観やすく、数多くの落葉樹が朱色、黄色などに染め始める錦繍(きんしゅう)の情景が展開する光景を託して、
周辺を歩き廻ったり、山里の散策路を歩いたりした。


2011年11月13日から3泊4日で、秋田県の田沢湖の高原温泉を訪れた。

田沢湖の湖畔より北上した山麓に『プラザホテル山麓』に3連泊するクラブツーリズムのプランがあり、
乳頭温泉郷に近く、何かと気になっていた乳頭温泉郷めぐりもあったりした。

この年の3月の初旬に私たち夫婦は5月中旬頃に、乳頭温泉郷の各地の温泉めぐりと散策を8泊9日間の予定をしていたが、
3月11日の東日本大震災で東北の各地が甚大な被災となり、やむなく中止したので、
敗者復活戦のような変貌したプランとなった。

そして私たちは湯めぐりしたり、付近の山里の路を歩いたりして、最終の夕べには初雪にめぐり逢えたりした。
            

2012年10月22日からは、北海道の洞爺湖に晩秋の時節に初めて訪れた。

洞爺湖の湖畔の近くにある観光ホテル『湖畔亭』に9連泊するクラブツーリズムのプランがあり、
私たちは周辺を歩き廻ったりして、この間、花火が連日打ち上げられて、
私たちは指定された部屋のベランダから鑑賞したり、やがて三日後には私は部屋に敷かれた布団に横たわりながら、鑑賞した。


2014年10月14日からは、八幡平の周辺に点在する温泉地を訪れたりした。

私はこの年の9月下旬に古希(こき)と称される満70歳となり、家内は12月下旬に高齢者入門の65歳となり、
お互いに介護保険を有する夫婦となる。

そして何かしら記念品をお互いに思案したりしたが、
結果的には、私たち夫婦の共通趣味の国内旅行をしょうと、7月下旬に決意した。
     
やがて幾つかの旅行プランを思案したりしたが、
やはり源泉かけ流しの温泉宿に宿泊するのが、私たちの身も心もやすらぐことができると、
いつの日にか訪れ、宿泊したい地域を選定した。

そして岩手県と秋田県の県境にある八幡平の周辺には、
藤七(とうしち)温泉、後生掛(ごしょがけ)温泉、ふけの湯温泉、玉川温泉など多彩にあり、
旅行代理店に手配を依頼した。

結果として『藤七温泉』に三連泊し、『ふけの湯温泉』に一泊、そして『後生掛温泉』二泊となり、
こうした地域の幾つかの温泉宿に宿泊して、落葉樹が朱紅色、黄色に染められた錦繍(きんしゅう)の情景を見ながら、
周辺の遊歩道、自然研究路などを散策したりした。

こうした中、八幡平の天空のような遊歩道を歩いたりしたり、圧倒的に魅了されたり、
或いは玉川温泉には宿泊している後生掛温泉より日中、路線バスで往還して訪れたりした。


このようなささやかな秋の旅路を思い馳せたりした。
              

この後の私たちの旅行は、春夏秋冬を含めても激少している。

昨年の2015年2月9日より、オーホッツク海に面した紋別で流氷を目的に三連泊した後、
そしてサロマ湖の厳冬期を見たく三連泊した後、やがて網走湖畔で一泊するプランを旅行代理店に依頼して、
遊学したりした。

結果的に、紋別は観光ホテルの『セントラルホテル』で、サロマ湖は東岸にある『サロマ湖鶴雅リゾート』に、
網走湖畔で観光ホテルの『網走湖荘』に予定通り宿泊できたりしたが、風雪の怖さを実感させられたりした。


我が家の両親は、無念ながら家内の母だけとなり、
80歳過ぎた頃から膝(ひざ)を悪化して、まもなく杖(つえ)を突く身となって、『要支援2』となってきた。

こうした中、整形外科、内科、眼科に通院している中、膝(ひざ)と腰に激痛が感じ、
昨年の5月より少し遠い大学病院で検査、そして入院、退院後の検査が加わりした後、
リハビリで近くの病院に行ったりしている。

そして家内は付き添う為に、家内の母宅で駐在することが多くなってきた。

やがて家内の妹が強力な援軍となり、家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。

そして本年の5月より、家内の母は市の福祉課が再審査を得て、
『要支援2』から『要介護1』と認定されたりした。

こうした関係で、家内は家内の妹とお互いに日程を調節して、家内が担当した期間には家内の母宅で孤軍奮闘し、
私は我が家で『おひとりさま』の生活をしたり、私たち夫婦の旅行も少し遠ざかったりしている。
              

やがて家内は家内の母の介護で、疲労が増してきたので、気分転換に、疲労回復も兼ねて
伊豆半島の西海岸にある『堂ヶ島温泉ホテル』に3連泊プランが、クラブツーリズムの雑誌に掲載されていたので、
私たちは利用して、周辺を遊学したりした。

まもなく、私たち夫婦はお墓に関しては樹木葬と決めてきたが、肝要の墓地を決定する為、
伊豆七島にある大島に今年5月19日に訪れて、三原山の中腹にある『大島温泉ホテル』に一泊だけして、
墓地の仮契約したり、三原山に登山したりした。

このように私たち夫婦の旅路は、激少してきた。

やがて私は、秋になったら旅行に行こうょ、と家内と話し合ったりして、
能登半島の和倉温泉に少しゆっくりと滞在しょうと、7月中旬に旅行代理店に手配を依頼した。

そして私たち夫婦は10月上旬に旅立つ予定であったが、家内の母の容体の影響で、
結果としては明日より4泊5日で、久々(ひさびさ)の秋の旅路となる。

尚、私の能登半島のささやかな想いで、予約セットし公開しますので、お読み頂き、ご笑話を願えれば幸いです。

★この間、コメント欄は閉鎖させて頂きます。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《昨年の2月の旅路》定山渓温泉滞在記 最終章 旅の終わりは豊平峡温泉 

2015-02-17 13:36:20 | 旅のあれこれ
       最終章 旅の終わりは豊平峡温泉
2月14日
私たち夫婦は、定山渓温泉地の片隅にある『定山渓グランドホテル端苑』に
2日の夜より15日の朝まで13泊宿泊滞在しているが、
いよいよ明日の15日の朝に、この観光ホテルに別れを告げる為に、
家内はこの日の14日の日中は荷物整理としていた。

今回、私たちは旅行用のスーツケースは二つ用意して、
ひとつの大きなアルミ製のスーツケースは、宅配便を利用して往復させ、
程ほどの大きさの強固なナイロン地のスーツケースは、登山靴などを収納させたのを私が牽(ひ)いて、
自宅より往還させる予定で出発してきた。

いずれにしても昨年の石垣島にこの時節に9泊10日で東京の5月のような暖かい滞在と違い、
雪のある地であるので防寒に関する衣服が多いので、ふたつのスーツケースとなってしまった。

こうした衣服の整理は、我が家は家内の専業であるので、
この日の私は館内で買い求めてきた本、雑誌を読んだりしていた。
部屋の窓際の椅子に座ったり、ときにはベットに横たわりながら、
或いはロビーの片隅で読んだりしていた。
          

こうした時、今回の旅路を思い重ねたりした。
2日の夜にチェックインした後、3日は近くの『豊平峡温泉』の湯処に予期した以上に満喫した。
4日は、私が念願してきた『銭函』駅に訪れたりしてきた。

5日には定山渓の温泉街を散策し、6日には『さっぽろ雪まつり』を鑑賞したりしてきた。
そして7日の夜には、滞在している観光ホテルから歩いて10分足らずの『定山渓神社』で
『雪灯路(ゆきとうろ)』を観たりした。

8日は『北海道 開拓の村』に遠征したり、
9日は休養日として本を寄りだり、昼過ぎに露天風呂に入ったりしていた。

10日は何かしら路線バスで10余分にある小金湯温泉地の『湯元 小金湯』に行ったり、
11日は『豊平峡温泉』のオプションのスノーシューに、
私たち夫婦は生まれて初めて体験した後、この湯処で貸し個室をお借りして、
湯船の大浴場、露天風呂に満足を実感されられたり、食事処でインドカリーとナンを賞味したりした。

12日は札幌市の中心街を散策したり、
13日には小金湯温泉地のもうひとつの湯処の『まつの湯』に行ったりした。

このようなことをロビーの渓谷を視える所で、思い馳せたりした。
          
過ぎぎ去ってしまえば実に早いが、私たちは出来る限り日に一箇所を遊学してきたので、
それなりに思いが深く残影している・・。

2月15日
朝食後、大きなスーツケースを宅配便に委託する為に、ロビーの片隅の専用受付所で依頼し、
やがてチェックアウトとした後、私たちは路線バスで『豊平峡温泉』に向った。
          
私たち夫婦は3日に初めて訪れ、予期した以上に満喫し、
11日にはこの館のオプションのスノーシューに参加した後、湯に入ったりした後、
食事処でインドカリーとナンを賞味して、瞬時に好感を増したりした。

受け付けて、いつものように貸し部屋をお借りして、旅の最後として4時間とし、
圧倒的に魅せられた大浴場、そして露天風呂に入浴した後、
食事処で特有な味覚のあるインドカリーとナンを頂だいたりした。

そして部屋に戻り、窓から前景を眺めたりした。
          
その後、家内が再び入浴に行っている間、畳み状のオンドルのような暖かい部屋で、
横たわりながら本を読んだりした。

やがて家内が戻ると、支配人らしいお方から、源泉で作った石鹸、頂いたわ、
と家内は言いながら、私に手渡した。
          

お客とサービスの度合いが難しい中、この間の管理スタッフ、オプションの指導員の方でも、
お友達と違う程ほどの親睦感、そして距離感に私たち夫婦は好感してきた上、
思いのある品を頂戴し、良き記念品を頂いたねぇ、と私は家内に言ったりした。

やがて私たちは、予約していた『かっぱライナー号』の大型バスの出発時が近づいてきた。
この『かっぱライナー号』は豊平峡温泉、定山渓温泉から札幌駅までの直行便である。

やがて私たちは直行便に乗車して、名残り惜しい『豊平峡温泉』に別れを告げた。
          
そして札幌駅前に到着後、私たちはJR千歳線に乗車して、『新千歳空港』で下車した。

やがて私たちは出発ロビーで、19時30分発の航空便を待機していたが、
東京の羽田空港が過日の大雪の影響で欠航にあったし、もとより新千歳空港も影響があり、
出発ロビーはキャンセル待ちの方たちが長蛇の列で混雑していた。

結果として私たちが機内に乗席できて、離陸できたのは1時間半遅れの21時であった。
やがて羽田空港に着陸し、私たちが預けていたスーツケースを受け取ったのは、
23時過ぎてあった。
そして私たちは東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の自宅の最寄駅に着いたのは、
深夜の12時過ぎであった。

余談であるが、私たちは最寄駅でタクシーを乗ろうと思っていたが、
平素はタクシーが客待ちで数多く並んでいるが、私たちのようにタクシー待ちの長蛇の列だったので、
やむなく積雪残る夜道を歩いて帰宅できたのは、深夜の12時半であった。

そして門扉から玄関先、そして庭の大半は残雪があり、せめて門扉から玄関まで雪かきをした。
私の住む地域は冬の時節は、天上の気候の神々のきまぐれな采配により、わずか5センチ前後は降る時もあり、
何かと雪舞い降る情景にみせられて、私たちは北国の旅路をしてきたが、
家に帰ってきて早々、深夜に雪かきかょ、と私は家内に微苦笑しながら言ったりした。
                                  《連載、終了》
★コメントに関しては、自宅不在に伴い、17日まで閉鎖させて頂きます。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《昨年の2月の旅路》定山渓温泉滞在記 第11章 札幌の中心街を散策すれば 

2015-02-17 08:07:38 | 旅のあれこれ
       第11章 札幌の中心街を散策すれば

2月12日
私たち夫婦は、定山渓温泉地の片隅にある『定山渓グランドホテル端苑』に
2日の夜より15日の朝まで宿泊滞在しているが、
私は10日の夕暮れ時から、定山渓温泉地に出ると、幾つかのコンビニに寄ったりした。

私が1970年(昭和45年)の4月から購読している総合月刊誌の『文藝春秋』が、
確か10日発売であり、最新号の3月特別号が雑誌コーナーに置いてないかしら、
と思い寄ったりしてきたが、やはりこの地にはなく、落胆してきた。
             

その上、過日に館内のロビーにある読売新聞の『書評』をたまたま読んでいた時、
山田太一・著の『月日の残像』(新潮社)の作品をノンフィクションライターの渡辺一史さんが書評され、
私は精読してしまった・・。

この後、私はノートに転記したりした・・

《 新たな自分に出会う

なんと深い余韻を残すエッセイ集だろう。

山田太一。日本を代表する脚本家であり、テレビドラマ、戯曲、そして小説にも数多くの傑作をもつ。
私は高校1年のとき、ドラマ「ふぞろいの林檎りんごたち」を観みて以来、
すっかり重症の“太一マニア”になってしまった者だが、
本書では、これまでのどんなドラマや小説でも味わえなかった、
エッセイ集ならではの円熟した言葉の妙味、文体の妙技に酔いしれた。

今年80歳になる山田さんだが、70歳の手前で、体の芯に大きな変化が来ているのを感じたという(エッセイ「減退」より)。
性欲が減退し、そっちに針が振れなくなった。
つまり、どうでもよくなってしまったのである。
しかし、「底流にいつも性欲があった世界」を離れると、街も人も自然も、以前とは違って見える。
恋愛ばかり美しく唄うたい上げる歌手が、いかに多くの現実を無視しているかが見える。
「別の世界へ足を踏み入れたぞ、という小さな興奮があった」

収録エッセイは35編。私小説を思わせるような幼~青年期の思い出や、
秀逸な寺山修司論あり、哀切な木下恵介論ありと、読みどころ満載だが、
とりわけ自らの「老い」に対するやわらかな視線と深い洞察は、
現在40代である私自身の行く末を照らす灯あかりのようにも思えた。
「この先の老いた自分からはなにが出てくるか分らないぞと思う」と山田さんは書く。

老いとは、「自分には憶おぼえのない自分に出会う」ことであり、
「私が私ではなくなって行く兆候」でもある。怖い――と常識的には思うようなことだが、
「なにか、『妙に』心をなごませるものがあるようなのだ」(エッセイ「この先の楽しみ」)

未曽有の高齢化に突入してゆく今の日本と、揺れ動く人々の心を見つめる書き手として、
山田さんほどかっこうの書き手はいまい。
いや、本書はまだほんの序の口であり、これからもっと凄すごいものが出てくるかもしれない。
そんな予感と期待を抱かせる山田太一、80歳の新境地。・・》
             
このした深い書評の寄稿文を読んだりすると、ぜひ購読したい、と私は思ったりしてきた・・。

こうした心情を秘めてきた私は、札幌の中心街に行き、本屋で買い求めたく、
幸いに家内は外湯の湯処で入浴した後にトレーナーがあると楽だわ、
と言ったりしていたので、私は家内を誘って、札幌の中心街に向った。

私たち夫婦は宿泊している近くの『定山渓車庫前』のバス停より、路線バスに乗り、      
          
地下鉄の南北線の『真駒内』駅に向かい、その後『真駒内』駅から『大通』駅に着いたが、
地上に出ると、やはり札幌市の中心街は都会だなぁ、と感じたりした。

そして昨日まで多くの市民、観光客を楽しませた『さっぽろ雪まつり』も終わり、
雪まつりの会場の撤去作業が行われたりしていた。

こうした中、街の歩道を歩いたりすると、可愛らしい雪だるまにめぐり逢い、
記念に私は撮ったりした。
          

やがて私たちは、『サッポロファクトリー』に向った。
一部の歩道は根雪のような中を歩いたり、それぞれシティホテルの前は小奇麗に雪かきがされていて、
思わず微笑んだりした。

やがて『サッポロファクトリー』に入ると、懐かしい状景を観たりした。
          

確か2008年の12月の下旬の時に、家内が『さっぽろホワイト・イルミネーション』を観たく、
繁華街のすすきの4丁目より200m前後にある『ススキノ グリーンホテル 2』に4泊5日し、
この間にすすきの周辺、南三条を歩き廻ったり、もとより大通公園で『さっぽろホワイト・イルミネーション』を観たり、
或いは『三越』に寄ったり、地下街の商店街を歩いたりした。

そして『サッポロファクトー』に行ったりし、中島公園にある『北海道立文学館』に訪れたりした。

この時の『サッポロファクトー』の鮮明に思いは、この前景の煙突にサンタクロースが登っている情景で、
私は微笑みながら、創案された方の感性に絶賛したりしていた。

こうした思いのある私だったが、あれから6年は過ぎてしまったか、と歳月が余りにも早く過ぎてしまった・・
感慨深く感じながら、あの頃は私は若かった、と69歳の私は微苦笑したりした。


この後、私たちは館内の本屋に入り、私は総合月刊雑誌の『文藝春秋』(3月特別号)を手に取った後、
単行本のコーナで山田太一・著の『月日の残像』(新潮社)を探し求めたりした。

そして見つからずレジの近くの山積みになっているコーナーで、
偶然に野坂幸弘・監修『ふるさと文学さんぽ 北海道』(大和書房)にめぐり逢い、
私は瞬時に手に取り、微笑んだりした。
             

そして三冊の本をレジで精算して頂いている時、女性の店員さんに、
『アマゾンなどのネット販売ですと・・こうした本に無知のままだったと思われ、
やはり本屋に寄りますと、偶然に出逢える本もありますよねぇ・・
ですから、私はネット販売で買い求めたりしません・・』
と私は明るく言ったりしすると、若き女性の店員さんは微笑んだりした。
          

この後、開放されているパン屋さんに寄り、店内は買い求めた方が軽食できる喫茶風になっている処で、
私たちは好みの菓子パンを買い求めて、コーヒーを飲みながら頂いたりした。

やがて家内は衣料品のフロアーで、トレーナーを買い求めに行っている間、
私は窓辺に近いベンチに座り、前景を眺めたりした。
          
そして購入した野坂幸弘・監修『ふるさと文学さんぽ 北海道』(大和書房)を読みはじめたりした・・。


やがて家内と合流した後、一度ぐらいは『旧本庁舎』を見よう、と私は家内を誘ったりした。
私たちは幾たびか札幌市に訪れていたが、何となく避けてきたのが『北海道庁旧本庁舎』であった。

そして中心街を歩くと、まもなく前景が観えた・・。
          
やがて正門から入門すると、雪だるまが歓迎して下さり、私たちは微笑んだりした。
          
そして赤レンガの荘厳な建物に、歴史を感じると襟を正して、私たちは入ったりした。
          

そして庁舎の2階にある各室を拝見したりした。
『北方領土』、『樺太関係』、『北海道の歴史ギャラリー』など2時間ぐらい視たりした。
          
         
やがて私たちは3時過ぎに札幌の中心街より、郊外にある定山渓に帰路した。
                                         《つづく》
★コメントに関しては、自宅不在に伴い、17日まで閉鎖させて頂きます。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《昨年の2月の旅路》定山渓温泉滞在記 第10章 初めてのスノーシュー体験を学び 

2015-02-16 08:06:17 | 旅のあれこれ
       第10章 初めてのスノーシュー体験を学び

2月11日
一昨日、宿泊している館内のロビーの片隅に、
《 定山渓でスノーシュー!!
    初心者でも女性の方でも、ガイド付きで安心らくらく雪中探検 》
と題されたパンフレットがあった。

私たち夫婦は雪舞い降る山里の路、街の中を歩くことは20余年を体験してきた。
          
こうした時に愛用してきた軽登山靴はマイナス15度ぐらいの耐久のマインドルの靴で、
家内はマイナス30度に耐えられるアクの軽登山靴で、
滑り止めとして簡素なゴム製の金属製スバイク付いた品を装填している。

そして私は肌着の上に冬のスポーツ・シャツ、ジャケット風の襟(えり)のあるフリース、そして防寒コートとすれば、
マフラーはフリースの襟が首回りまであるので不要となっている。
そして帽子は、私は山岳用を愛用し、家内のはロシア婦人がかぶる様な形のを気にいっている。
このような容姿で私たち夫婦は、厳冬の中の雑木林の道、山里、そして街中を歩き廻ったりしてきた。

私はスキーには全く興味はないが、ここ数年山里の森林の雪上を歩くスノーシューには、
旅先で機会があったら体験してみたい、と秘かに思ったりしてきた。

しかしながら体力の衰えた現在、もとより本格的に山の中を歩くことは無念ながらできないので、
若葉マークと称される初心者用のコースを歩いてみたい、と念願してきた。

こうした思いのある私は、このポスターを見て、
今しなくて、いつ覚えるのよ、と自身を叱咤激励して、家内に誘ったりした。


そしてこのパンフレット発信元に電話連絡したが、未通で落胆した時、
過日訪れた豊平峡温泉の湯処でも、オプションの一環として、スノーシューのコースがあったことを思いだして、
私たち夫婦は申し込んだりした。

もとより初体験の初心者コースとしたが、靴などを含めて洋装は大丈夫ですか、
と質問されて、私は冬の防寒ズボンで街中でも歩ける長ズボンであったので、少し不安となったりした。

家内は予備用として、スキー用の長ズボンを持参していたので、問題はないと思われたりした。


そして翌日の11日の朝、私たち夫婦は路線バスを利用して、豊平峡温泉に到着後、
受付で予約した確認後、やがて40歳前後の男性が現れて、スノーシューを担当させて頂くXXです、と紹介を受けたりした。
この後、私は全くの未経験でして・・こんな長ズボン、靴は大丈夫ですか、
と指導員にお伺いしたら、微笑まれながら問題ありませんょ、と言われ私は安堵したりした。

まもなく今回参加されるオプションの参加メンバーは、私たち夫婦と若き20代のご夫妻であった。
そして指導員の方が自動車を運転され、私たち生徒4名は車中の人となり、山里の道を登っていった・・。

やがて自動車は停止すると、『定山渓 自然の村』の堅牢な案内標識があった。
           

そして私たち4名の生徒は、スノーシューが配られて、靴に付ける方法を学んだりしたが、
私などは指導員の方に殆ど行って頂き、家内は微苦笑したりしていた。
          

やがて私たちは指導員のアドバイスに基づき、スノーシューを履き、
両手にはストックをして、広大な定山渓の自然の村を歩き始めた・・。
低山の森林であったが、この時節は冬眠の森のように静寂であった。

おだやかな登り、或いはゆるい下りを歩いたりし、指導員は時折立ち止まり、
幾数本の落葉樹を解説して下さったりした。
         
          ☆ スノーシューの最中、にぶ児の私はこれ以外の写真を撮る余裕がなかった ☆

こうした冬眠の森林の中を一時間半ぐらい歩いたりした。
そしてスノーシューを履くと、積雪の深い中でも歩くことが出来、
夏の時節は藪深い処、湿地帯、ときには沼地でも、この冬には積雪で覆われて、
雪上を歩けるのは利便性もあるが、何よりも景観が変貌して、圧倒的な美景となることもある。

こうした中で、急降下の処は雪すべりを2回ばかり体験し、童心に還ったりした。

或いは後半の20分は、ストックに頼らず自身のバランスでしましょう、
と指導員の方から私たち生徒は言われて、指導員はストックを私たちから回収されて、
私たちはそれそれおぼつかない積雪の上を歩いたりした。

やがてスノーシューの初めての体験が終了したが、もとより指導員のアドバイスの賜物であるが、
私は汗ばんだりして歩いたりしたが、予期した以上に満喫した。
          

この後、私たち一行は、豊平峡温泉の前に帰館した。

そして私たち夫婦はお互いに入浴した後、この館の食事処で
名高いインド料理のパン生地を平べったい皿のように焼いたナンとカレーを頂いたりした・・。
          
この食事処は、各国の老若男女が利用されて食事されているが、
私は《インド人シェフの本格派 インド料理》の特有な個性に、瞬時に魅了されたひとりであり、
食事を終えた後、旅の最終日に来て、もう一度食べてみたい、と私は家内に言ったりし、
何かと料理に辛口の家内でも、大いに同意した。

その後、私たち夫婦はお借りしている個室に戻り、
スノーシューも楽しかったり、お風呂も最上だし、その上に料理にも魅了されたので、
これ以上のことはこの世に中々ないよ、と私はビールを吞みながら高揚を増したりし、
家内もそうよねぇ、と頷(うなず)いたりした・・。
                                         《つづく》
★コメントに関しては、自宅不在に伴い、17日まで閉鎖させて頂きます。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《昨年の2月の旅路》定山渓温泉滞在記 第9章 小金湯温泉の湯処は 

2015-02-15 16:05:09 | 旅のあれこれ
       第9章 小金湯温泉の湯処は

過日、地下鉄の南北線の『真駒内』駅と滞在している定山渓温泉地の間を路線バスで、
幾たびか往還している時、バスの車内で、『温泉 日帰りパック』と題されたパンフレットがあり、
私は手に取って、読んだりした・・。

何かしら『定山渓』、『豊平峡』、『小金湯』の温泉地が、
札幌駅・真駒内駅から各温泉地に往復バスが運行されている、と知ったりした。

そして温泉大好きな家内にパンフレットを手渡すと、
『小金湯温泉は近い処だし・・行ってみたいわ』
と私に言ったりした。
          
          
私たちは滞在している『定山渓』は、少なくとも毎朝夕は入浴しているし、
『豊平峡』は3日に訪れて、予期した以上に満喫して、旅の最終日に寄ろうと決意しているが、
『小金湯』は未知であり、札幌の市民等から愛されているような温泉地であり、
滞在している間、行って見よう、と私たちは話し合ったりした。

2月9日 小金湯温泉『湯元 小金湯』
この日、私たちは路線バスで10余分足らずの『小金湯』に向った。
そしてバス停を降りたが、めざした『湯元 小金湯』の館を5分ぐらい彷徨(さまよ)った後、
バス停より5分ぐらい歩いた先にあった。

『湯元 小金湯』の館内は、ゆったりとしたクアハウス形式であった。
そして私は入浴後、館内の食事処でジャガイモのベーコン巻きを昼食代わりにして、
ビールを呑んだりして、家内を待ちわびた。

やがて合流した後、家内はフライトポテト、台湾風のアイスクリームなどを賞味したりした。

その後、家内は再び入浴してくる、と言ったりしたので、
私は館内をめぐっていた時、休息室のような一室があった。

数多くのリクライグ・シートがあり、多くの方はシートに座り、静粛な室であった。
私もリクライグ・シートに身を寄せて、持参した本を読んだりした。

そして時折前景の雪景色を見たりすると、時が止まったように感じ、
やがて私はまどろみながら寝付いてしまった・・。
そして目覚めた時、家内が隣席に座っていて、
この後、別室に移動した時、少し鼾(いびき)をしていましたょ、と家内から私は言われたりした。

そして私は天国にいたような甘受の時を過ごし、この世の贅沢なひとときを共にした、
と微笑んだりした。


2月13日 小金湯温泉『まつの湯』
私たちは2月9日に小金湯温泉『湯元 小金湯』に初めて訪れて、予期した以上に湯処に満足し、
この湯処の近くに、もう一軒の湯処の『まつの湯』が気になった。

そして滞在している間に行かなければ、のちに後悔しても・・と思いもあり、
家内の誘惑により、69歳の体力の衰えた私でも、行きましょう、と元気な声で言ったりした。

しかし滞在している観光ホテルを出て、路線バスに乗車している間、
小雪から風も伴う本降りのような雪の状況となった。

そしてバス停を降りたつと、5分少しで『まつの湯』に到着すると思いながら、歩いたりした。
          

やがて傘を差していても防寒コートは雪まみれとなり、『まつの湯』に到着した。

そして私は大浴場、露天風呂に30分ばかり浸かったりしていると気分爽快となり、
私は細長いテーブルが数多く並びられている大広間の片隅で、
私たちの利用客は10数名であったので、座布団を三枚お借りして横たわったりした。

その後、家内を待っている間、ビールを2杯お代りしていると、
雪は止み、陽射しが射し込んできた・・。

宿泊滞在している定山渓、豊平峡、そして市内、或いはこの小金湯の地域でも、
天候が激しく移ろうので、私は微苦笑したりした。

やがて家内と合流した後、私はビールのおつまみ・・
そして家内は軽食に、何かないかしら、とメニュー表を見たりした。


私たち夫婦は、たまたま小金湯温泉の『湯元 小金湯』、『まつの湯』、
或いは豊平峡の『豊平峡温泉』の湯処に満喫させられ、
それぞれ魅了された湯、くつろげる休憩室があり、湯処の三冠王かしら、と実感を深めたりした。

そしていずれの湯処も程ほどの格安な値段で入浴できるので、
私が札幌の市民だったら、毎週一度はこの中の一軒を訪ねると、
月に少なくとも湯処の三冠王を入浴でき、休憩室でくつろげる、と妄想したりした・・。

                                         《つづく》
★コメントに関しては、自宅不在に伴い、17日まで閉鎖させて頂きます。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《昨年の2月の旅路》定山渓温泉滞在記 第8章 『定山渓グランドホテル端苑』の館内 

2015-02-15 08:04:04 | 旅のあれこれ
       第8章 『定山渓グランドホテル端苑』の館内

2月9日
私たち夫婦は定山渓温泉地の片隅にある『定山渓グランドホテル端苑』に、
2月2日の夜から13泊し、15日の朝には辞するが、
この日の9日の朝は、雪が本降りとなっていた・・。
          
この日まで市内の各地、付近を周遊したりしてきたので、少し疲れを感じて、
この日は館内でのんびり過ごそう、と私たちは話し合ったりした。

そして朝食後はいつものようにロービーの片隅で、わずか二紙の新聞が置いてあり、
私は地方紙の『北海道新聞』、そして全国紙の『読売新聞』を読んだりした。
          
この滞在期間に、私は期日前投票した都知事選の結果に微苦笑したり、
或いは大雪が全国的に各地が困憊している情況を学び、憂いたりした。

ときにはロビーの渓谷側に面した所から、渓谷を眺めたりした。
          
或いはロビーの中心にある状景を見たりする時もあったりした。
          

こうした中で、私たちの指定された6階の一部屋が、大浴場、露天風呂に行く時は、
この2階にあるロビーを通り過ぎなければいけないので、
ロビーの中央付近にある若き女性に、こっそりと見つめたりする時もあった。
          

2階にある大浴場は、『希みの湯』と称されて、露天風呂も隣接されて、雪景色が一望でき、解放感がある。

或いは1階にある大浴場は、『祈りの湯』命名され、露天風呂も隣接されて、静かに湯浴み出来る所であった。
そして低温のサウナが設置され、サウナの高温に苦手な私は低温だったら大丈夫かしら、
と思いながら、この日に挑戦した。

そしてこの室内から、ベートーヴェンのピアノソナタの『月光』が流れて、
低温サウナに身をあずけて、私は聴いたりしていると、なるほどねぇ・・この曲は確かに合うねぇ、
と微笑んだりした。

私は楽譜も読めず、楽器も弾けない拙(つたな)い身であるが、音楽を聴くのは好きな方で、
このベートーヴェンのピアノソナタの『悲愴』とか『熱情』も魅了されている曲となっているので、
この『月光』の後は何の曲がかかるかしら、と漠然と思ったりしていると、
熱さを感じてきて、私は退散してしまった。

そしてこの日は、ぐうだらな私でも、この後は持参した本を
部屋に戻った後に、ベットに横たわりながら読んだりしていた
             
この本は2008年(平成20年)12月下旬に4泊5日で札幌に訪れ、
初めて『さっぽろホワイト・イルミネーション』を観た時、
吉田武三(よしだ・たけぞう)・著作の『武四郎つれづれ ~北の風土記』(北海道新聞社)を買い求めて、
遅ればせながら北海道の名付け親と称せられる松浦武四郎の道内をくまなく踏査の偉業を学んだりした。

そして少しボケてきた私は、復習ねぇ、と思いながら今回再読した。
                                         《つづく》
★コメントに関しては、自宅不在に伴い、17日まで閉鎖させて頂きます。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《昨年の2月の旅路》定山渓温泉滞在記 第7章 『北海道開拓の村』を初めて訪ねて 

2015-02-14 08:03:06 | 旅のあれこれ
       第7章 『北海道開拓の村』を初めて訪ねて

2月8日
もとより北海道は、アイヌの人々が住み、その後の江戸時代の後期には、徳川幕府の意向に基づいて、
道南の松前地方を中核に移住され、
やがて明治時代になると、政府の奨励により、東北、北陸、中部地方などの一部の人々が本格的に移住され、
悪戦苦闘の苦難を得て、北海道の各地が少しづつ開拓されてきた。

こうした明治から昭和初期に及び、北海道で建築された建造物が、
『北海道開拓の村』に於いて、移築復元・再現されている、と私は遅ればせながら知り、
北海道の開拓の歴史の一面を学ぼう、と家内を誘って、私たちは初めて訪れた。

そしてこの日の8日、私たち夫婦は宿泊している近くの『定山渓車庫前』のバス停より、
                   
路線バスに乗り、地下鉄の南北線の『真駒内』駅に向かい、
その後『真駒内』駅から『大通』駅に着いた後、地下鉄の東西線に乗り換えて『新さっぽろ』駅に向かった。

そして『新さっぽろ』駅を生まれて初めて下車すると、この駅はJR千歳線の『新さっぽろ』駅と合体する
大きな駅ビルだったので、戸惑いながら『開拓の村』行きのバス停を探したりした。

まもなく駅ビルの一面がバス・ターミナルのように各方面のバス停となっていた。

やがて私たちは『開拓の村』行きのバスに乗車すると、車窓から新さっぽろの街並みを観たり、
まもなくバスが『森林公園』駅前に着き、周辺の状景に魅了され、後でJR函館本線のひとつの駅だった、
と学んだりした。

そして再びバスは走ると、樹木豊かな一帯となり、私は見惚れてしまった・・。
まもなく広大な『野幌(のほろ)森林公園』の中に於いて、
『北海道開拓の村』、『北海道開拓記念館』、『百年記念塔』があると知ったりした。

やがて『開拓の村』のバス停に到着いると、なだらから丘の上に、
管理棟と活用されている旧札幌停車場の大きな建物が聳え立ち、
私たちは受付となっている大きな建物を目指して歩いた。
          

やがて『開拓の村』の村内に入ると、この冬期の土・日・祝日・さっぽろ雪まつり期間中に限り、
馬そりに乗って主要な村内を観られる、と動物好きな家内は事前に調べて折、
何かと動物の苦手な私を誘った。
          

やがて若き清麗な案内嬢の解説を聞きながら、市街地、漁村、農村、山村の各群のそれぞれ建物を観たりした。

この後、私たちはこの村内の中を数時間歩き廻ったりした・・。
          

そして明治、大正、昭和の時代に、この北海道の各地で苦楽を共にし、
生活された人々の住居、郵便局、学校、府舎などを多々教示させられた。
          

          

こうした中で、欧米人風の50代の男女の6名のグループに逢ったりし、
          
この館の60代の男性の解説者を共に聞いたりした。
そして解説される方が、英語の単語を幾たび重ねながら、解説されていたのに私は好感を深めたりした。
                                         《つづく》
★コメントに関しては、自宅不在に伴い、17日まで閉鎖させて頂きます。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《昨年の2月の旅路》定山渓温泉滞在記 第6章 『雪灯路』、そして粉雪舞う中の花火 

2015-02-13 15:01:53 | 旅のあれこれ
       第6章 『雪灯路』、そして粉雪舞う中の花火

2月7日
私たち夫婦は2月2日の夜から定山渓温泉の観光ホテルに滞在しているが、
この館のロビーの片隅でも『雪灯路(ゆきとうろ)』のパンフレットが置いてあり、
7日の夕食後に訪れることとした。

私たちが滞在している観光ホテルから歩いて10分足らずに『定山渓神社』があり、
この神社は、『さっぽろ雪まつり』の開催期間に準拠して、
5日から11日まで2014個のスノーキャンドルが灯される『雪灯路(ゆきとうろ)』が開催されている。

少し暗い雪道を歩いた私たちは、余り寒くないよねぇ、と私は家内に言ったりした。
          
まもなく神社の『雪灯路』の提灯が視え、そして境内に入ると人出もも多く、
          
数多くのスノーキャンドルが灯されていた・・。
          

暗い夜空の中、ぼっかりと境内を彩る情景は、何かしら温かみのあるぬくもり感があり、
私は長らく見つめたりした・・。
          

やがて再び歩きだすと、まぼろしのような時を感じたりした。
          

          

そして15分過ぎた頃、私たちは『定山渓神社』を辞した。
          

帰館後、お風呂でも入ろうか、と思っていた私は、花火の打ち上げる音が窓辺から聴こえ、
そして窓を開けると、暗い夜空の中、粉雪が舞い、花火が打ち上げられていた・・。

『小雪が降る中でも・・この地でも花火の打ち上げを決行するんだ・・』
と私は家内に言ったりした。

そして私たちは窓際に近い椅子に座り、カーテンを出来る限り開いたりし、眺めたりした。
          

この花火は定山渓観光協会の主催で、この時節の毎夜9時前後に打ち上げられ、
たまたま渓谷に近い部屋だったので、私たちは幸運のひとときを享受した。
               

そして私は冬の花火は幾たびか鑑賞してきたが、小雪が舞う中の花火は初めてであり、
まぎれない美のひとつ、と思い深めながら見惚(みと)れたりした・・。
          

この後、もとより花火は打ち上げられてから夜空の中、多彩な色合いを展開させ、
見る人に感動をもたらすのは、打ち上げからその人なりの思いの花火の色あいを待ち望む心情もあり、
何よりもわずかな時で、多彩の美色のはかないひととき・・そして消え去る余韻、余情かしら、
と私は改めて思ったりした。
          
                                         《つづく》
★コメントに関しては、自宅不在に伴い、17日まで閉鎖させて頂きます。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《昨年の2月の旅路》定山渓温泉滞在記 第5章 『さっぽろ雪まつり』を鑑賞、その後は 

2015-02-13 08:00:54 | 旅のあれこれ
       第5章 『さっぽろ雪まつり』を鑑賞、その後は

2月6日
私たち夫婦が定山渓温泉地に2月2日から15日まで滞在している中、
札幌の市内に於いて、『第65回さっぽろ雪まつり』が5日(水)から11日(火・祝)の7日間で、
大通会場、つどーむ会場、すすきの会場で開催される、旅立つ前から知っていた。

そしてこの間に『雪まつり』を観ようと、この6日に大通会場に向った・・。
私たち夫婦は宿泊している近くの『定山渓車庫前』のバス停より、路線バスに乗り、      
地下鉄の南北線の『真駒内』駅に向かい、その後『真駒内』駅から『大通』駅に着いたが、
やはり札幌市内として屈折の『さっぽろ雪まつり』であり、多くの鑑賞客でにぎわっていた・・。

私たち夫婦が初めて『さっぽろ雪まつり』を鑑賞したのは、
確か15年前の頃、勤めていた会社の勤続30年の特別休暇5日間を利用して、
私はオーホック海の流氷、家内は札幌の雪まつりを目的に2月初旬に旅をした時であった。

この時は網走の郊外の能取岬の近くの観光ホテルに2泊し、知床半島の付け根の宇登呂(ウトロ)の近くで、
厳粛な流氷の状景に感銘させられた後、『網走』駅より日中に於いて特急列車で『札幌』駅に着き、
そして小樽でシティホテルで宿泊した後、札幌に移動した後、シティホテルにチェックイン後に、
『さっぽろ雪まつり』の開催前日の状景を鑑賞したりした。

そして翌日の『さっぽろ雪まつり』の開催日に、大通会場で拝見した・・。
人出の多い中、雪像も多かったが、家内が以前テレビで中継された時よりも、
華やかさが足りないわ、と私に言ったりした。

そして私は、以前のバブル時代の経済狂乱記より、少ないのは当然だし・・
このくらい良いのではないかしら、と私は家内に言ったりし、2時間ばかり鑑賞した。

やがて付近の自衛隊の基地でも雪まつりに協賛した祭りがあると学び、
私たちは地下鉄の南北線の『自衛隊前』駅で下車して、
自衛隊の貴地は私たちような国民にも、この祭りの時は解放されていた。

そして自衛隊の歴史の歩みなど多々教示させられたが、
何よりも魅了させられたのは、若き10代、20代の溌剌とした自衛隊諸兄諸姉の言動であり、
私は圧倒的に好感した。


こうした私のささやかな雪まつりの思いが根底にあり、今回の『第65回さっぽろ雪まつり』を
拝見した・・。
          
そしてそれぞれの雪像は鋭意工夫されていたが、やはり平成の始めの頃までのバブル時代、
やがてデフレの15幾余年・・政治は混迷、経済は衰退、社会は劣化した結果、
何かしらコンパクトになったのは、致しがたい、と私は感じたりした。
          

こうした中で、札幌市の小学低学年の児童が、社会見学の授業の一環かしら、
数校に及び多くの児童を見かけて、私は好感したりした。

或いは園児と思われる幼い児も見かけて、私は雪像よりも圧倒的に魅了されて、
プライバシー侵害もあるので、こっそりと撮ったりした。
          
そして園児が幼いなりに創意を秘めたペンギン雪像を見かけて、可愛いよ、と心の中で呟(つぶや)いたりした・・。
         

この会場で私たち夫婦が微苦笑させられたひとつがある。
記念写真・・無料ですが、いかがですか?、と勧誘させられて、
私たち夫婦は撮って頂いた。

そして写真の受領場所に移動した時、一枚の写真のバネル状にしたのを頂いたが、
写真は2センチぐらいの長方形であった。
この時、担当された若き男性が、大きな写真を1000円でお渡しできます、
と言いながら、プリントされた大きな15センチ×10センチぐらいの写真を手渡しされた・・。

そして私は見ると、私たち夫婦ふたりだけの写真は確か3年前の最上川船下り以来の記念写真だ、
と思いながら家内に微苦笑しながら、買い求めたりした。


やがて会場を後にした私たち夫婦は、家内が下調べした『こんぶ屋』に向った。
何かしら家内の話に寄ると、昨年の秋にテレビの番組で、
こんぶの多彩に加工した販売品であった。

私たちは三越デパートの前近くある市電の『西四丁目』駅より乗車して、
街中の駅を幾たびか通り、確か『西線11条』駅で下車して、数分探したりして、
やがて『こんぶ屋』の店の看板を視えた。

何かしらご夫婦だけで、幾種類のこんぶを多彩に加工して販売する店であり、
家内は4種類のこんぶを加工したを確か15個ぐらい買い求めたりした。

そして私たちが食べる品、ささやかな土産品として購入した、
と私は帰館する中で、家内から伝えられた。

そして翌日の午後、滞在している部屋で、
三時のおやつ代わり、この中のひとつを食べたりした。
           

          
                                         《つづく》
★コメントに関しては、自宅不在に伴い、17日まで閉鎖させて頂きます。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《昨年の2月の旅路》定山渓温泉滞在記 第4章 定山渓温泉の街並みを散策すれば

2015-02-12 08:00:33 | 旅のあれこれ
       第4章 定山渓温泉の街並みを散策すれば

2月5日
朝の6時過ぎに、部屋の窓辺から見ると、小雪が舞い降りていた。
私は少し疲れを感じたので、今日は定山渓の温泉街を散策しょう、と家内と話し合ったりした。
          

10時過ぎに宿泊している『定山渓グランドホテル端苑』を出て、
最寄りのバス停の『定山渓車庫前』を通り過ぎて、
          
路線バスも通る大通りの歩道を5分ばかり歩くと『手湯』が観えたりした。
          
そして付近には『定山渓神社』が観えたりした。
          

この神社は、5日から11日まで2014個のスノーキャンドルが灯される『雪灯路(ゆきとうろ)』が開催されるので、
後日に訪れようと私は家内に言ったりした。

その後、近くの『定山渓観光案内所』に立ち寄ったりした後、大きな橋を渡りながら、
定山渓温泉の建物の一部が景観できた。
          

私たちが訪れている定山渓温泉地は、札幌市街地から南に26km、
車を利用すれば1時間前後にあり、札幌市の奥座敷と称されている。
そして支笏洞爺国立公園内に位置し、緑豊かな渓谷の湯どころとして年間240万人程の方が訪れ、
温泉は豊平川の川底から湧いており、その川沿いに温泉街が広がっている。

そして定山渓の歴史は、慶応2年(1866年)修験僧・美泉定山(みいずみ・じょうざん)が、
アイヌの人々の案内で泉源と出会い、
幾多の困難を乗り越え温泉の礎を築いた定山の功績から、この地が「定山渓」と命名された。

このようなことを学んできた私は、立ち止まって眺めたりしたのである。

やがて再び歩きだして、温泉街の中心地を私たち夫婦は歩いたりしていると、
観光ホテルのひとつに私が敬愛している書家・詩人の亡き相田みつを氏の特有な文体が視え、
          
どうしてなの、と思ったりしていると、
この館内に、氏の展示室があり、この館の了解を得て、拝見することとした。

2階のひとつの大きな展示室には、氏の遺(のこ)された数多くの書跡が掲げられていた。
          

こうした中に、この展示室の心象のようなノート『感想文』が多くふった。
          

私も遅ればせながら20余年前の頃から、氏の書籍などから多々教示されているので、
この展示室で鑑賞後、それぞれのお方が人生の歩みを通して、それなりに氏への思いを重ねて、
ノートに記載する心情は、私なりに了解することが痛いほどに理解できた・・。

この後、1階にあるロビー風の休憩室に於いて、コーヒーを飲んだりしたが、
この休憩室の状景に瞬時に魅了されたりした。
          

やがて、この観光ホテルを辞する時、『ぬくもりの宿 ふる川』と私は視て、実感を深めたりした。
          

そして街の中心から歩きだし、コンビニに立ち寄ると、レジの近くに微笑ましいポスターがあり、
私は記念に撮ったりした。
             
この『豆大福』を賞味した家内は、お気に入りとなり、6個ばか買い求めたりしていた。

その後、『月見橋』と命名された大きな橋にさしかかと、温泉街の渓谷の状景が観えた。
          
そして橋を渡りきると小公園が『定山源泉公園』と解り、微苦笑したりした。

小雪舞う中を3時間ばかりの散策となったが、やがて帰館に向かった。
                                《つづく》
          
★コメントに関しては、自宅不在に伴い、17日まで閉鎖させて頂きます。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《昨年の2月の旅路》定山渓温泉滞在記 第3章 念願の『銭函』駅に訪れて

2015-02-11 08:56:49 | 旅のあれこれ
       第3章 念願の『銭函』駅に訪れて

2月4日
私は小学4年生の頃から、独りで映画館に通って映画を鑑賞した映画少年であり、
ここ30数年は居間にある映画作品のビデオ、DVDをときおり観たりし、
20世紀良き時代の名画をこよなく愛するひとりである。

こうした作品の中のひとつに、降旗康男 ・監督の『駅 STATION』(1981年)がある。
この作品はオリンピックの射撃選手であり、警察官でもある一人の男が、
それぞれの事件を通して彼の心を通り過ぎていく女性たちをくまなく描き、
人生の哀歓を圧倒的な筆力で主演・高倉 健に捧げたと伝説される脚本の倉本 聰の作品でもある。

私が鑑賞してきた邦画の少なくとも5000作品の中で、最も好きな作品で、
監督の降旗康男、主演・高倉 健、そして脚本・倉本 聰のトリオの英知が発露された作品となり、
降旗康男、高倉 健、倉本 聰の各作品を鑑賞してきた中で、最も優れた作品と絶賛するひとりである。

この作品のファースト・シーンは、国鉄時代の1968年の北海道の『銭函』駅が駅舎が表われ、
そしてホームの情景となる中、
警察官の英次は雪の降り続くホームで、妻の直子と、四歳になる息子義高に別れを告げた。
やむなく離婚を承諾した直子は、動き出した汽車の中で、英次に笑って敬礼するが、その目には涙が溢れていた。

このファースト・シーンひとつでも、人生の哀歓、愛惜を描き、
感動を超えて感銘させられる名シーンである。

このような心情を秘めた私は、いつの日にか『銭函』駅に訪れてたい、と念願してきた・・。

確か15年前の頃、勤めていた会社の勤続30年の特別休暇5日間を利用して、
私はオーホック海の流氷、家内は札幌の雪まつりを目的に2月初旬に旅をした。

そして厳粛な流氷の状景に感銘させられた2日間後、『網走』駅より日中に於いて特急列車で『札幌』駅に着き、
そして今宵の宿の『小樽』駅に向かっている車内で、不覚にも旅路の疲れで私は眠ってしまい、
『銭函』駅を通り過ぎたのを見過ごししてしまった・・。

目覚めた時、家内からは、
『銭函』駅のプラットホームに、銭函の大きな箱が飾ってあったわ、
と私は教えられて、私は苦い想いのひとつとなっていた。

こうした思いのある私は、今回の定山渓温泉の観光ホテルに滞在する中、
『銭函』駅に訪れることも必須の課題のような心情となっていた。

そしてこの日の4日、私たち夫婦は宿泊している近くの『定山渓車庫前』のバス停より、
          
路線バスに乗り、地下鉄の南北線の『真駒内』駅に向かい、
その後『真駒内』駅から『札幌』駅に着いた後、JR函館本線で小樽方面に乗車した後、
30数年念願してきた『銭函』駅に下車した・・。
          
やがてホームを歩き、銭函を確認できたが、以前は吊るって飾ってあった、
と家内に言われたりし、鎮座している銭函を複雑な思いで眺めたりした。
          
そして構内を出て、念願の駅舎の前景を取ったりしていると、小雪が舞い降りてきた・・。
          
やがて街中を私たちは歩き、海辺の観える処を探したりし後、海上に小雪が降る情景を長らく見つめたりした。
          

この後、駅に近い食事処を探し求めていた時、一軒の海鮮料理店に入った。
          
カンウター席、この横に畳上の座卓が並ぶ中、海上が眺められる窓際の座卓席に私たちは座り、
私は生の『鰊(にしん)』を焼いて頂き、ビールを2本ばかり呑み、
家内は『鰊』の刺身、太刀(白子)の天ぷら、イカ、生ダコ、マグロの握りを頂きながら、
ノン・アルコールのビールを呑んだりした。

この間、私たちは窓際から素朴な木造のベランダを視たりし、
雪の降る冬以外は、あのようなベランダに座り海を眺めるのは最上の情景のひとつだよねぇ、
と私は家内に言ったりした。

やがて私たちは満喫したひとときを過ごし、帰路に向った。
そして『銭函』駅のホームで、『札幌』駅に向う列車を待ったりした。
          
この後の私たちは、何かと単細胞の私に相応しく、帰路も同じように帰館した。
                                  《つづく》
★コメントに関しては、自宅不在に伴い、17日まで閉鎖させて頂きます。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《昨年の2月の旅路》定山渓温泉滞在記 第2章 豊平峡温泉は圧倒的に魅了された湯処 

2015-02-10 08:55:27 | 旅のあれこれ
       第2章 豊平峡温泉は圧倒的に魅了された湯処

2月3日
今回の旅路の前の自宅で下調べの時、ネットで家内は『豊平峡(ほうへいきょう)温泉』を見つけて、
私はこのネットに掲載されている内容を視たりしていると、瞬時に魅せられて、
行きましょう、と私は家内に言ったりした・・。

私たちが宿泊滞在している定山渓温泉地の片隅から、奥地の高台にあるようで、
宿泊している観光ホテルの一分先ぐらいにあるバス停『定山渓車庫前』からは、
路線バスに乗車して10数分たらずの処に『豊平峡温泉』がある。
          

私たち夫婦は少し雪深いバス停の『豊平峡温泉』を下り立つと、
どんよりとした曇り空で、ときおり小雪舞う中、木造の一軒家が忽然と観え、私たちは向った。
          

そして1階は靴入れ箱に履いている登山靴を入れたし、
受付で入湯料、フェイスとバスタオルの貸出し料金を支払った後、
2階には大広間の休憩室、ロッカーなどが見られ、
3階は貴重品のロッカー、そして浴室には脱衣場、大浴場、隣接の奥には露天風呂があるようであった。

私は大浴場に入浴して、身も心も湯あたりが圧倒的に良く、
《”鮮度がいのち”
当泉は北海道内でも希少といわれる源泉100%のかけ流し温泉です。
薄めず(無添加)・沸かさず(無加温)・循環させずの「本物の温泉」を心ゆくまで
ご堪能ください・・》
と記載されていた公知文に思い重ねて、
これまで私が50幾余年の旅で体験してきた限り、圧倒的に突出した湯処であった・・。

やがて解放感のある露天風呂に心も身も波長に合う湯にあずけて、周辺の景観を視たりし、
旅に来た・・と今回の旅路で初めて自覚させられたりした。

そして近くにいた見知らぬ60代風の男性と何気なしに会話が始まり、
やがてこの男性は神戸市にお住まいの人で、北海道の旅を幾たびか重ね、温泉大好きな人と知り、
私たちは10数分、これまでの色々な旅路の温泉のあれこれを談笑を重ねたりした。

この後、風呂上りの私は露天風呂、大浴場の近くの情景を撮ったした。
          

やがて大広間の休憩室で私は家内と合流した後、
しばらくこの『豊平峡温泉』の館で、ゆっくりと過ごしませんか、
と家内の提案に基づき、私たちは貸個室を借りた。

この少し前に館内めぐりしていた私は、3時間で2000円の個室を知り、
家内に伝えたので、この結果として私たちは利用させて頂いた。

貸個室は3部屋あるらしく、この一室をお借りしたのであるが、
8畳から10畳ぐらいの広さで、防寒コート、セーター、フリースのジャケットなどを衣紋掛けできる場所もあり、
簡素な和室風で、くつろげる部屋であった。

その上、横たわると床底には湯管が配置されているらしくオンドルのように暖かいょ、
と私は家内に言ったりした。
そして私は缶ビールを呑んだりして、ときおり窓辺から観える状景を視たりした。
          

そして目を転じれば、遥か彼方の山裾も見え、好感できる情景であった。
          

私たちは、この湯処の『豊平峡温泉』に魅了され、旅の最終日の15日の土曜日に、
滞在している観光ホテルに朝チェックアウトの後、この館で4時間ぐらい過ごして、
この後に新千歳空港に向おう、と話し合ったりした。

しかし世の中は不思議なことが多々あるが、いつの日にスノーシューを学びたく、根底に秘めていた私は、
たまたま旅の最中の11日の火曜に於いて、この『豊平峡温泉』にオプションとしてスノーシューがあり、
ここの管理スタッフの方の指導に基で、私たち夫婦は生まれて初めてのスノーシュー初心者コースで、
高揚しながら雪上を歩いたりし、
今回の旅路で3日ほど『豊平峡温泉』に心酔するように通ったりしたのである。

                        《つづく》

★コメントに関しては、自宅不在に伴い、17日まで閉鎖させて頂きます。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《昨年の2月の旅路》定山渓温泉滞在記 第1章 航空便が遅延すれば 《2014.2.2.~2.15》

2015-02-09 15:53:59 | 旅のあれこれ
       第1章 航空便が遅延すれば

2月2日
ある有力な旅行通販会社から今回のフリープランの指定された航空便は、羽田空港・発14時30分であり、
新千歳空港・着は16時となる便で、予定通り私たち夫婦は機上の人となった・・。

そして着陸予定時の30分前後、機長より機内の乗客員に告知があり、
新千歳空港の滑走路2本ある中、ひとつは除雪作業に伴い、着陸の時間待ちとなり、
たたいま津軽海峡の周囲を旋回して待機しています、と告げられた。

やがて45分遅れで着陸できたが、機内から解放された私たち夫婦は、
滞在する観光ホテルのご厚意の送迎のマイクロバスのある近くの指定場所に行った。
当初は新千歳空港前の予定出発時は17時5分であったが、私たちの乗機した便が遅延してしまい、
長らく担当して下さるドライバーのお方を待たせてしまった。

そして指定場所に私たち夫婦は駆けつけると、私たちのような今回のフリープランに参加したのは、
夫婦連れ4組、おひとりさまの女性は6名、男性は5名と私たちは初めて知った。

そしてマイクロバスが2台で待機して下さり、私たちは分乗して出発しょうとしたが、
おひとりさまの男性が、空港内で滑り止めを予約していたので、引き返している中、不明となったらしく、
結果として1時間近くドライバーのお方はと探しまくり、何とか出発できたのは18時は過ぎたりした。

やがてドライバーさんより、宿泊する定山渓の宿まで2時間要する、と私たち一同は聞いたりし、
私は車窓から遠望の雪の暗い情景を眺めたり、札幌ドームの付近を通り過ぎる状景を視たりする中、
夕食のバイキングの終了時間は21時であり、ラストオーダーは20時半を思い重ね、
私は原則として旅先は、風呂に入った後に夕食を頂いてきたので、
『XXちゃんさぁ・・風呂に入らず夕食を頂くのは・・初めてだよねぇ・・』
と私は隣席にいる家内に、小声で溢(こぼ)したりした。

結果として、慌ただしく夕食を20時15分過ぎに私たち夫婦をビールを吞みながら食べたりした。

          
          ☆定山渓温泉のマスコットは、カッパと知り、宿泊している館内の売店で、
             たまたま私はめぐり逢い、たわむれに記念に撮った ☆

やがて私は大浴場に入った後、指定された私たち夫婦の部屋に戻ると、
『先程・・花火が上がったわ・・
何かしら雪まつりの終わる11日の頃まで、定山渓観光協会主催で行うみたい・・』
と家内から私は教えられた。

そしてこれから一週間の中で、冬の花火の鑑賞も情緒があるよねぇ、
と私は家内に言いながら、
過ぎし2年前頃の10月、洞爺湖に滞在した時に盛大な秋の花火を思い重ねたりした。

そして積雪のある情景の中の真冬の花火・・できうれば粉雪(こなゆき)が少し舞う中であったならば、
まぎれない美のひとつ、と私は思ったりした。
                        《つづく》
                     
★コメントに関しては、自宅不在に伴い、17日まで閉鎖させて頂きます。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《昨年の2月の旅路》定山渓温泉滞在記 序章 定山渓温泉、再訪 《2014.2.2.~2.15》

2015-02-09 08:52:21 | 旅のあれこれ
       序章 定山渓温泉、再訪

私は東京郊外に住む年金生活の69歳の身であるが、
札幌市の郊外にある定山渓温泉にある観光ホテルに、過ぎし2日より15日まで13泊14日で滞在し、
温泉地、周辺を散策して、遊学してきた。

今回の旅路は、ある有力な旅行通販会社から郵送されてくる小冊誌の中に、
《 温泉ステイ 長期滞在 渓谷に抱かれて・・
      定山渓グランドホテル端苑14日間 》と題したフリープランが掲載され、
私たち夫婦は冬の定山渓温泉の情景は未知であり、お互いに元気で意欲のある今、行きたい所に行ければ、
と思いながら旅路となった。
          
            ☆ 宿泊した定山渓グランドホテル端苑の冬の情景 ☆

          
            ☆ 指定された部屋の窓辺から、朝夕 眺めたりした情景
                          たまたま小雪が降っていた時の朝ひととき ☆

冬の時節は私たち夫婦は雪の舞い降る情景に魅せられて、この時節になると、雪恋し、心情となり、
昨年の12月になると、雪舞い降る情景を観たいねぇ、
と私は家内に言ったりして、旭川市の郊外にある天人峡温泉に、
12月5日より3泊4日で訪れ、スノーパウダーと称されている粉雪(こなゆき)舞い降る情景に心を満たされたりした。

そして本年の1月に、函館市の郊外にある湯の川温泉の観光ホテルに、
1月13日より4泊5日で滞在して、函館市の市内、郊外を歩き廻り、遊学してきた。
          
私たち夫婦は北海道の旅路を幾たびか重ねてきたが、今回の札幌市の郊外にある定山渓温泉は、
確か記憶ある限り、宿泊するは二度目である・・。

初めて私たちが定山渓温泉に宿泊したは、私が定年退職後の1年過ぎる頃、
2005年10月19日より4泊5日で、
北海道の朱紅色、黄色に染められた錦繍の情景を訪ねた周遊団体旅行に私たち夫婦は参加した旅路であった・・。

この旅路は早朝に東京駅より新潟駅に新幹線で行き、新潟港に移動した後、
この港から10時半過ぎにフェリー船で小樽港に向かい1泊しながら、翌日の早朝に小樽港に着く。

そして小樽を出た後は、芦別の三段の滝を観て、富良野から美瑛を抜けて、
旭岳の麓(ふもと)の山岳ロッジ風のリゾートホテルに宿泊した。

翌朝、旭岳ロープウェイに乗り、周辺を散策した後、
その後に天人峡の羽衣の滝を観た後、札幌の奥まった定山峡まで移動し宿泊した。

翌日は、豊平峡で電気バスに乗って、ダム周辺を観た後、
小樽市で観光し、札幌駅に向かい、
夕暮れの札幌駅より寝台特急の『北斗星号』を乗車し、夜間に走行し上野駅に到着する。
このような日程であった。

このような旅であったで、定山渓温泉に於いては錦繍の情景をわずかに観た程度で、
冬の時節は初めて訪れた。

滞在している定山渓温泉地、そして周辺を散策したり遊学の旅路を連載して、記載する。
          
          ☆滞在した観光ホテルの近くの路線バスのバス停のひとつ
             路線バスを利用して、市内の雪まつり、開拓の村、近くの温泉地など訪れたりした☆

果たした東京郊外の田舎者の私が、どのような心情で周遊したか、素直に発露する。
                                      《つづく》

★コメントに関しては、自宅不在に伴い、17日まで閉鎖させて頂きます。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする