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何となく知っている話だろうと思って見たが、全く知らなかった事ばかり。それらの事実を知って、僕は驚きと感動で・・・。
リレハンメル五輪で、原田雅彦はジャンプに失敗して、日本のジャンプ団体は銀メダルに終わってしまった。
その時のメンバーは西方、岡部、葛西、原田。4人は次の長野オリンピックでの金メダル獲得を誓う。
4年後の長野オリンピックで、岡部と原田は団体戦に出場出来たが、葛西は4人の中に選ばれず、西方はオリンピック代表にさえなれなかった。
西方はテストジャンパーとして長野オリンピックに参加する事になる。
悪天候の中、原田は一回目のジャンプに臨むが失速して距離を伸ばせない。日本は4位。悪天候で競技は中断。このまま一回目の結果だけで順位を確定させる、あるいは、テストジャンパー達が全員無事に飛ぶ事が出来たら、二回目を再開する、どちらにするかという決断を日本がする事になる。
テストジャンパー達もその意味を理解して、このままオリンピックを終わりにするわけにはいかないと結束を固める。25人のテストジャンプが行われた。
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実際のテストジャンパー達
全員が成功して、二回目の競技が再開され、日本は全員世界最高レベルの飛距離を実現する。原田は137mのジャンプを成功させる。4位から逆転して日本は悲願の金メダルを獲得する事が出来た。