1986年から1987年にかけては私の私生活上も大きな変化があった。
私は35歳で結婚した。かなり晩婚のほうである。相手は同じ研究所で
秘書(当時NECでは書記と読んでいた)女性で、組織は別で毎日顔を合わせていたわけではないが、まあ、職場結婚といえるだろう。以前書いたように一緒に山登りに行くようになったのがきっかけである。相手は4歳下なので双方とも晩婚のほうに入ると思う。
翌年、結婚してほぼ1年後に長子が誕生した。結婚は6月だったが妊娠が分かって家内は年末に退職した。女の子が生まれた。結婚した時にアパートも宿川原からあざみ野に引っ越したのだが、結婚した時よりも
子供が生まれたときのほうが生活にははるかに大きなインパクトがあった。生活のパタンがかなり子供中心になったことは否定できない。しかし、赤ちゃんは可愛く、私は生活を楽しんでいた。
その年の終わりには課長試験を受けるように推薦された。当時、富士通の課長試験の様子がテレビで放映され、NECも似たようなものだったので、「大変だね」と色々な人から言われた。しかし、私自身はそれまで知らなかった経理や人事の話を勉強することは新鮮味があって苦にはならなかった。しかし、ある程度理解してしまうと、受験勉強特有の点数を稼ぐために細かいことを覚える作業が入り、これはつまらなかった。
もうひとつ重要だったのは、自分の仕事の将来ビジョンに関する論文を書くことで、これは上司や先輩に何度も直されたのだが、視野を広げる上で役に立ったと思っている。他の人に比べるとかなり勉強量が少なかったようで家内は「落ちると思った」と言っていたが、なんとか合格することができた。
この1-2年は技術的には私が初めてGSMに触れた時期であり、技術的にも、個人的にも大きな転換点になった。