備忘録として

タイトルのまま

赤壁

2008-12-01 21:52:25 | 中国
レッドクリフ Part1を見た。
蜀漢の劉備、関羽、張飛、趙雲に、諸葛亮(金城武)、呉の孫権、周瑜(主演トニー・レオン)、甘寧(中村獅童)、魯粛、程普、黄蓋、魏の曹操、夏侯(淳か?)、それに医者の華陀ら、三国志ではお決まりの役者がそろった。その中で、女性陣の話だけ復習しておく。
映画の冒頭で、曹操軍に攻められ井戸に身を投げる劉備夫人は甘夫人といい、三国志演義では、息子の阿斗とともに趙雲によって助けられる。孫権の気の強い妹・尚香は、正史では孫夫人といい、やはり気が強く侍女百人に武装させていたとあり、映画もこのエピソードを使っていた。周瑜の妻・小喬は、孫策(孫権の死んだ兄)の妻・大喬の妹で演義では絶世の美女とされ、曹操が大喬と小喬を共に手に入れたいと言っていると諸葛孔明から聞いた周瑜は曹操と戦うことを決意する。映画でも曹操の重臣の一人が「女一人のために戦いを始めるなんて」ともらすセリフが出てくる。曹操の陣営にいる踊り子・麗姫は映画の創作だと思う。
正史は邪馬台国の魏志倭人伝を含む三国志で、180年頃~280年頃の歴史を同時代の陳寿が書いたものである。この正史をもとに創作されたのが羅漢中の三国志演義で、吉川栄治や陳瞬臣の小説は演義をもとにしてさらに創作が入る。
映画も創作が入るが、馴染みの登場人物と馴染みのエピソードが散りばめられていて楽しい。人物の描き方も基本的に三国志演義を踏襲している。しかし、三国志に馴染みのない人には登場人物が勧善懲悪のステレオタイプで人間描写に深みがないと思うかもしれない。
戦闘シーンは香港映画に付きもののカンフーバトルのオンパレードで少し長いのだが、迫力はある。大都督(最高司令官)の周瑜が自ら戦闘に参加するサービスもあった。さすがに諸葛孔明は戦闘に参加させていないが、金城武の殺陣も見たかった気もする。Part2では孔明の戦闘シーンがあるのかな? 
Part1は、赤壁で曹操と孫権・劉備連合軍が対峙するところまでで終わり、続きPart2は来年4月の公開を待たねばならない。
”レッドクリフ Part1”2008 監督:ジョン・ウー、主演:トニー・レオン、金城武、中村獅童、★★★☆☆ 星の数はPart2の出来次第で再考予定。

赤壁の戦いから約800年後、宋の時代に王安石の新法派に反対して野に下った蘇軾が、古戦場である赤壁に遊んだときに詠んだ詩が“赤壁賦”である。(長いのでさわりだけ抜粋)
「此非孟徳之困於周郎者乎方」
(これ孟徳(曹操)が周郎(周瑜)に困(くる)しめられしところにあらずや)
「固一世之雄也 而今安在哉」
(まことに一世の雄なり しかるに今いずくにありや)
「哀吾生之須臾 羨長江之無窮」
(わが生の須臾(しゅゆ・・一瞬のこと刹那より長い)なるを哀しむ 長江のきわまりなきを羨む)
一代の英雄ももういない、人生ははかないと言う友人に対し、
「蘇子曰 客亦知夫水與月
乎逝者如斯 而未嘗往也
盈虚者如彼 而卒莫消長也」
(蘇子曰く、客もまたかの水と月とを知るか
逝く者は斯くの如くなれども 未だ嘗て往かざるなり
盈虚(えいきょ・・満ちたり欠けたり)する者は彼の如くなれども 卒(つい)に消長する莫(な)きなり)
「而又何羨乎」
(しかるに何をか羨まん)
「惟江上之清風與山間之明月
之而成色取之無禁 用之不竭」
(ただ江上の清風と 山間の明月とは これを取れども禁ずる無く これを用うれども竭きず)
過ぎ行くものは水の流れのように流れ去っても、いつも目の前にある。月も満ちたり欠けたりするが、減りも増えもしない。ほんの束の間の生を哀しむことはないというのである。江上の清風と山間の明月は、どんなに楽しんでも誰も禁じないし、無くなりもしないのだ。

蘇軾もそうだが、野に下った屈源、陶淵明人麻呂西行たちはいずれも詩や歌の巨人となったが、悲憤や諦観が創作意欲の源泉だったにちがいない。

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