備忘録として

タイトルのまま

荀子

2011-07-05 23:43:18 | 中国

 ゲーム三国志の曹操の部下に荀(じゅんいく)や荀収(じゅんしゅう)という武将がいるが、知力と政治力が100近くもあり、配下に置くと頼もしい軍師として使える。荀は曹操から、”我が子房なり”と評されたほど、その才能を買われていたという。荀は映画「レッドクリフ」にも曹操の軍師として出ていたが曹操の南征には批判的で、”たった一人の女のために(これほどの戦いを始めたのか)”と嘆いている(これは記憶違いでもう一人の軍師の程が言った言葉だったかもしれない)。荀も荀収も、戦国末期のあの性悪説で有名な儒家・荀子の子孫なのである。

内山俊彦の「荀子」を読んだが、読む側が悪いのだろうけど白川静の「孔子伝」を読んだときと同じで、荀子の人間像がわかったようでわからなかった。たぶん内山の提供する情報量が多すぎてレベルの低い読者では情報整理がつかないためだと思う。ネット情報を借りながら自分なりに何とか本から拾った荀子の思想が以下である。

人の性は悪にして、其の善なるものは偽なり

性悪説である。人間の性(生まれつきがそうであるもの)は悪なのである。善が偽とは、善は作為の結果という意味である。だから、人は礼や学問によって善を作っていかなければならない。荀子は性の中に心があるとし、心は五官(耳、目、鼻、口、感覚)を統御し、偽として悪である性を善に変えるのである。心は性の中にありながら性を変える働きをするということである。”性悪→心→五官統御(偽)→善”という流れだろうか。この”心”は人間が本来持っているものだというから話がややこしくなる。それなら、性悪を善に変える力を、本質的に持っていることになるのだから、結局、孟子と同じ性善じゃないかと思うのだが、どうもそう単純ではないらしい。そう単純じゃない理由が内山の説明からはよく理解できない。

青は藍より出でて藍よりも青し

よく聞くことばだが、これが荀子のことばだとは知らなかった。藍の色は藍草から取るが、もとの藍草より青い、さらに続けて、氷は水よりなるが水よりも寒(つめ)たし。そのように人も学問を続けていれば師を凌ぐことができる。と学問を勧め、性悪を善に変えなければいけないと荀子は言うのである。

天人の分

天すなわち自然と人間を分離し、水火、草木、禽獣、人間の順に人間を自然より優位に置く。人間は天に対して客観的で主体的に自然に働きかけることができる。ところが荀子は別に”人の運命は天にあり”と言っているので、この天は老子列子の道教の天(道)に近い超自然的・観念的なものになっている。天を物質的な自然と見る天人の分とは矛盾するように思える。内山は矛盾ではないというのだが、この論理も理解できないし、彼の本のどこに矛盾でない理由が書かれているのかわからなかった。”人間は、自然を変化させて自分の目的に役立つようにし、自然を支配する。”という意味のことを言ったのはエンゲルスで、荀子も自然を統御するという考え方らしい。梅原猛山折哲雄も宮沢賢治も、このような西洋的(荀子は東洋だけど)な自然観を捨て、もっと自然に謙虚であれと、声を高くするのである。

韓非と李斯

二人とも荀子の弟子のあと秦に仕えた法家である。性悪を心や礼ではなく、法によって人を治めようとした。性悪である人間に礼を行わせ善にするのだが、当然、性悪なので、孔子や孟子が言うように君主が模範的に道徳的なら民は収まる(徳治主義)ということにはならないので、荀子が言わなくても早晩、法家のような考え方が出てくるのは当然だったと言える。だから、仁や徳の徳治主義をとなえる儒家としての荀子はここでも矛盾を抱えていたことになる。

孔子、孟子、荀子ともに儒家の理想を掲げて現実の政治に関わろうとしたが、儒家思想そのものが現実から乖離した理想論だったため誰も彼らを使おうとはしなかった。結局、戦国時代の儒家は夢想と矛盾のなかにいたのだから、荀子の思想に矛盾があってもどうってことはないのである。

内山の「荀子」を熟読もせず理解もせずに論ずることに若干忸怩たる思いを持つが、荀子で立ち止まると先に進めないのでこの辺で勘弁してもらおう。誰に許しを請うているかといえば、もちろんお天道様に決まってる。お天道様ってもしかして道教から来ているのかも?若干は少しの意、忸怩は深く恥じ入ること。この組み合わせは完全に矛盾している。”矛盾”は法家の韓非が孔子や儒家の教えを批判するために使ったと言われている。孔子様でさえ矛盾を犯すのだから、ましてや私ごときが矛盾を犯しても誰も非難はすまい。