備忘録として

タイトルのまま

津和野にて

2009-07-06 21:12:25 | 
”余ハ少年ノ時ヨリ老死ニ至ルマデ
一切秘密無ク交際シタル友ハ
賀古鶴所君ナリ コヽニ死ニ
臨ンテ賀古君ノ一筆ヲ煩ハス
死ハ一切ヲ打チ切ル重大事
件ナリ 奈何ナル官憲威力ト
雖 此ニ反抗スル事ヲ得スト信ス
余ハ石見人 森林太郎トシテ
死セント欲ス
 宮内省陸軍皆
縁故アレドモ 生死別ルヽ瞬間
アラユル外形的取扱ヒヲ辞ス
森林太郎トシテ死セントス
墓ハ 森林太郎墓ノ外一
字モホル可ラス 書ハ中村不折ニ
依託シ宮内省陸軍ノ榮典
ハ絶對ニ取リヤメヲ請フ 手續ハ
ソレゾレアルベシ コレ唯一ノ友人ニ云
ヒ殘スモノニシテ何人ノ容喙ヲモ許
サス  大正十一年七月六日
森林太郎言
賀古鶴所書”

という森鴎外の石碑が先週行った津和野にあった。
鴎外は、この遺書を口述した三日後の7月9日に死去している。享年61歳
遺言通り三鷹市と津和野永明寺にある鴎外の墓は「森林太郎墓」とのみ記されているらしい。
森鴎外の作品は、「山椒大夫」と「ヰタ・セクスアリス」しか読んでいない。、「山椒大夫」は安寿と厨子王の胸に迫る話なのだが、幼いころ見た東映アニメの”安寿恋しやほ~やらほい、厨子王恋しやほ~やらほい”と盲目の母が歌う記憶かもしれない。この話を描いた絵が安野光雅美術館にあった。

津和野永明寺には坂崎出羽守の墓もあるらしい。墓には坂井と刻されているらしい。坂崎出羽守は、あの有名な千姫(豊臣秀頼の正妻、家康の孫、秀忠の娘)事件の坂崎である。
当時、江戸に滞在していたイギリス人のリチャード・コックスの日記によると、
”大阪城から千姫を助けだしたら姫を与えるという家康の約束を秀忠に反故にされたため、千姫と本田忠刻の結婚の前日に千姫を無理に奪うと広言した。これを秀忠に咎められ切腹を命ぜられるが従わず、屋敷にこもって抵抗する。秀忠は屋敷を囲み坂崎の家臣に主君を黙って差し出せば家督を19歳の息子に継がせると伝えるが、これを聞いた坂崎は息子を殺した。家臣たちは坂崎を殺し、自分たちの助命と他の子に家督を継がせることを伝えたが秀忠は許さず、藩は潰された。”
”関ヶ原の合戦の戦功により、慶長6年(1601年)津和野藩の領主となり、16年間にわたって藩のためにつくし多くの偉業を残した名君であった坂崎出羽守が、千姫事件を起こしたとは考え難い。”というようなことを、津和野のどこか(安野光雅?)に書いてあった。

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