備忘録として

タイトルのまま

トロイア戦争全史

2010-03-06 22:07:59 | 西洋史
 松田治の「トロイア戦争全史」を読むまでトロイア戦争を通して読んだことがなかった。1955年の映画「トロイのヘレン」や2004年の「トロイ」以外では、木馬の話やアキレスの話を断片的に読んだり観たりしたのがすべてで、上原和の「トロイア幻想」やテレビドラマの「タイムトンネル」もそんな断片情報である。シュリーマンが諳んじるほど読んだというホメロスの「イリアス」や「オデュッセイア」は本屋でパラパラとめくっただけで断念してきた。
 「トロイア戦争全史」を読み始めは、登場人物一人一人の系図や神との関係や出身地などに気を配っていたが、そのうち登場人物が増えるにつれて面倒くさくなり、話の先を早く知りたいという期待が優り、結局訳のわからないまま読み飛ばしてしまった。とにかく神と英雄と美女が入り乱れた壮大な戦争叙事詩なのである。

<物語の始まり> ゼウスは、ヘーレー(ヘラ)、アテネー、アフロディーテの3女神のうち誰が一番美しいかをトロイア王プレアデスの王子パリスに選ばせることになった。彼は絶世の美女ヘレネーを与えることを約束したアフロディーテを選び、他の二人の女神に憎悪された。
<ヘレネー(ヘレン)の掠奪> パリスは約束に従い、ミュケナイ王アガメムノーンの弟メネラーオスの妻だったヘレネーをスパルタから掠奪する。しかし、大勢いたヘレネーの求婚者たちは、誰が夫に選ばれようとヘレネーが奪われるようなことがあれば一致団結して奪い返すことを約束していた。
<カッサンドレー(カサンドラ)の予言> トロイア王の娘カッサンドレーはアポロン神に見初められ予言の力を与えられるが、アポロンの言うことを聞かなかったためカッサンドレーの予言は誰も信じないことにされてしまう。
写真はギリシャ旅行に行った知り合いからもらった壺で、竪琴を弾く若者と鳥を手にした乙女が描かれている。二人は双子のアポロンとアルテミスだと想像するのだが、壺には何も書かれていない。
<20年戦争> アガメムノンを総大将としたアカイヤ軍(ギリシャ)とヘクトールを大将とするトロイア軍は一進一退を繰り返す。半神半人のアキレウス(アキレス)を中心に、アキレウスの友人パトロクロスの戦死、ヘクトールの戦死、アマゾネスとエチオピア王メムノーンのトロイア援軍、アキレウスの死、アキレウスの息子ネオプトレモスの参戦、パリスの死が語られる。
<トロイアの木馬> ギリシャ軍の知恵者オデュッセイア(オデッセイ)は偽りの贈り物である木馬をトロイアに贈ることを考え出す。
<トロイア陥落> 木馬に潜んだギリシャの英雄たちは隠れていた味方をトロイア城中に導きいれると、城はまもなく陥落し、戦争は終結する。トロイア側の男は殺され、女は戦利品としてギリシャ軍に掠奪される。ヘレネーは夫メネラーオスのもとへ帰る。
<帰還> 帰路につくギリシャの船団は嵐に遭遇し、英雄の何人かは遭難死する。ポセイドンの怒りを買ったオデュッセイアは遭難を繰り返し故郷のイタカ島に帰るのは何年も後のことになる。オデュッセイアの漂泊と冒険はこの本では語られない。それは、フランシス・コッポラ監督による1997年の映画「オデッセイ」で観た。

登場人物の名前の呼び方は本に依った。
この本を読んだあとで、「トロイア幻想」を読むと上原和の古代への憧憬に、より共感できるはずである。現地に立った上原和の眼を通して英雄と美女たちの運命に思いを馳せるのである。

<話のタネ1> アキレスと亀
ゼノンのパラドックスと呼ばれ、アキレスは永久に亀に追いつけないというパラドックス
 アキレスと亀が競争をすることになり、ハンディーとして足の遅い亀は前方の地点Aからスタートする。アキレスが地点 A に達した時には亀はアキレスがそこに来る時間分だけ先のB地点まで進んでいる。アキレスが B地点に来たときには亀はまたその先に進んでいる。これを何度も繰り返すと、いつまでたってもアキレスは亀に追いつけない。
 繰り返す回数は無限に分割できるが時間と距離は有限で、追いつく時間と場所はあらかじめ提供されているのである。追いつく時間と地点の前を無限に切り取っているだけなのである。

<話のタネ2> アキレス腱
半神半人のアキレスは母親の女神テティスによって火にあぶられ不死身の体を与えられたが、女神が握っていたアキレスの踵は弱点として残ってしまった話は有名。

<話のタネ3> シーシュポス
オデュッセイアは、シーシュポスの息子だという説がある。カミュの「シーシュポスの神話」によると、シーシュポスはゼウスに逆らったため、やっとの思いで山頂に運び上げた岩が頂上まであとすこしのところで谷底に転げ落ち、それをまた運び上げなければならないという永遠の罰を与えられる。
 単調な苦役に救いはない。似たような罰が往生要集にあり、地獄の役人に切られた足がまた生えるので永遠に痛みが続くというものだったと記憶している。シーシュポスは少なくとも岩を運びあげる作業の中に希望を持てる。あるいは一瞬の達成感も味わっているかもしれない。もっとも瞬時に絶望を味わうのだが。ただ、これは往生要集の永遠に続く肉体的な痛みに比べるとまだしも耐えられるような気がする。人間の人生なんてシーシュポスが背負っている業苦とあまり違いはない・・とカミュは言いたいのだろうか。

<話のタネ4>カサンドラ・クロス(The Cassandra Crossing)
ソフィア・ローレンとリチャード・ハリス主演の映画(1976年)で高校時代に観た。列車の衝突地点の橋梁がカサンドラクロスだったので、トロイアの予言者カサンドラから名付けたと思う。他に好きな俳優のバート・ランカスターとエヴァ・ガードナーが出ていた。映画の内容をあまり覚えていないのでB級だったのだと思う。

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