備忘録として

タイトルのまま

ルネッサンスの女たち

2017-07-23 18:42:27 | 西洋史

 田中英道がモナ・リザのモデルとしたイザベラ・デステのことがもっと知りたくて、彼女のことを描いた塩野七生『ルネッサンスの女たち』を古本屋で探してきた。彼女の生きた時代を理解するために、本から拾ったルネッサンス時代の略年表と1494年の勢力図(Wiki英語版)を掲げる。

  • 1474 イザベラ・デステはフェラーラ(フェラーリの発祥地)の公爵エステ家に生まれる。
  • 1490 イザベラは16歳で隣国マントヴァ公国のフランチェスコ・ゴンザーガ侯爵と結婚する。
  • 1491 イザベラの妹ベアトリーチェがミラノ公国の摂政ルドヴィーコ・スフォルツァ(イル・モーロ)と結婚する。
  • 1495 ナポリがフランス軍に征服される。イル・モーロがミラノの公爵となる。
  • 同年 イザベラの夫フランチェスコが反フランス同盟軍の総司令官として、タローの戦いでフランスに勝利する。
  • 1497 妹ベアトリーチェ死去
  • 1499 アレッサンドロ6世の息子チェーザレ・ボルジアはフランス軍とともにミラノに侵攻する。カテリーナ・スフォルツァが守るフォルリを落とす。
  • 同年 レオナルド・ダ・ビンチがマントヴァに立ち寄りイザベラのデッサンを描く。
  • 1500 フランス軍・チェーザレ軍がミラノを占領。。
  • 1501 チェーザレがウルビーノ征服。フェラーラのアルフォンソ1世・デステ(イザベラの弟)とチェーザレの妹ルクレチア・ボルジアの結婚。ルクレチア・ボルジアはイザベラの夫フランチェスカと不倫関係になる。
  • 1502 レオナルド・ダ・ビンチがチェーザレの軍事技術者となる。フィレンツェの外交官マキャベリがチェーザレに会う。
  • 1503 法王アレッサンドラ6世死去。チェーザレ没落。ジュリオ2世が法王となる。
  • 1509 マントヴァを始めイタリア諸国はフランスと結び対ヴェネチアと戦争を始める。フランチェスコがヴェネチアに捕虜となる。
  • 1510 イザベラはマントヴァを防衛しつつ、ヴェネチア、法王、フランス、ドイツと交渉し夫の釈放に成功する。
  • 1511 法王がフランチェスコを指揮官としイザベラの実家フェラーラを攻めるが、イザベラは巧みに夫を指揮官から降ろし法王の野望を断つ。
  • 1513 法王ジュリオ2世死去
  • 1519 フランチェスコ死去
  • 1527 ドイツ・スペイン連合軍はイタリアに進行し、イザベラの居たローマではヴァティカンを守るスイス傭兵が全滅する。(ルネッサンスの終焉)
  • 1539 イザベラ死去

PAPAL STATESとは法王領である。法王はコンクラーベで選ばれるので世襲ではない。

塩野七生が「ルネッサンスの女たち」でイザベラ・デステ以外に取り上げた女性は、

  1. ルクレツィア・ボルジア(1480-1519) 法王アレクサンドル6世の娘でチェーザレ・ボルジアの妹で、イザベラ・デステの弟アルフォンソ1世と結婚した
  2. カテリーナ・スフォルツァ(1463-1509) 夫が殺され子供が人質になったとき「何人でも子供はつくれる」とスカートをめくって反乱者を挑発した女傑で、後年チェーザレ・ボルジアに敗れフォルリ国を明け渡した彼女もモナ・リザのモデルの一人として名前が挙がっている。
  3. カテリーナ・コルネール(1454-1510) ヴェネチアの貴族でキプロス王妃になり夫に代わり自身で統治しようとしたがヴェネチアに割譲する。ヴェネチアは当時東地中海の制海権を握っていた。シェークスピアの悲劇「オセロ」はその頃のヴェネチアの軍人の話。

『ルネッサンスの女たち』の挿絵で使われていた肖像画(白黒)をWikiからコピーした。左からルクレツィア・ボルジア、カテリーナ・スフォルツァ、カテリーナ・コルネール


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