イスタンブールの考古学博物館を散策しているとき両性具有のヘルマプロディートス(Hermaphroditus)の大理石像(BC3世紀頃)があったので思わず下の写真を撮った。ギリシャ神話で、彼はヘルメスを父、アフロディテを母とする美少年だったが、nymphと合体し両性具有になった。これが両性具有(hermaphrodite)の語源である。ヘルマプロディートスとは形態が少し違うが、プラトン(BC427~347)の著した『饗宴』でアリストパネスが語った二重人物がいる。
人間はもともと背中合わせの一体(下の絵)であったが、神によって2体に切り離された。このため人間は互いに失われた半身を求め、男らしい男は男を求め、女らしい女は女を求め、多くの中途半端な人間は互いに異性を求める。
これがプラトンのいう男女の愛と同性愛の起源である。上の説明を信じるなら、同性愛の方が異性間の愛よりも優れていることになる。古代ギリシャはLGBTに肯定的な社会だったことがわかる。田中英道は著書『レオナルド・ダ・ビンチ』と『ミケランジェロ』の中で、彼らの作品に二重人物が描かれているという説を提唱している。
上左:イスタンブール考古学博物館のHermaphroditus、上右:田中弘道『レオナルド・ダ・ビンチ』から二重人物
レオナルドやミケランジェロらが活躍したルネサンスは、古代ギリシャやローマの文学、芸術、音楽、建築を復興しようという運動で、イタリアでは14世紀のダンテらに始まり、1453年のコンスタンチノープルの陥落で多くのギリシャ人がイタリアに亡命したことで運動は一気に加速された。プラトニズム(プラトン主義)もその時に持ち込まれたもののひとつで、フィレンツェのフィチーノ(1433~1499)はメディチ家の後援でプラトンの著作をラテン語翻訳し、集まった彼の友人たちは、愛や美を語り合った。フィチーノの集まりはプラトンが設立したアカデメイア学園にちなみプラトンアカデミーと呼ばれた。フィチーノの集まりで朗読されたプラトンの『饗宴』は、ソクラテス、アリストデモス、パウサニアスらが集まり“愛(エロース)”について語り合った様子を描いたもので、その中のひとりであるアリストパネスが二重人物について語った。
下の絵に示すように、レオナルドの『三王礼拝』には3対、『岩窟の聖母』では2対の二重人物が描かれている。ミケランジェロは『ドー二家の聖家族』で背景に二重人物を配している。
上左:レオナルドの『三王礼拝』と二重人物、上中:レオナルドの『岩窟の聖母』(Wiki)上右:ミケランジェロの『ドーニ家の聖家族』(Wiki)
レオナルドもミケランジェロも同性愛者だったことが知られている。厳格なキリスト教が支配する中世のイタリアでは同性愛は罪悪だとされ、レオナルドも同性愛者の嫌疑を受け訴追されている。そのため、プラトンの愛はキリスト教と折衷しなければならなかった。プラトンの二重人物は対等であったものを、フィチーノは二重人物の一方を魂とし神と同じ立場に置き、一方を肉体的な存在とした。肉体は神を愛そうとする存在と解したのである。すなわち、愛を神への愛に限定した。ミケランジェロの『ドーニ家の聖家族』はフィチーノのこの解釈を踏襲したと田中は解説している。この構図はミケランジェロのレオナルドに対する挑戦であり、プラトン・レオナルド的な人間の至福を否定し、キリストを強調することで神による愛のみが人間の救済となることを示したのだとする。
『饗宴』で肉体的な愛よりも優れているとされた精神的な愛(プラトニック・ラブ)は今や死語だそうである。