備忘録として

タイトルのまま

ディオゲネス

2015-01-16 11:25:34 | 西洋史

アレキサンダー大王がまだマケドニアの将軍だったころ、ギリシャのコリントスに住む有名な哲学者に会いに行った。アレキサンダーは日向ぼっこをしている哲学者の前に立ち「何かのぞみはあるか?」と聞くと、「あなたがそこに立つと日陰になるのでどいてほしい」とその哲学者は答えた。はるか昔に購読していた月刊少年雑誌の読み物の記憶だ。この哲学者はディオゲネスなのだが、後にアレキサンダー大王の家庭教師となるアリストテレスと初めて会ったたときの話だとずっと記憶違いをしていた。いつのまにか記憶の中でディオゲネスがアリストテレスにすり替わり、ディオゲネスの名さえ忘れ去っていた。だから、シャーロック・ホームズの兄マイクロフトが所属するディオゲネス・クラブにも反応できなかった。ディオゲネスを知ることになったのは、ギリシャ文化の影響を受けたガンダーラ美術が花開くきかっけになったアレキサンダー大王の遠征を調べる中でのことである。

上の絵と写真はWiki英語版より。左はアレキサンダーとディオゲネス、中はトルコにある犬を連れたディオゲネス像、右は昼にランプを灯して正直な人間を捜しているところ。

ディオゲネスの略歴と思想

ギリシャ植民地の黒海に面するシノペでBC412年に生まれたディオゲネスは、アテネに出てきてソクラテスの弟子アンティステネスの弟子になる。著作が残っていないのでディオゲネスの思想は、彼の生き方や彼が言ったとされる断片的な言葉などから推定するしかない。基本的には師匠アンティステネスのCynicism(キュニコス派)と呼ばれる思想を受け継ぐ。人生の目的は徳に生きることであり、禁欲と無為自然を重視し、富、名声、権力を否定し、肉体と精神を鍛錬し実践する。孔子の徳と中庸、荘老の無為、仏教の無私無欲を併せたような思想である。上の写真で犬を連れているのは、ディオゲネスが大樽の中で暮らすなど犬のような生活をしたことと、CynicismのCynicは古代ギリシャ語で犬を指すことによる。そのころのギリシャ人はそれぞれの都市国家に所属することで自己のアイデンティティーとしていたが、彼は自分を世界市民(コスモポリタン)と称した。ディオゲネスを有名にしたのは思想よりも、アレキサンダー大王との出会いに代表されるような風変わりな逸話である。逸話はwikiに詳しい。日本語版Wikiディオゲネス(犬儒学派)にも書いてあるが、英語版がより詳しいので、その中でも痛快な話を下に訳出した。

    • プラトンが”人間の定義は羽のない二足動物”と言ったところ、ディオゲネスは羽をむしった鶏を持ってきて”人間を連れてきた”とプラトンに言った。その後、プラトンは人間を”平たい広い爪を持つ羽のない二足動物”と言うようになった。
    • ディオゲネスが海賊に捕まり奴隷として売られようとしたとき、買い手が何が得意か聞いたところ、”自分は人を支配することが得意だから、ご主人を必要とする人に売ってくれ。”と言った。買い手のクセニアデスはこの答えが気に入りディオゲネスを自分の子供たちの家庭教師にした。
    • アレキサンダーが、”自分がアレキサンダーでなかったらディオゲネスになりたかった”と言うのに対し、ディオゲネスは、”自分がディオゲネスでなかったならば、ディオゲネスになることを望む”と答えた。

シニカル(Cynical=皮肉)という言葉は、Cynicismからできた言葉で、上のような皮肉ばかり言っていたからだろう。とにかくディオゲネスは筋金入りの奇人変人である。

植村清二とディオゲネス

植村清二の『アジアの帝王たち』に、息子の鞆音が”父の遺したもの”というあとがきを書いている。若くして妻を亡くし幼子3人を育てる清二が、子供たちを連れて銭湯へ出かけ、道すがら星座や森鴎外の『寒山拾得』などの話を聞かせてくれた思い出である。その中にディオゲネスの話もあったという。風変わりな哲学者の話を幼子に聞かせながら銭湯へ行ったというところが私のような常人とは違う。植村清二は軍国主義に反対し新潟に左遷される。物に執着せず分相応と倹約を心掛け、死後遺されたものは夥しい数の蔵書だけだったという。清貧で権威に屈しない生き方は、ディオゲネスに似ているので、植村清二はディオゲネスに共感していたのかもしれない。

ディオゲネス・クラブ

シャーロック・ホームズ「The Greek Interpreter(ギリシャ語通訳)」で、作者アーサー・コナン・ドイルが描写するディオゲネス・クラブが下の英文である。英文中のカッコ内で示したような人間でも、座り心地のよい椅子と最新の定期刊行物は好むので、そんな人間のためのクラブである。会員はクラブで”Stranger Room”(見知らぬ人間の部屋)という個室を使う。クラブのルールは、他者に関心を示さないことと、”しゃべらないこと”で、3回違反すると退会させられる。兄のマイクロフトは創立者の一人でシャーロックもクラブの雰囲気を気に入っている。英文中unclubableという単語の意味は辞書ではnot socialとなっているが、それだとすぐ前のunsociableとかぶってしまうので、”最もクラブに適さない”と訳した。”最もクラブに適さない人間たちのクラブ”というところが、まさに、cynical(皮肉)のディオゲネスっぽく、ドイルの洒落が効いたところだと思う。察するに、植村清二と同じようにアーサー・コナン・ドイルもディオゲネスの生き方が相当気に入っていたのだと思う。

"There are many men in London, you know, who, some from shyness(内気), some from misanthropy(人間嫌い), have no wish for the company of their fellows(群れることを望まない). Yet they are not averse to comfortable chairs and the latest periodicals. It is for the convenience of these that the Diogenes Club was started, and it now contains the most unsociable(最も社会性のない) and unclubable(最もクラブに適さない) men in town. No member is permitted to take the least notice of any other one. Save in the Stranger's Room, no talking is, under any circumstances, allowed, and three offences, if brought to the notice of the committee, render the talker liable to expulsion. My brother was one of the founders, and I have myself found it a very soothing atmosphere."

「シャーロック・ホームズ」に記述はないが、ディオゲネス・クラブはイギリス情報局と関係があると推測されている。マイクロフトが政府の機密を扱う重要な役職にあると「ブルースパーディントン設計書」に書かれていることが推測の理由である。この推測は、ビリー・ワイルダー監督の映画「The Private Life of Sharlock Holmes」によって一般的になったといわれる(Wiki英語版)。テレビ映画Sherlockの「The Reichenbach Fall」の回では、マイクロフトを訪ねたワトソンがクラブ内で大声を出したため、クラブの執事に手荒く扱われる。
 
「アテナイの学堂」のディオゲネス
 
下はラファエロの描いた有名な「アテナイの学堂」で、ギリシャの哲学者が一堂に会している。真ん中で天を指さすのがプラトンで地を指すのがアリストテレスである。ディオゲネスは二人の下、階段に座り足を投げ出している白髪の老人とされている。この絵からも変人ぶりがうかがえる。20年ほど前のイタリア旅行の時、広大なバチカン美術館の中を「アテナイの学堂」を探して歩き回ったが結局発見できず見逃してしまった。

 

今回はチャンギ空港の待合室からアップした。


最新の画像もっと見る