備忘録として

タイトルのまま

アレキサンダー大王

2015-08-30 15:23:15 | 西洋史

左上写真はシンガポールのオーチャードロードのカフェで飲んだConquerer Caoと名付けられたお茶のセットである。Conquerer Caoとは三国志の曹操(Cao Cao)のことである。曹操は中国であまり人気がないと聞いていたのに、右上のメニューにあるように、Great Alexander(アレキサンダー大王)やBeauty Yang(楊貴妃)と並んでいる。楊貴妃のアイスクリームには彼女が愛したライチ(茘枝)が添えられている。値段のわりにお茶もアイスクリームも大したものではなかったが話の種に飲食した。

4月に上野博物館の「インドの仏」展に行ってもう4ケ月が経つ。2世紀のカニシカ王の頃のガンダーラやマトゥーラで出土した仏像展である。狭い展示場にひしめく参観者の列に押されながら展示物の解説を斜め読みして足早に観て回った。写真撮影も禁止で、私のような素人には常設館の方がよほど良かった。展示されていた仏像は皆、ギリシャ風、ヘレニズム風の顔付をしていた。これがアレキサンダー大王の遠征に由来することは周知のことである。

マケドニアのアレキサンダー大王(アレクサンドロス3世)が西北インドに侵攻したのは紀元前327年のことである。当時の西北インドは統一国家がなく小国家が乱立していたため、大王はさしたる抵抗もなくその地を征服した。下の地図はWikiの大王の版図と遠征経路で、インダス川を東には渡らず引き返している。インド側連合軍の抗戦に遠征軍が厭戦的になったことに加え、ガンジス川周辺の国々が象や騎兵からなる大軍で待ち構えているといううわさに恐れをなして、インダス川から東への遠征をあきらめる。大王は大艦隊を組織し、インダス川を下り海に出てメソポタミアに帰還し、紀元前323年7月、バビロンにおいて熱病で客死する。アレキサンダー大王の一次資料として、自身が書いた「アレキサンダー大王伝」や、部下の将軍たちが残した従軍記があった。それらはアレキサンドリアの古代図書館に所蔵されていたが火事で消失したと言われる。

大王の遠征は各地に大きな足跡を残したが、インドの史書に彼の名は残されていないという。『古代インド』中村元によると「アレクサンドロスの侵入も、インド社会の実態を変革することができなかった。民衆を直接に統治する人々の組織は旧態のままであり、ただ最高主権者の地位と、それに付随する利益とを、ギリシャ人が得ただけである。政治的支配機構にも変革は起こらなかったらしいし、人民の生活の実態には、ほとんどなんの影響もおよばさなかった。---西洋人にとっては、アレクサンドロスのインド遠征は重大な歴史的事実であって多数の記録が残されているが、インド人にとってはじつはどうでもよいことなのであった。---(侵入者)は、インド社会の実態を変えることはできなかった。」ということである。

とはいうものの、アレキサンダー大王は遠征の途上、アレキサンドリアというギリシャ風の都市を各地に建設し、ヘレニズム文化やガンダーラ美術を生み出した。アレキサンダー大王の死後、強いものが統治するという遺言により部下の将校たちが争い征服地は大きく3つに分裂した、バビロンを中心にアフガニスタンやインド西北を領有したセレウコス、エジプトのプトレマイオス、マケドニアのアンティゴノスである。セレウコス朝の東部は紀元前3世紀にバクトリアやパルチアなどの王国に分裂し、紀元1世紀にインドのクシャーン朝に統一される。クシャーン朝3代目は、仏教を保護しガンダーラ美術を花開かせたカニシカ王(紀元2世紀)である。エジプトのプトレマイオス朝は、クレオパトラ(紀元前30年頃)のときにローマに征服されるまで約300年間続いた。マケドニアのアンティゴノス朝もそれ以前にローマ帝国によって滅ぼされる。一方、インダス川以東は、アレキサンダー大王に従ったチャンドラグプタがマウリア王朝を創始する。その3代目がアショカ王(紀元前3世紀)である。

ところで蛇足だが、日本では楊貴妃、クレオパトラと並び小野小町が世界三大美女とされているが、小野小町にはかなり無理があると思う。楊貴妃とクレオパトラは、大帝国を傾けた傾国の美女だったが小野小町は単なる女流歌人で出身地とされる秋田県人には申し訳ないがスケールが違いすぎる。外国では、トロイのヘレンを含めるという説があるらしいが三大美女というようなランキングが実際に存在し認知されているかどうかは定かでない。中国四大美女はWikiにあった。周春秋戦国時代の西施、漢の匈奴に下賜された王昭君、三国志の呂布が虜になった貂蝉、唐の玄宗の寵姫である楊貴妃である。ついでに中国三大悪女は、漢の高祖の妃である呂后、唐の高祖の則天武后、清の西太后である。これに殷の酒池肉林で有名な妲己が加わる場合もあるらしい。妲己は九尾の狐となって日本にも来ている。

「Iskandar」は、ペルシャ語によるアレキサンダーのことで、シンガポールのとなりのマレーシア・ジョホールで開発中の商業地区は「Iskandar Malaysia」と名付けられている。Iskandarはアレキサンダー大王を直接指すものではなく、かつてのジョホール州のサルタンの名前である。モスリムの王でこのアレキサンダーにちなんだ名をつける人は多いらしい。Iskandar Malaysiaは、マレーシアとシンガポール政府の肝いりで、中国の深圳と香港の関係を目指して開発が進められているが、最近の原油安、中国経済の後退、株価暴落などによって暗雲が立ち込めている。ジョホール・バルでは過去にも複数の大型の商業、住宅、リゾート、アミューズメント施設、カジノの開発が進められた。いくつかは計画段階で消え、いくつかは開発途中で破たんし、いずれも成功したものはない。今回のIskandarもこの先どうなるのだろうか。 


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