備忘録として

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纏向遺跡

2011-04-30 13:13:26 | 古代

 ”邪馬台国の最有力候補?纏向(まきむく)遺跡にまたも3世紀前半の大型建物跡が見つかる”4月28日付各紙

 奈良新聞より

というニュースに心穏やかでいられないのである。なぜなら、20年ほど前に古田武彦の「邪馬台国はなかった」を読んで以降、九州説を支持しているからだ。九州説は魏志倭人伝の記事では確実に勝っているので、あとは考古学的発見を待つだけだった。その後、魏志倭人伝に記載のある国とされる吉野ヶ里遺跡の発見や古田の九州王朝説をはじめとした一連の著書に接し、”九州で決まり!”と確信していた。ところが、ここのところ畿内説に有利な3世紀の考古学的発見が相次ぎ、考古学的には近畿が九州を圧倒しているのである。さらに10数年ほど前、古田武彦が東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)論争でほぼ敗北し、もともと弱かった学界での存在感を喪失し、日本の古代史を書き換えるとまで言われた九州王朝説までもが危機的状況に陥ったのである。

 昨年9月の奈良の旅では、明日香から奈良に移動するときに纏向遺跡と箸墓古墳の近くを通過したが、九州説派が纏向遺跡に関心があるはずもなく、車窓から発掘現場を見ながら、”おお、掘ってる掘ってる”と、どちらかと言えば冷ややかに現場をやり過ごしたのである。しかし、この地道な発掘作業が大きな発見を産み学説を補強しているのである。写真の奥に見える線路が明日香から奈良に行くときに乗ったJR桜井線である。こんなことになるなら、途中下車して見とけば良かった。ところで、奈良新聞Web版には考古学欄があるので時々お世話になる。

 ”九州の考古学界は何をしてるんだ。こんなんじゃ、九州説支持派を一人失うぞ!”と、はるかシンガポールから犬の遠吠えをしておく。もうひとつ、梅原猛に言いたい。震災復興構会議も忙しいだろうけど、鬼籍に入る前に邪馬台国について自説を披露してほしい。


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