備忘録として

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九州王朝

2013-10-15 23:19:52 | 古代

古田武彦の九州王朝説は、本人曰く「学会から無視されている」。ところが、古代史学会の泰斗である井上光貞は、今読んでいる「飛鳥の朝廷」の中で、関東と九州の金石文に雄略天皇の名が見えることから九州王朝の根拠はなくなったと述べているので、まったく無視はしていない。それどころか、本の末尾に1章を設け唐突に九州王朝説に言及していることや、空中楼閣だと強い言葉で否定しているので、井上光貞は九州王朝説に相当ひっかかっていたとみるべきかもしれない。「邪馬台国はなかった」という人目を引くタイトルで初めて古田の本に触れ、その後、古田の古代史シリーズにのめり込んでから20年は経つだろうか。古田に出会うまでにもいろいろな著名人の古代本を読んではいたが、九州王朝説ほど衝撃を受けたものはなかった。強いてあげれば江上波夫の騎馬民族征服説くらいだろうか。古田によって古代史の魅力の虜になり、その後、梅原猛や上原和に熱中していったのだと思う。古代は資料が限られているので想像力がいるのである。

古田の九州王朝説は、中国の史書に見える倭国あるいは日本国の記事と記紀に代表される日本側の記述の矛盾の多くが九州王朝という仮説によって説明できるというものである。以下がその概説である。

  • 古代、日本列島には、九州王朝、大和王朝、吉備王朝、出雲王朝、関東王朝などの国が勢力を競いながらそれぞれの地域を支配していた。しかし、中国の歴代王朝が交渉を持ち、倭国と認識していたのは、中国の最初の史書(山海経?)に現れたときから旧唐書までずっと、九州にあった。それは、卑弥呼の倭国であり、700年近くまで存続していた。
  • 九州王朝は、九州北部(筑紫や大宰府)に都を持ち、朝鮮半島の南部をも含めた海洋王国であった。
  • 6世紀以前の記紀に中国との交渉史がまったく出てこないのは、中国側の邪馬台国や倭の五王の朝貢記事と相容れない。このことと、倭の五王と大和朝廷の天皇の即位年代や相続関係が一致しないということは、倭の五王は大和朝廷の天皇とは別系統の九州王朝の大王たちだったからである。
  • 磐井の反乱の磐井は九州王朝の大王で、反乱を起こしたのは大和政権の方だった。
  • 6世紀の磐井の陵墓にある石人は当時の裁判を表現しており、九州ではすでに律令制が敷かれていた。
  • 隋書に記述されている隋の煬帝に国書を送ったアメノタリシヒコは、その妻妾の数まで記載されているように明らかに男王であるが、当時の大和政権は、女帝の推古天皇である。通説では女帝であることを隠し摂政の聖徳太子を大王として国書を送ったとするがこの解釈には無理がある。九州王朝の男の大王が使者を送ったとすれば隋書の記述を無理なく理解できる。
  • 遣隋使の派遣年次が日本書紀と隋書では異なっている。遣隋使の答礼使である裴世清は、九州までしか訪問せず、大和には行ってない。
  • 唐・新羅連合軍と白村江で戦ったのは九州王朝である。旧唐書には、白村江の戦いで、倭の天皇・薩夜麻(さちやま)が捉えられたと記録されている。斉明天皇は九州までは行ったが捕虜になってはいない。白村江で日本軍は壊滅的な敗北を喫したが日本書紀にある大和朝廷にはその緊迫感がまったくない。
  • 6世紀初めから700年ごろまで続く九州年号が存在するが、記紀にはその断片しか記録がない。年号の改元年と大和朝廷の天皇の崩御と即位年がまったく一致しないことは不自然である。九州王朝は年号を持っていたが、大和政権には独自の年号がなかった。
  • 旧唐書には倭人伝と日本伝があり、倭国の使者と日本国の使者が自分の正統性を主張し言い争いをしたと記録されている。

上記以外にも、壬申の乱は九州王朝と大和王朝戦いだった論や法隆寺移築論などがあるが、論理が飛躍しすぎだろうと思うものは恣意的に省いた。 

九州王朝説に対しては様々な反論や批判があるが、その多くは方法論に対する批判だったり、一部の資料の恣意的な解釈や信憑性への批判だったり、古田個人への批判だったりで、井上光貞のように九州や関東で大和朝廷の支配が確立していたという証拠をあげる正統な反論は少ないように思える。井上光貞の指摘に対して古田は、両金石文の大王名は雄略天皇ではなく、その地方の固有の大王名だとし真っ向から対立する意見を述べている。九州王朝説と大和一元王朝のどちらがより矛盾なく文献資料や考古学資料を解釈できるかを問うべきであり重要なのである。同じように、梅原猛の多くの仮説も古田と同じように学会からは無視された状況にあり、彼らの出自が古代史専門でないことや、ある資料の解釈が恣意的であったことをことさら取り上げて否定するのは正しい態度とは言えないのではないかと思う。九州王朝説を完全に真正面から否定する反論にはまだお目にかかっていないのである。


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