六十二
泥棒が阿弥陀様を念ずれば阿弥陀様は摂取不捨の誓によって往生させて下さる事疑いなしといふ。これ真宗の論なり。---彼らが精神の状態は果して安心の地にあるか、あるいは不安を免れざるか、心理学者の研究を要す。(子規は浄土真宗の悪人正機説に疑義を抱いている。)
六十七
家庭教育について論じる。女子の教育の必要性、一家団欒と高尚な人(親)の雑談の大切さを説明し、家庭教育は学校教育よりも重要だという。(I agree.)
七十三
炊飯会社があれば、飯を炊く時間を他のことに向けることができるという合理的な考えを述べる。(I agree.)
七十五
死生の問題などはあきらめてしまえばそれでよい。病気の境涯に処しては、病気を楽しむということにならなければ生きていても何の面白味もない。(激痛の中で病気を楽しむとはあまりに壮絶で見る者にとっては痛々しいとしか言いようがない。)
八十九
工夫して絵の具と絵の具を合わせて色々な色を出すのが写生の楽しみのひとつである。神様が草花を染める時もやはりこんなに工夫して楽しんでいるのであろうか。
九十一
日本酒が西洋人に好まれるか疑問である。(”Sake!”と嬉しそうに日本酒を楽しむ西洋人を何人も見たことがあるので、子規の予想ははずれだったと思う。)
九十二
銀杏は、夏の青葉の清潔にして涼しき、晩秋から初冬にかけて葉が黄ばんできた時は得も言われぬ趣であり、冬枯に落葉して後もまた一種のさびた趣がある。(私もイチョウが好きだ。近所のイチョウの黄葉は今が盛りだ。)
九十三
硯の脇に溝があり水があふれないようになっているので、洪水も同じような方法で防ぐことができるだろう。(大きな川には硯の溝と同じ役割をする遊水地というものがある。遊水地は場所を取るので、遊水地に頼るより堤防を高く強くするほうが好まれるのは時代の所為か。)
九十五
簡単に、無駄なく順序立ちて書いてある文は世間には少ない方ではなはだ心持ちが善い。(文章は簡潔に!を心がけているけど時に冗漫になってしまう。)
九十六
何でも子供の時に親しく見聞きした事は自ら習慣となるようである。家庭教育の大事なる所以(ゆえん)である。(家庭教育論は度々出てくる。)
百四
品のいいお嬢さんが訪ねてきたことで、子規は半ば夢中のようになって動悸が打ち脈が高くなるなど我を忘れる。思い余ってお嬢さんに泊まっていくように頼む。(おいおい子規よ!どうしちゃったの?----南岳艸花画巻。子規にしてやられた!)
百十二
フランクリン自叙伝に感動する。この本を読んだ人は多いだろうが自分ほど深く感じた人は恐らくほかにあるまいと思う。(それは言い過ぎだろう。)
百二十二~百二十五
足が腫れ上がり苦痛が極限にまで達している。女媧氏いまだこの足を断じ去って、五色の石を作らず。(古(いにしえ)の時、天を支える四極の柱が傾いたので、女媧は、五色の石で天を補修した。女媧は中国神話に出てくる女神で蛇身人首。)
百二十七
最終章。この二日後、子規は鬼籍に入る。明治三十五年九月十八日
今日、平山郁夫が亡くなった。本や雑誌で見ていた時は洋画か日本画かわからないようなぼやっとした画風になじめず好きではなかったが、昨年、平山郁夫美術館で本物に触れてから彼の絵が好きになった。井上靖と司馬遼太郎が対談した「西域をゆく」(井上靖著「遺跡の旅・シルクロード」よりも相当前に読んだ。)の表紙絵と解説を平山郁夫が書いている。表紙絵は、黄色い太陽の下を駱駝を降りた隊商が歩く幻想的なもので素晴らしい。平山郁夫の解説は二人と西域に行った時のエピソードを交えて西域の素晴らしさを伝えようとするのだが紋切型で感動が伝わらず面白くなかった。井上靖と司馬遼太郎という文章の達人の本に文章を使ったのがまずかった。自分の土俵でスケッチなどを使った解説にすべきだったと思う。
泥棒が阿弥陀様を念ずれば阿弥陀様は摂取不捨の誓によって往生させて下さる事疑いなしといふ。これ真宗の論なり。---彼らが精神の状態は果して安心の地にあるか、あるいは不安を免れざるか、心理学者の研究を要す。(子規は浄土真宗の悪人正機説に疑義を抱いている。)
六十七
家庭教育について論じる。女子の教育の必要性、一家団欒と高尚な人(親)の雑談の大切さを説明し、家庭教育は学校教育よりも重要だという。(I agree.)
七十三
炊飯会社があれば、飯を炊く時間を他のことに向けることができるという合理的な考えを述べる。(I agree.)
七十五
死生の問題などはあきらめてしまえばそれでよい。病気の境涯に処しては、病気を楽しむということにならなければ生きていても何の面白味もない。(激痛の中で病気を楽しむとはあまりに壮絶で見る者にとっては痛々しいとしか言いようがない。)
八十九
工夫して絵の具と絵の具を合わせて色々な色を出すのが写生の楽しみのひとつである。神様が草花を染める時もやはりこんなに工夫して楽しんでいるのであろうか。
九十一
日本酒が西洋人に好まれるか疑問である。(”Sake!”と嬉しそうに日本酒を楽しむ西洋人を何人も見たことがあるので、子規の予想ははずれだったと思う。)
九十二
銀杏は、夏の青葉の清潔にして涼しき、晩秋から初冬にかけて葉が黄ばんできた時は得も言われぬ趣であり、冬枯に落葉して後もまた一種のさびた趣がある。(私もイチョウが好きだ。近所のイチョウの黄葉は今が盛りだ。)
九十三
硯の脇に溝があり水があふれないようになっているので、洪水も同じような方法で防ぐことができるだろう。(大きな川には硯の溝と同じ役割をする遊水地というものがある。遊水地は場所を取るので、遊水地に頼るより堤防を高く強くするほうが好まれるのは時代の所為か。)
九十五
簡単に、無駄なく順序立ちて書いてある文は世間には少ない方ではなはだ心持ちが善い。(文章は簡潔に!を心がけているけど時に冗漫になってしまう。)
九十六
何でも子供の時に親しく見聞きした事は自ら習慣となるようである。家庭教育の大事なる所以(ゆえん)である。(家庭教育論は度々出てくる。)
百四
品のいいお嬢さんが訪ねてきたことで、子規は半ば夢中のようになって動悸が打ち脈が高くなるなど我を忘れる。思い余ってお嬢さんに泊まっていくように頼む。(おいおい子規よ!どうしちゃったの?----南岳艸花画巻。子規にしてやられた!)
百十二
フランクリン自叙伝に感動する。この本を読んだ人は多いだろうが自分ほど深く感じた人は恐らくほかにあるまいと思う。(それは言い過ぎだろう。)
百二十二~百二十五
足が腫れ上がり苦痛が極限にまで達している。女媧氏いまだこの足を断じ去って、五色の石を作らず。(古(いにしえ)の時、天を支える四極の柱が傾いたので、女媧は、五色の石で天を補修した。女媧は中国神話に出てくる女神で蛇身人首。)
百二十七
最終章。この二日後、子規は鬼籍に入る。明治三十五年九月十八日
今日、平山郁夫が亡くなった。本や雑誌で見ていた時は洋画か日本画かわからないようなぼやっとした画風になじめず好きではなかったが、昨年、平山郁夫美術館で本物に触れてから彼の絵が好きになった。井上靖と司馬遼太郎が対談した「西域をゆく」(井上靖著「遺跡の旅・シルクロード」よりも相当前に読んだ。)の表紙絵と解説を平山郁夫が書いている。表紙絵は、黄色い太陽の下を駱駝を降りた隊商が歩く幻想的なもので素晴らしい。平山郁夫の解説は二人と西域に行った時のエピソードを交えて西域の素晴らしさを伝えようとするのだが紋切型で感動が伝わらず面白くなかった。井上靖と司馬遼太郎という文章の達人の本に文章を使ったのがまずかった。自分の土俵でスケッチなどを使った解説にすべきだったと思う。