備忘録として

タイトルのまま

寺田寅彦

2011-12-29 18:17:44 | 近代史

今年もあと3日。テレビは今年を振り返る番組で連日、3.11の津波映像を流している。自然の脅威を思い知らされた年だった。ところが80年前の寺田寅彦は、津波被害に遭った人や地域でも時間が経つとその災厄を忘れてしまい、同じ被害が繰り返されることを警告している。以下は昭和8年3月の三陸津浪に際して寺田が書いた「津浪と人間」の抜粋である。

和八年三月三日の早朝に、東北日本の太平洋岸に津浪が襲来して、沿岸の小都市村落を片端からぎ倒し洗い流し、そうして多数の人命と多額の財物を奪い去った。明治二十九年六月十五日の同地方に起ったいわゆる「三陸大津浪」とほぼ同様な自然現象が、約満三十七年後の今日再び繰返されたのである。困ったことには「自然」は過去の習慣に忠実である。地震や津浪は新思想の流行などには委細かまわず、頑固に、保守的に執念深くやって来るのである。紀元前二十世紀にあったことが紀元二十世紀にも全く同じように行われるのである。科学の方則とは畢竟「自然の記憶の覚え書き」である。自然ほど伝統に忠実なものはないのである。

津浪の恐れのあるのは三陸沿岸だけとは限らない、寛永安政の場合のように、太平洋沿岸の各地を襲うような大がかりなものが、いつかはまた繰返されるであろう。その時にはまた日本の多くの大都市が大規模な地震の活動によって将棋倒しに倒される「非常時」が到来するはずである。それはいつだかは分からないが、来ることは来るというだけは確かである。今からその時に備えるのが、何よりも肝要である。
 それだから、今度の三陸の津浪は、日本全国民にとっても人ごとではないのである。 しかし、少数の学者や自分のような苦労症の人間がいくら骨を折って警告を与えてみたところで、国民一般も政府の当局者も決して問題にはしない、というのが、一つの事実であり、これが人間界の自然方則であるように見える。自然の方則は人間の力では
枉まげられない。この点では人間も昆虫も全く同じ境界きょうがいにある。それで吾々も昆虫と同様明日の事など心配せずに、その日その日を享楽して行って、一朝天災に襲われれば綺麗にあきらめる。そうして滅亡するか復興するかはただその時の偶然の運命に任せるということにする外はないという棄す鉢ばちの哲学も可能である。

日本のような、世界的に有名な地震国の小学校では少なくも毎年一回ずつ一時間や二時間くらい地震津浪に関する特別講演があっても決して不思議はないであろうと思われる。地震津浪の災害を予防するのはやはり学校で教える「愛国」の精神の具体的な発現方法の中でも最も手近で最も有効なものの一つであろうと思われるのである。

青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/4668_13510.html

寺田寅彦は、津浪は必ず繰り返されるので対策を怠らないようにすべきだが、被災者の記憶は年月とともに希薄になり政府も積極的な対策をしなくなるのは”人間界の自然の法則”なのだと警告する。だから学校での継続した津浪の予防教育が最も有効であると述べている。今年の3.11津波で犠牲が大きかった原因の一端にはこの人間界の自然の法則があり、子供たちが先頭に立って避難し子供犠牲者ゼロをもたらした”釜石の奇跡”(群馬大学防災センター)は予防教育の成果だったのである。80年前の寺田の警告と予防教育の重要性は実証されたのである。

寺田寅彦の言う津波被害後の人間の性向は、以下の随筆「日本人の自然観」(抜粋)に記された彼の自然に対する認識に立脚している。

吾々は通例便宜上自然と人間とを對立させ兩方別々の存在のやうに考へる。これが現代の科學的方法の長所であると同時に短所である。この兩者は實は合して一つの有機體を構成してゐるのであつて究極的には獨立に切離して考へることの出來ないものである。人類もあらゆる植物や動物と同樣に永い永い歳月の間に自然の懷にはぐゝまれてその環境に適應するやうに育て上げられて來たもの---。 

人間の力で自然を克服せんとする努力が西洋における科學の發達を促がした。何故に東洋の文化國日本にどうしてそれと同じやうな科學が同じ歩調で進歩しなかつたかと云ふ問題は---- (日本は)自然の十分な恩惠を甘受すると同時に自然に對する反逆を斷念し、自然に順應する爲の經驗的知識を集輯し蓄積することをつとめて來た。

日本人は矢張日本人であり日本の自然は殆ど昔のまゝの日本の自然である。科學の力を以てしても、日本人の人種的特質を改造し、日本全體の風土を自由に支配することは不可能である。

http://www.geocities.jp/sybrma/393nihonjinnoshizenkan.html

要するに寺田寅彦は日本の自然はとりわけ過酷で、科学技術で自然を支配することは不可能であり、自然は畏怖すべきもの自然とは共生すべきものという思想が伝統的に育まれてきたと言うのである。これは同じ時代に生きた宮沢賢治の自然観と同じである。

寺田寅彦(1878-1935)物理学者、高知県出身、随筆家、俳人でもある。夏目漱石「三四郎」の野々宮宗八や「吾輩は猫である」の水島寒月のモデルと言われる。

寺田に言わせると、人間は総じて健忘症で、それは人間界の自然の法則であり、同じ失敗を繰り返す。失敗を防ぐには、1年の終わりは忘年ではなく、しっかりとその1年の自分を振り返る、すなわち寺田のいう予防教育を繰り返すことが大切なのである。なんてことを思うのだが、2,3日もすれば忘れてしまうことは目に見えているのだ。


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