備忘録として

タイトルのまま

寺田寅彦 その2

2012-01-04 01:44:49 | 近代史

NHK「坂の上の雲」第3部は多々不満に思う部分はあったが、とにかく3年にわたる大作が完結した。最大の不満点は、演出家の”どうだ迫力満点だろう”という自信満々の戦闘場面で、銃撃、突撃、爆発、流血という似た場面の繰り返しに閉口した。人物の描写や脚本にも注文したいことがあった。1部、2部は純粋に物語が楽しめたのに、3部の出来は残念だった。はるか昔、原作を読んだときも同じような感覚を味わったような気がする。耽読していたものが子規が死に203高地が終わるころから急速に冷めていった記憶がある。

ところで、「坂の上の雲」第3部、日露戦争の最中に、子規の弟子たちと夏目漱石が子規庵に集い、子規や戦争について議論する場面が出てくる。寺田寅彦は、その弟子たちの中に混じっていたのではないかと思う。

青空文庫には寺田寅彦の作品287編が公開されていて、内容は専門の物理学や自然科学に関するものから、映画評、日々の雑感など多岐にわたり、まさに寺田のブログなのである。その中に子規について書かれた作品があり、寺田が頻繁に子規とその弟子たちと交流していたことが窺えるのである。以下、子規との交流を描いた作品。

「子規自筆の根岸地図」昭和9年8月 

寺田寅彦は子規の自筆を二つ持っていて、一つははがき、もう一つは子規の家から中村不折(洋画家、「吾輩は猫である」の挿絵を描いた)の家までの道順を教える根岸の地図である。”仰向けに寝ていて描いたのだと思うがなかなか威勢のいい地図で、また頭のいい地図である。その頃はもう寝たきりで動けなくなっていた子規が頭の中で根岸の町を歩いて画いてくれた図だと思うと特別に面白いような気がする。”と寺田は書いている。また、鶯谷の子規庵の近くに書道博物館というのがあるが、それは中村不折が収集した書の博物館だそうだ。

「子規の追憶」昭和3年9月

子規は自然科学に興味を持っていた。学芸の純粋な発展を阻害する政治的な圧力に対し憤懣を持っていた。ゾラの「ナナ」の筋や若い僧侶が古い壁画の裸体画を見て春の目覚めを感じると話す病子規を若々しく水々しい人のように感じた。と寺田は記す。

「高浜さんと私」昭和5年4月 

出版社から高浜虚子のことを書けと言われて書いた随筆である。上京して始めて子規庵を訪ねたときに虚子とすれ違ったことと虚子が描いた熟柿を本人が馬の肛門のようだと言ったことを笑った寅彦に向かって、”ほんとうにそう思ったから面白いのだ”と子規が虚子を弁護したことが書かれている。また、子規の葬式で会った憔悴した虚子を回想している。千駄木の夏目漱石宅で開かれた文章会では虚子が文章を少し松山訛りで読む話を載せている。

 

2012年初詣は、昨年同様、西新井大師へ行った。基本的に不可知論者(agnostic)なので実証されていないものや理屈に合わないことは信じないのだが、毎年のように初詣に行き、神仏祈願し、死後の世界、天国地獄、宗教、SFやUFO、最近では老荘思想と仙人思想などが大好きだというのだから、自己矛盾がはなはだしい。一種の人格破綻者かもしれない。とはいえ、矛盾する理想(信条)と現実(現業)の狭間に自分を置いて今年も生き抜きたいと思う。


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