「横浜ザル」の株式投資独り言

株式投資等で資産形成を目指し、ゴールは超億万長者!?
経済動向や日経平均の将来分析、投資銘柄のメモや雑感を綴ります。

半導体業界の振り返りと課題!?

2013-08-31 23:58:08 | 企業を斬る

          
8月最後の土曜日。猛暑が戻ってきて、秋に向かう気配と言うより、まだ、夏の
只中にいる様相。朝/晩は幾分すごし易く感じるも、まだ夏模様です。

今宵は、80年代まで「鉄は国家なり。」の後を受け継いだ産業の米「半導体」を
取り上げます。

2000年代突入まで、日の丸半導体が「わが世の春」を謳歌してましたが、凋落。
振り返りと課題、巻き返しの一歩を踏み出せれば、経済の活性化に一助となる。

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米国の巻き返しと韓国、台湾勢の追い上げに窮した日の丸半導体。

追い込まれた国内半導体メーカーは業界一丸となって再起を期した。だが、各社の
思惑はすれ違い、プロジェクトはあえなく頓挫。
半導体事業は、次第に各社の“お荷物”となっていく。 

世界市場での競争力が低下した日の丸半導体にも、再生の芽は残されていた。
まだ、世界一の工場と生産技術を持っていたからだ。 

平成11年に半導体メーカーが結集した「半導体新世紀委員会(SNCC)」は、
その強みを生かして競争力強化を狙ったプロジェクトでした。それまで日本勢の
主力だったDRAMに代わり、デジタル家電の核となる最先端のシステムLSI
(大規模集積回路)開発に必要な共通基盤や基礎技術の確立が目的だった。

「メーカーも国も、日米半導体摩擦のトラウマからようやく脱却、最後のチャンスに
懸けていた」。SNCCの委員長に就任した牧本次生(76)は再生を信じていた。

SNCCの下、産業戦略や研究開発を担う各プロジェクトが立ち上がり、14年には
メーカー11社による「先端SoC基盤技術開発(ASPLA)」も設立された。業界再編
視野に入れ、国もASPLAに約315億円の国費を投じるなど資金、政策面で後押し
した。

「再び世界で先行するには、ビジネスモデルを変える必要があった」。当時、日立
製作所の半導体製造会社で取締役を務めていた小池(61)=現サンディスク社長
SNCCに希望を抱いた。SNCCの理念には、各社が開発と設計に特化し、製造は
それぞれが出資する専門工場に任せるという水平分業モデルへの転換が含まれて
いたからだ。

しかし、期待通りの成果を挙げられないまま、SNCCは挫折する。プロジェクトに参加
しながら、各メーカーは自社で開発から生産までを手掛ける垂直統合モデルへの
思いを捨てきれなかったからだ。牧本は「共同設計・開発では互いに手の内を明か
さない。生産ラインや工場の共有化も、他社製品より自社製品の生産を優先させよう
とするなどメーカーの枠組みを超えた協力態勢は築けなかった」と唇をかむ。

「半導体産業を方向づける意思はあったが、各社の思惑はバラバラだった」。半導体
産業に詳しい技術評論家の志村幸雄(77)がそう指摘するように、かつて業界一丸と
なって米国を追いかけたような情熱は生まれなかった。

新たなビジネスモデルの模索と前後して、各メーカーの半導体事業の位置づけも
変化していた。半導体ビジネスは好不況を3、4年ごとに繰り返し、8~10年にも
世界的な半導体不況の波が襲った。半導体事業の巨額赤字は各社の収益を圧迫。

なかでも日の丸半導体を牽引(けんいん)したDRAM事業は市況変動が激しく、
膨大な設備投資も重荷となっていた。

韓国・台湾メーカーの攻勢も始まっていた。「半導体は一番安い他社製品を買えば
いい。半導体は何らかの価値を生み出すものではない」。元NEC専務で半導体事業
に長く携わった羽田祐一(77)は当時、そんな経営陣の声を頻繁に耳にした。

「『築城3年、落城1日』。勃興から50年あまりで、すでに半導体事業は総合電機
メーカーの“鬼っ子”となっていた」。羽田は当時を振り返り嘆息する。

その頃から日本の総合電機メーカーは本体から半導体事業の切り離しを加速する。
NECと日立は11年、DRAM事業を統合し、後のエルピーダメモリが誕生。

4年後には三菱電機も合流する。14、15年にはNEC、日立、三菱電機がシステム
LSI事業を切り離し、生き残りを目指した。

だが、エルピーダは国の支援を受けたものの、24年2月に会社更生法の適用を東京
地裁に申請し、経営破綻した。NECなど3社のシステムLSI事業を母体に誕生した
ルネサスエレクトロニクスも人員削減や工場閉鎖を繰り返し、浮上のきっかけをつか
めないままだ。

かつて半導体産業に携わった業界関係者は今、一様に無念の思いを口にする。

「日本は『何を作るか』で米国に負け、『どのように作るか』でアジア勢に負けた。
結局、日本は半導体市場という土俵のルールを変えることができず、負のスパイラル
に陥った」。
半導体産業を50年以上にわたって見続けてきた元東芝副社長の川西剛(84)は
そう振り返る。

「技術はあっても、トランジスタを生んだラジオ、LSIを使った電卓のような世界に通用
する製品を生み出し続けられず、市場を失った」。牧本は半導体の敗北を現在の国内
電機メーカーの姿に重ねる。

それでも、日の丸半導体は死んではいない。東芝はスマートフォン(高機能携帯電話)
向けのフラッシュメモリーで韓国サムスン電子と市場を分け、ソニーはデジタルビデオ
カメラなどに使われるCMOS(相補性金属酸化膜半導体)センサーで世界シェア5割を
握る。強みを生かし、正確に市場を読めば、十分に世界で戦えることを示している。

「日本メーカーに足りないのは、経営者の『先を読む力』だった」。各国の産業政策に
詳しい東大教授の坂田一郎(46)は日の丸半導体の衰退をそう総括する。

技術では優位にありながら事業で後れをとり、市場を失う。そうした国内総合電機
メーカーの負の歩みは液晶テレビや携帯電話など今も繰り返されている。日の丸
半導体の盛衰の歴史をどう生かすのか。日本の産業界は改めて問われている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130831-00000546-san-bus_all

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来週の相場展望と予定は、明日書き込みします。
それでは。


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