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日々改善

今日の問題を明日に残さない!問題解決を図って行く様をリアルに描写していきます。経営コンサルの視点で物事を見ていきます。

「永田町構文」と「霞ヶ関文学」

2025-03-30 | つれづれ
近年なかった国民の政治への関心の高さ。
しかし、それに反して、政府与党や官僚たちは
国民を如何に黙らせようかと躍起になっています。

そこで私たちが政府与党や官僚に騙されないように
「永田町構文」と「霞ヶ関文学」について調べてみました。

回答は、ChatGPT4oです。

永田町構文の具体例とその真意
永田町構文とは、政治家が記者会見や国会答弁で用いる、責任逃れ・論点ずらし・発言の曖昧化を狙った言い回しです。最近の7つの発言事例を挙げ、その場面と隠された意図を見ていきたいと思います。

事例1:岸田文雄首相「その指摘は当たらない」(2024年1月24日、参院予算委員会)
能登半島地震への初動対応を野党に批判された岸田首相は、「地震発生後の初動対応に遅れがあったとの指摘は当たらない」と答弁しました。これは批判を正面から認めずに否定する典型的な永田町構文です。**「当たらない」**という表現で相手の指摘自体を的外れだと述べることで、説明責任を回避し自らの対応に問題が無いかのように装っています。意図としては、失策の責任追及をかわし自分たちに非がないとの印象を与えることにあります。

事例2:自民党文書「『裏公認』という指摘は一切当たりません」(2024年10月24日、総裁・幹事長室名の通達文書)
2024年10月の衆院選公示直前、自民党本部が非公認候補の党支部に2000万円を支給していた問題で、党は候補者陣営向け文書を配布し「『裏公認』『偽装公認』という指摘は一切当たりません」と強調しました。これは不都合な事実への批判を**「一切当たらない」**と全面否定する表現で、問題の本質を認めない姿勢を示しています。ここでは「公認・非公認とは無関係」「何ら法律的、倫理的にも後ろ指をさされるものではありません」とも述べられ、形式上問題ないとの主張に終始しています。狙いは、裏金疑惑に対する責任を回避し、「問題なし」と印象付けて選挙への影響を最小限にとどめることでした。

事例3:岸田文雄首相「(解散総選挙は)全く考えていない」(2024年3月28日、参院予算委員会)
翌年度予算の審議中、解散総選挙の可能性を問われた岸田首相は「衆議院の解散・総選挙については全く考えていない」と答弁しました。この**「現時点で全く考えていない」**という言い回しは、一見明確な否定に聞こえますが、裏を返せば“現時点では”考えていないだけで将来はあり得ることを示唆します。実際歴代首相も解散直前までこの表現を用いる例が多く、岸田首相も質問者(辻元議員)をかわすために意図的に曖昧な表現を使ったと考えられます。要するにこの場面では、解散風が立つ中で余計な発言を避け、責任や決断を先送りする狙いがありました。

事例4:「秘書が勝手にやったことで、私も驚いている」(2024年、自民党派閥裏金問題での弁明)
自民党の大物政治家が派閥の資金不正疑惑を追及された際、「秘書が独断でやったことであり、私自身も驚いている」と弁明しました。これは不祥事発覚時によく使われる永田町構文で、**「秘書」**など部下を矢面に立て、自身は知らなかったと強調することで責任逃れを図るものです。「驚いている」という言葉からは被害者然とした態度すらうかがえます。真意は、自らの管理責任を曖昧にし、「自分は悪くない」という印象操作をすることにあります。この発言によって問題を個人の不始末に矮小化し、政治家本人の進退問題に発展させない意図が読み取れます。

事例5:小泉進次郎議員「(伝わらなかったのなら)反省したい」(2024年9月6日、自民党総裁選出馬会見)
進次郎氏は総裁選への出馬会見で、大臣時代の「言葉の軽さ」を記者に指摘されると、「環境大臣時代の発言が適切に伝わらなかったのなら反省したい。今後は内容が明確に伝わるよう努力していきたい」と述べました。一見謝罪のようですが、「もし伝わらなかったのなら」と条件を付け、自らの発言内容そのものの誤りには触れていません。これは「誤解を招いたなら遺憾」といった類の半歩引いた謝罪表現で、発言の責任を自身ではなく受け手側の受け取り方に転嫁する意図があります。つまり進次郎氏は、この永田町構文を用いて自分の失言を直接認めずに済ませ、イメージダウンを抑えようとしたのです。

事例6:宮沢博行氏「本当に本当に私の不徳の致すところです」(2024年10月27日、衆院選落選挨拶)
2024年10月の総選挙で落選が確実となった宮沢氏(元自民党衆議院議員)は、支持者に向けて「今回こういった結果になりましたこと、本当に本当に私の不徳の致すところでございます。誠に申し訳ありません」と敗戦の弁を述べました。「不徳の致すところ」とは「自らの徳の無さが招いた結果」という意味のかしこまった謝罪表現です。この発言は表向き自責の念を示していますが、具体的な失敗内容には触れておらず、慣用的・抽象的な謝罪フレーズでその場を収めています。真意としては、有権者へのお詫びをしつつも直接的な原因や自身の責任を深掘りされないようにする効果があります。いわば丁寧な言い回しで幕引きを図る永田町流の謝罪と言えるでしょう。

事例7:「いつまでやってんだ」(2024年末、国会での与党議員ヤジ)
自民党の派閥裏金問題を野党が追及していた国会審議の最中、与党席から「いつまでやってんだ!」というヤジが飛びました。この「いつまでやってんだ」(=そんな追及はもうやめろ)という言葉自体は丁寧な表現ではありませんが、問題の追及を**「もう十分だ」という論調にすり替える論点ずらし**の一種です。これは与党側が不祥事追及にうんざりしている態度を示し、野党の追及があたかも過剰であるかのように印象付ける意図があります。責任を追及される立場の政治家にとって、このような発言で場の空気を変えようとするのも永田町的な対応であり、「逃げ」の姿勢の表れと言えます。

以上のように、永田町構文の発言例では責任転嫁や問題の矮小化、「検討中」といった先送り、さらには聞こえの良い一般論で包み込むことで、その場をしのぐ意図が一貫して見られます。

霞ヶ関文学の具体例とその真意
霞ヶ関文学とは、官僚が政策文書や答弁書などで用いる、表現を極度に抽象化・複雑化して本質をぼかすテクニックです。2024年10月以降にも様々な場面で確認できる霞ヶ関文学の例を7つ紹介し、その隠れた意図を見ていきます。

事例1:「当面」「当分」の意味=期限未定(2024年11月、青木理氏の自粛表明を巡る指摘)
霞ヶ関文学では**「当面」や「当分」といった言葉がしばしば使われますが、実質的には「期限は決めていない(=無期限)」ことを婉曲に示します。ジャーナリストの青木理氏が差別的発言の後に「当面テレビ出演を自粛する」と表明した際、元官僚の樋渡啓祐氏は「霞が関文学では『当面』『当分』は永遠(♾️)です」と指摘しています。つまり「当面~しない」とは一見区切りをつけているようでいて、実際には再開の目途がなく事実上“ずっとしない”**ことを意味します。官僚答弁でも「当面その予定はない」といえば将来的にも先送りする含みがあり、都合の悪い決定を無期限に棚上げする意図で使われる表現です。

事例2:「景気は緩やかに回復している」の文言微調整(2024年11月、月例経済報告)
政府の公式見解である月例経済報告でも霞ヶ関文学的な表現が見られます。2024年11月の報告では、物価動向について表現を「緩やかに上昇している」から「このところ上昇している」に変更しました。また12月の報告では、生産の判断について前月まで使っていた「このところ」という前置きを削除し、「横ばいとなっている」と表現し直しています。これらはいずれも景気判断そのものは据え置きつつも、言葉遣いをごくわずかに変えることでニュアンスを調整する手法です。一般の人には微妙すぎて意味が伝わりにくい変更ですが、霞ヶ関ではこうした**「目に見えねどもわずかな変化」**によって景気基調の変化を示唆します。要するに、直接「悪化」などとは言わずに済むよう巧みに表現をぼかしつつ、専門家にはメッセージを伝える意図があるのです。

事例3:「日々精進してまいります」(2025年1月放送ドラマの官僚の台詞)
ドラマ『御上先生』第2話で官僚の御上先生が発した「日々精進してまいります」という台詞は、実際の霞ヶ関文学をよく表す例として話題になりました。一見謙虚で誠実な響きですが、具体的な行動や責任を全く示していない便利な表現です。現実の官僚や大臣答弁でも、問題を指摘された際に「今後とも日々精進し職務に当たります」などと述べることがあります。これは謝罪や是正策の明言を避けつつ、反省の姿勢だけ示してその場をやり過ごす意図があります。つまり、「精進します」という前向きな言葉で終わらせ、肝心の具体策は語らない――責任追及を和らげる霞ヶ関文学の典型と言えます。

事例4:「可能性を探るための準備を進めております」(霞ヶ関で多用される進行形のぼかし表現)
官僚答弁では、物事を断定せず可能性を示唆して終わる表現がよく使われます。例えば「複数の選択肢を考えていることを示しつつ、具体的な結論を避ける便利な言葉」として**「可能性を探るための準備を進めております」というフレーズが挙げられます。この言い回しは「検討中である」ことをもっともらしく述べたもので、「準備を進めております」と現在進行形にすることで一見前向きですが、実際には何も決まっていない状況を婉曲に表現しています。要するに、具体策が無い段階でも「可能性を探っている」と言っておけばその場は収まり、結論を先送りできるのです。霞ヶ関文学ではこのように進行形や婉曲表現**を駆使し、「検討中」「前向き姿勢」だけ示して結論をぼかす意図がしばしば見られます。

事例5:「国民のために最善を尽くします」(各種答弁での常套句)
政府答弁や大臣の所信表明には「国民のために最善を尽くす」というフレーズが頻出します。一例として、『御上先生』の解説記事でも**「『国民のために最善を尽くします』といった表現」は具体的行動を示さず感情的共感を引き出す手法**だと指摘されています。この言葉自体に嘘はないように聞こえますが、実際には政策の細部や目標達成手段には触れていません。要は「最善を尽くす」という曖昧な約束で聞こえを良くしつつ、後で「ベストは尽くしたが結果はこうなった」と逃げ道を残すことも可能です。真意としては、聞き手(国民)の感情に訴えて安心感を与えつつ、具体的な責任を負わないようにする官僚流のレトリックなのです。

事例6:「ご期待に応えられるよう頑張ります」(2025年放送ドラマ内の官僚のセリフ例)
上記と似た表現に「ご期待に応えられるよう頑張ります」があります。これは要望や期待に対し前向きに努力する姿勢を示す言葉ですが、結果を保証しないニュアンスを残している点がミソです。例えば「〇〇の実現に向けて頑張ります」と答えても、「努力したが実現できなかった」という逃げ道を暗に用意した表現とも取れます。官僚答弁では「~できるよう努めてまいります」などとよく使われ、聞こえは良いものの約束はしていないのがポイントです。意図としては、相手を安心させつつ後から責任を問われにくくする、前向き風の慎重答弁を行うことにあります。

事例7:「まずは必要な対応がなされるものと考えており、必要に応じ適切に対応していきたい」(2023年12月7日、松野官房長官の文書回答)
自民党安倍派の資金不正疑惑に関し、松野博一官房長官は記者会見での説明を求める要望に対し、文書で「まずは政治団体の責任において必要な対応がなされるものと考えており、それを受けて必要に応じ、適切に対応していきたい」と回答しました。この発言には霞ヶ関文学特有の受動態と慎重な言い回しが凝縮されています。「まずは~ものと考えており」と主体をぼかしつつ状況任せにし、「必要に応じ」「適切に対応していきたい」と具体策を示さないまま結論を先送りしています。要は、「まずは党が対応すべきで、政府としては様子を見る。必要なら対処する」という意味ですが、どこにも具体的措置や期限は示されていません。意図としては、自身に説明責任が及ぶのを避け、問題が沈静化するのを待とうとするものです。このような冗長かつ曖昧な表現で本質をぼかすのが霞ヶ関文学の真骨頂といえます。

以上、霞ヶ関文学の例では進行中・検討中の体裁を取りつつ結論を述べない表現や、耳当たりが良い抽象的フレーズで実態を覆い隠すテクニックが多用されています。その真意は一貫して、役所や政府として明言を避けることで責任を明確にせず、物事を円滑(時には先延ばし)に進めることにあります。こうした巧妙な言葉遣いは一見とても丁寧ですが、裏を返せば本質を煙に巻き、聞き手に誤解を与えかねないリスクも孕んでいます。

ココからは私見です。
お願いだから国民をだますようなことをせず
真摯に国民のための国政をやって頂きた。
望みはたったこれだけです!
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