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日々改善

今日の問題を明日に残さない!問題解決を図って行く様をリアルに描写していきます。経営コンサルの視点で物事を見ていきます。

人生の悔い

2025-03-20 | つれづれ
ありがとう

この言葉と態度が足りなかった

もっと
ありがとう!

もっと
感謝の姿

思うだけじゃなく
見せていく

そんな決意をした
春分の日
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国民は敵!?

2025-03-20 | つれづれ
所得税減税しません!
高額療養費負担増やします!
退職金控除改悪します!
自動車走行税創設します!
ガソリン税のトリガー条項無視し続けます!
そしてついに
通勤費に課税します!

やめてっ!
本当に人の雇用できなくなるから!
遠方から働きに来る人いなくなるし
この議論始めると通勤時間も就業時間にカウントしろ!という意見が出てきちゃうから💦💦

収益力、資金力有る大手は対応できても
それらを持たない中小企業は、人雇えなくなるから。。。

ただでさえ、
通勤費は社会保険料の対象だ!なんて言って
1万円の通勤費は、
会社の負担が11,800円なのに
今度は、従業員から源泉徴収するなんてことになったら
中小企業は、賃金上昇圧力に耐えられません!!

政府与党
政府与党税制調査会
政府与党国会議員
そこに悪知恵を植え付ける役人たち

日本国民は、
あなたたちにとって、敵なのですか?


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ジョン・F・ケネディー暗殺 8万ページ要約してみた

2025-03-20 | つれづれ
2025年3月19日
今まで封印されてきた
ジョン・F・ケネディー暗殺に関わる8万ページにも及ぶ秘密資料

SNSにあがっているものを見ても
無責任な人たちの
裏付けのない解釈が飛び交っているので
ChatGPT o1proに原文を参照して貰い
日本語に訳して貰いました。

一部、o1proなりの解釈も入っているようですが
興味深いので、長文を気になさらない方はお読み頂けると良いかと思います。

ChatGPT o1pro:
内容の要点を正確に伝えることを重視して訳していますが、読みやすいように少し段落分けや文体を調整しています。また、一部においては文中の参照番号や情報源が混在していますが、それらは原文での引用箇所や脚注を示すために挿入されたものです。参考程度にご覧ください。

【43†embed_image】ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺される数分前の、1963年11月22日にダラスでリムジンから手を振る姿【42†L21-L28】。
 2025年3月19日、トランプ大統領の指示によって、1963年のJFK暗殺に関する数多くの機密文書(約8万ページ)がアメリカ政府から公開されました【32†L38-L46】。この大規模な機密解除(トランプ大統領による残存資料公開の公約の一部)は、これまで編集済みあるいは非公開だった多くの文書を初めて完全公開するもので、近年最大規模のJFK関連文書公開といえます【32†L43-L50】【18†L336-L344】。
 専門家や歴史家は膨大な資料を分析し始めており、その中でいくつかの新事実や新しい視点
が浮かび上がっています。すでに知られていた疑惑や従来から指摘されてきた部分を裏付ける文書もあれば、実行犯、諜報機関の失態、あるいは従来公表されていなかった重要な情報を含んだものも存在します【21†L176-L185】【21†L187-L195】。ここでは、「真の犯人」に関わる可能性がある情報や、新事実、最重要ポイントを網羅的にまとめます。

 
2025年文書公開の背景
2025年のJFKファイル公開は、1992年の法律に基づき大統領暗殺関連資料がすべて開示されることを義務付けていた期限(これまで歴代政権が延期)を踏まえ、ナショナル・アーカイブが8万ページ以上の文書をオンラインで公開したものです【32†L43-L50】【32†L53-L59】。2017年から2022年にかけて断続的に一部の文書は公開されてきましたが、多くは詳細が伏せられていました。今回の公開では**基本的に「黒塗りなし」**という方針がとられ【4†L219-L228】【18†L343-L351】、DNI(国家情報長官)であるタルシ・ギャバード氏も「完全透明性の新時代」と評価しています【4†L219-L227】。
実際には、これらの膨大な文書の多くが、既に一部は一般に公開されていたウォーレン委員会や諜報機関関連の資料で、それらが今回より詳しく、編集なしで公開された形です【6†L117-L125】【30†L33-L41】。研究者たちは8万ページの内容を精査するのに時間がかかるとしていますが、それでも既に幾つかの決定的な新情報や、長らく疑われていた点の裏付けが得られています【6†L109-L116】【21†L176-L184】。

CIAの監視と見過ごされた警告
新しく判明した事実の中で特に注目されるのは、暗殺以前からCIAがリー・ハーヴェイ・オズワルドをどの程度追跡していたか、そしてそこでの警告がどれほど無視されたかという点です。今回の文書には、CIAがオズワルドの行動を追跡する作戦を行っていたことを示す証拠が含まれ、新たに特定されたCIA職員ルーベン・エフロンが、1963年の暗殺数か月前からオズワルドの郵便物を検閲していたことが明らかになっています【12†L62-L70】。さらに1963年11月のCIA内部メモには、メキシコシティのCIA職員がソ連とキューバの大使館を訪れていたオズワルドに強い不審を抱き、報告していた形跡が示されています【39†L81-L88】。しかし本部の上層部はこの懸念を退けたか、真剣に取り合わなかったようです【39†L83-L88】。
このような文書は、CIAがオズワルドの動向や海外との接点を事前に把握していたことを示唆し、それにもかかわらず重大な行動を起こさなかった(あるいは意図的に情報を隠した)疑いを深めています【37†L152-L159】【39†L81-L88】。同時に、CIAがメキシコシティにおいてはキューバ・ソ連大使館の電話盗聴や、機器への特殊インク(UVマーク)の使用など、当時としては高度な諜報手段を駆使していたことも今回の文書で判明しました【30†L52-L60】【30†L65-L73】。一方、長らく機密扱いだったCIAのケーブル(大使館盗聴に関するもの)には、オズワルドの名前が具体的に書かれていなかった点など、CIAがどこまで正確にオズワルドの行動を把握していたか、議論を呼ぶ余地があるとも指摘されています【30†L73-L77】【35†L121-L130】。
要するに、合衆国の諜報機関はオズワルドを注視し、彼の怪しい外国との接点を察知していたにもかかわらず、暗殺防止には結びつけられなかった(あるいは結びつけなかった)という事実が、この新資料によって一層裏付けられた形となります。

オズワルドのソ連・キューバとのつながり
今回の公開資料により、暗殺前の数週間から数年にわたり、オズワルドがソ連やキューバ当局との間で相当踏み込んだ接触を持っていたことが改めて明確になりました。たとえば、CIAがメキシコシティで把握していた記録によると、1963年9月末にオズワルドはキューバとソ連の大使館でビザを取ろうとしており【26†L201-L208】、大使館の電話盗聴データには「リー・オズワルド」を名乗る人物の通話があったものの、その声は片言のロシア語を話す別人だった可能性が指摘されています【21†L196-L204】。つまり、誰かがオズワルドになりすましていた形跡があるのです。これはCIA内部でも大きな混乱を招き、オズワルド本人を正確に把握できていなかったことがうかがえます【21†L197-L204】。
また、オズワルドが1959年から1962年にかけてソ連に滞在していた時期をめぐっては、暗殺後にCIAが彼のソ連での知人を徹底的に調査した経緯が、今回公開された文書から読み取れます【26†L213-L218】。興味深いのは、元KGB職員が1991年に行った証言をまとめた文書で、彼らKGBはオズワルドを「KGBのエージェントだとは認めていない」、むしろ「射撃能力が低い凡庸な人物」と見なしていたという部分です【39†L105-L114】。これはオズワルドが単独でケネディ暗殺を実行するような“射撃の名手”だったという説に対して、KGBでさえ彼の射撃能力の低さを把握していたということになります【39†L109-L117】。さらに、FBIの報告書には、オズワルドが暗殺の数週間前に「何か大きなことが起きる」とほのめかしていたという情報が含まれています【21†L217-L224】。彼は「何らかの一大事」を企んでいるかのように興奮しながら、ソ連大使館のKGB将校(ヴァレリー・コスティコフ)に接触しようとしていた、という証言もあります【21†L219-L225】。
このように、暗殺直前のオズワルドが積極的に外部勢力(ソ連・キューバなど)と接触を図っていた形跡は、彼の言動が単なる孤独な狂信者の域を超えて、より国際的な文脈で活動していた可能性を示唆しています。少なくとも、アメリカ側の諜報機関は、オズワルドのラジカルな行動や危険性をかなり把握していたはずだと言えます。

より広範な陰謀の可能性
今回の公開で最も議論を呼びそうな点の一つは、オズワルド単独犯行説(いわゆる「ローンガンマン・説」)に対し、重大な疑義を投げかける資料が存在することです。いくつかの文書は、他にも関与者や発砲者がいた可能性を示しています。
  1. セカンド・シューター(第二の狙撃手)に関する証拠
    新たに公開された目撃証言や捜査報告書には、ウォーレン委員会が示した「テキサス教科書倉庫ビルからオズワルドがすべての弾丸を撃った」という公式見解と合わない内容があります【37†L160-L168】。たとえば**「グラシー・ノール(芝生の丘)」側から銃声がした**という証言を裏付けるような報告書もあり【37†L163-L170】、1979年の下院暗殺調査特別委員会(HSCA)が音響証拠をもとに「第二の銃撃者がいた可能性が高い」と結論づけた説をさらに強化しています【37†L165-L173】【39†L123-L130】。新たに明るみに出た目撃者の中には、事件直後に捜査官らから「証言を黙らせる圧力」を受けたと主張する人もいます【37†L165-L172】【39†L127-L130】。もしこれが事実なら、政府当局が複数犯や別の発砲地点に関わる証拠を隠蔽しようとしたことになります。
  2. CIA内部からの告発
    1967年のCIAメモ(今回非公開部分が開示)によれば、元CIA職員*ジョン・ギャレット・アンダーヒルJr.*は、暗殺後しばらくして「CIAの一部の小集団がケネディ暗殺を実行した」と取り乱して語っていた、と記されています【23†L279-L287】。アンダーヒルは自分の身の危険を感じて亡命を考えていたとも書かれており【23†L279-L287】、当時からCIA内部でも暗殺への関与を疑う声があったことが示唆されます。彼は1964年に不可解な死を遂げており、陰謀論界隈では昔から話題の人物でしたが、公式文書がこうした内容を言及していたことは非常に注目に値します。
  3. CIAとFBIによる内部の疑念
    新たに公開された(時期は不明だが1963年以降の)CIAの分析報告(73ページ)には、CIA職員の間でも**「オズワルド単独犯は確信できない」という見解があったことが示唆されています【26†L187-L194】。文中ではメキシコシティやマイアミといった支局スタッフも、オズワルドが単独で行動したとは限らないと考えていた、と言及しているのです【26†L188-L196】。公式にはウォーレン委員会を支持しつつも、内部では懐疑的だったということでしょう。同様にFBIのファイルには、ジャック・ルビーがオズワルドを射殺する数時間前に、「オズワルドは殺される」という匿名の警告電話があったことが記録されていました【41†L187-L190】。その電話の主は、オズワルドを黙らせる計画があると示唆しており、FBIはダラス警察に注意喚起したそうですが、結局ルビーの犯行を防げなかったということになります【41†L187-L195】。これはルビーによるオズワルド射殺が偶然の突発的行動ではなく、事前に画策されていた**可能性を強く示唆します。
ジャック・ルビーの役割と裏社会とのつながり
オズワルドを射殺し、事実上オズワルドの口を封じたダラスのナイトクラブ経営者ジャック・ルビーについて、今回の資料は「裏社会とのつながり」が濃厚であることを改めて示しています。いくつかの注目点を挙げると:
  • 暗殺の事前情報を知っていた可能性
    新資料のなかにはFBIの情報提供者による証言があり、暗殺当日の11月22日朝、ジャック・ルビーが「花火を見るといい(= watch the fireworks)」と言い、まるで大統領車列に何かが起きると知っているかのような発言をしていたといいます【20†L133-L139】。情報提供者(ボブ・ヴァンダースライス)は、その後ルビーからダラスのパレードルート付近で待機するように指示されたとされます【20†L133-L139】。実際に銃撃が起きた際、ルビーはすぐその場を離れ、新聞社へ駆けつけたようです【20†L134-L142】。もしこの話が事実なら、暗殺そのものをルビーが事前に知っていたことになります。
  • オズワルド射殺の動機
    公には、ルビーが「愛国心から衝動的に犯行に及んだ」とされてきましたが、新たに公開されたFBIの文書には、ルビーがある人物に「オズワルドを殺さなければならなかった(had to kill)」と語ったという証言が記録されています【23†L260-L268】。この「しなければならなかった(had to)」というニュアンスは、突発的な激情ではなく、何らかの指示や圧力に基づく行動だった可能性を感じさせます。さらに、ルビーが犯罪組織(マフィア)の関連人物と深く繋がりがあったことは以前から知られており【23†L253-L261】、FBIのファイルでもルビーのマフィア人脈に注目して「ケネディ暗殺にはもっと大きな裏があるのではないか」という言及が見られます【23†L254-L262】。すなわち、オズワルドを葬るよう誰かがルビーに命じたというシナリオが一層現実味を帯びてきたわけです。
  • 裏社会との接点
    新たに開示された盗聴記録には、マフィアのボスたちがケネディ政権による犯罪撲滅キャンペーンと、カストロ政権打倒の失敗(キューバのカジノ利権を失った)に激怒し、「ケネディに手を下す(take care of Kennedy)」ことを話し合っていたとされます【37†L173-L180】。これは、かねてから噂されていた「マフィアがケネディを憎んでいた」説をさらに裏付けるものです。
    また、シカゴのマフィアのボスであるサム・ジアンカナの周辺がキューバ亡命者を訓練していた事実を確認できる文書も今回公開されました【13†L59-L67】【13†L69-L77】。ただし、これらの記録には暗殺命令を直接下した証拠があるわけではありません【13†L75-L83】。しかし、マフィアや反カストロ・キューバ人、CIAが互いにつながっていたことを示す数々の文書は、以前より強固な証拠として残りました【37†L173-L180】。ジャック・ルビー自身もナイトクラブ経営を通じてシカゴ系マフィアと関係を持っていたため、マフィア・オズワルド・CIAという構図がより複雑に絡み合い、陰謀説を補強します。
    さらにあるCIAメモには、オズワルドとルビーが暗殺の数週間前にナイトクラブで接触していたとする情報提供もあったことが明記されています【21†L227-L235】。信憑性は不明ながら、これが事実なら二人がまったくの面識なしであったという従来の前提が覆ります。
CIAと反カストロ工作
今回の資料は、暗殺の背景としてのCIAによる対キューバ秘密作戦の実態もさらに明らかにしています。ケネディ政権時代、キューバのカストロ政権と対峙していたことはよく知られていますが、その裏ではCIAがどの程度まで過激な工作を行っていたかは長らく機密でした。
  • モングース作戦とカストロ暗殺計画
    *モングース作戦(Operation Mongoose)*は、1961年末にケネディ大統領によって承認されたキューバ政権転覆(カストロ打倒)計画を指します。今回の文書によって、その後継的な計画や内容がより具体的に把握できるようになりました。たとえば1964年のCIA文書には、ジョンソン政権下でカストロ暗殺が再び検討されていた様子が記されています【28†L88-L96】【36†L197-L204】。そこには、ケネディ政権下ではロバート・ケネディ司法長官がこの手の暗殺計画に反対していたため保留になっていたとされ、ケネディ兄弟がCIAの過激策に歯止めをかけていた可能性を示唆します【36†L199-L207】。
  • CIAとマフィアの協力関係
    新資料を見ても、CIAがカストロ暗殺のためにマフィアを利用しようとしていたことは明白で、かつ当時ロバート・ケネディはその協力関係にかなり不快感を示していたようです【28†L95-L99】【36†L205-L212】。つまり、CIAはカストロ殺害のためなら犯罪組織とも組む、というほどに手段を選ばなかったことになります。こうしたCIAとマフィア、そして反カストロ・キューバ亡命者らの三者がある種の共闘体制にあった1960年代前半の実態が、今回の文書によってより鮮明になりました【37†L173-L180】。これは、**ケネディ暗殺の際、CIAやマフィアが絡んでいたのでは?**という陰謀論が昔から存在するのも、背景として理に適います。
  • ジョージ・ジョアニーデス(CIA将校)とキューバ亡命者の関係
    特に注目を集めているのは、CIA将校であるジョージ・ジョアニーデスが、ニューオーリンズに拠点を置く反カストロ組織「DRE(Directorio Revolucionario Estudiantil)」に少なくとも2万5,000ドルを資金提供していたという文書です【41†L183-L190】。このDREは、まさにオズワルドが1963年夏にキューバ支持デモで衝突した相手であり、オズワルドの共産主義的傾向をマスコミに流布した組織でもあります。要するに、オズワルドと対立していた反カストロ亡命者グループがCIAの援助を受けていたことが、ウォーレン委員会にはほとんど共有されなかったのです。ジョアニーデスは1970年代に下院の暗殺調査委員会との連絡役を務めましたが、自身の1963年の役割は秘密にしており、調査を事実上妨害していた可能性があります【41†L183-L190】。今回のファイル公開でその関連がはっきり示され、CIAとオズワルド、反カストロ勢力の三者が入り組んだ構図が再検証されることになるでしょう。
その他の明らかになった点
これらの大きなトピックに加えて、今回の8万ページにおよぶ文書には当時の冷戦下の混乱を伺わせる興味深い事例が多数含まれています。
  • インテリジェンスの失敗と混乱
    いくつもの文書は、当時のCIAやFBIがいかに不十分な連携や誤認を繰り返していたかを示しています。たとえば、先述のようにメキシコシティで別人がオズワルドを名乗った問題や、情報共有の遅れなど、後から見れば信じがたいレベルの錯綜が見られます【21†L196-L204】【23†L271-L279】。こうした雑多な事情が、結果的に公式説明に矛盾点をもたらし、陰謀説を助長した可能性があります。
  • CIAへの不信感を抱いていたケネディ
    今回部分的に黒塗りが解除されたアーサー・シュレジンジャーJr.の1961年6月付メモには、ケネディ大統領自身がCIAの権限肥大化に懸念を持っていた旨が詳細に書かれています【32†L61-L70】【28†L84-L92】。ベイ・オブ・ピッグス事件後、CIAが国務省を差し置いて独断的に工作を進める態勢に苦言を呈していたようで、大統領とCIAの対立が既に顕在化していたことをうかがわせます【35†L89-L97】。これが「ケネディがCIAに嫌われた理由ではないか」という推測を改めて強化する素材になるかもしれません。
  • 海外諜報機関の反応
    ソ連やキューバがケネディ暗殺をどのように受け止めていたかを示す書簡や報告書も今回まとめて公開されました。例えば、KGBは自国の情報ファイルを精査し、オズワルドをエージェントではなかったと結論づけていたことや【39†L105-L113】、ソ連首脳フルシチョフが暗殺直後「アメリカの内部クーデターの可能性」を恐れていたという記録などです【3†L15-L18】。キューバのカストロも早い段階から「自分たちが暗殺に関与するのは自殺行為だ」と否定していたことが改めて裏付けられています。
    これら海外側の動きは、事件直後から「ソ連・キューバを背後関与として非難する議論」が存在した一方、彼ら自身も米国の右派勢力や諜報機関による陰謀を恐れていたという冷戦下特有の不信感を浮かび上がらせます【21†L193-L201】。
  • 教会委員会(Church Committee)やロックフェラー委員会の調査
    1970年代に議会や特別委員会がCIAやFBIの違法・超法規的活動を調査した際の証言も一部公開されており【26†L219-L227】【36†L212-L217】、CIAが国内政治家や司法長官(ロバート・ケネディ)にまでスパイを仕掛けようとしていた可能性も示唆されています【36†L209-L217】。これは暗殺事件自体と直接関係するかは不明ですが、諜報機関がかなり自由に行動していた実態を示し、陰謀論を肯定する余地を残します。
新事実の影響・意味するところ
これらの8万ページに及ぶ資料から得られる示唆をまとめると、次のような点が挙げられます:
  1. 従来からの疑念が一部裏付けられた
    オズワルドが「無名の単独犯」として捜査網から外れていたわけではなく、CIAやFBIは彼をずっと観察し、警告も受けていたということが公文書で明らかになりました【39†L83-L88】【12†L62-L70】。また、ジャック・ルビーによるオズワルド射殺があまりにも巧妙かつ裏社会との接点が深いことも確認され【20†L133-L139】【23†L253-L261】、以前からの陰謀疑惑を補強する形になっています。
  2. 複数犯の可能性が一段と高まった
    依然として「オズワルド以外にも銃撃者がいた」と断定する決定打はないものの、ボールistics(弾道学的証拠)や目撃証言の食い違いを示す記録が出てきたこと、そして政府内でも当時から「単独犯行は怪しい」と考える向きがあった点などにより【26†L187-L194】【37†L163-L170】、ローンガンマン説は説得力を失いつつあります。少なくとも、オズワルドが唯一の犯人とは限らないということを、公的文書も裏書きする形になりました。
  3. 暴力団・反カストロ勢力・CIAが交錯する複雑な構図
    マフィアはキューバの賭博利権を失った怨恨があり、反カストロ亡命者はベイ・オブ・ピッグス失敗でケネディを恨んでいたうえ、CIAはカストロ政権打倒のためなら違法行為も辞さない状況。これらの勢力が互いに連絡を取り合い、必要に応じて協力さえしていたことが、今回の文書でより明白になりました【37†L173-L180】【23†L279-L287】。この三者が暗殺にどう関与し得るかは、まさに陰謀論の核心ですが、今回の公開資料はそうしたシナリオを「荒唐無稽」とは言い切れない十分な土壌を提供しています。
  4. 公式説明の再検証が不可避に
    ウォーレン委員会の結論(オズワルド単独犯行)や、後の政府報告書の主張は、この新資料に照らし合わせると、不備や隠蔽があったことを否定できなくなりました。多くの目撃証言や内部メモが**“単独犯説”に対する強い疑問**を示しており、CIAやFBI、果てはホワイトハウスまでも、何らかの事情から情報を伏せていたことが明らかです。【26†L187-L194】【37†L163-L170】。学術的にも、事件の再検証が今後一層進むでしょう。
  5. 透明性・信頼性への影響と教訓
    これほどの文書が何十年も後になって公開された事実は、政府機関が「国家安全保障」という名目の下で、多くの場合は自らの失態や不祥事を覆い隠そうとする現実を示します【30†L33-L41】【28†L81-L88】。暗殺防止の可能性や、少なくともオズワルドに関する情報共有が徹底されていれば、悲劇は回避できたかもしれない。今回の公開により、一般市民はようやく公式記録全体像をある程度把握できるようになったため、歴史解明の一歩前進となり得ます。結局のところ、真実はいつか必ず公表されるというメッセージを行政機関に与え、今後の情報開示にも影響を与えるでしょう。
結論
2025年のJFK暗殺関連文書の大量公開は、ここ数十年で最も注目すべき歴史資料公開の一つとなりました。決定的な一枚の書類で「事件の黒幕」を完全に特定するわけではないものの、合計8万ページのファイルにより、これまで伏せられてきた事実が次々と明らかになっています。以下の点が特に重要と考えられます:
  • リー・ハーヴェイ・オズワルドはCIAやFBIの監視下にあり、ソ連やキューバとも予想以上に深い接触があった【12†L62-L70】【39†L105-L113】。
  • ジャック・ルビーには暗殺前からケネディ殺害を知っていた節があり、マフィア的な背景を含む陰謀に加担していた可能性が高い【20†L133-L139】【23†L253-L261】。
  • 公式見解(単独犯)を揺るがす複数の証拠――第二の銃撃手や証言隠蔽、捜査機関内部の疑念など――が文書で裏付けられつつある【26†L187-L194】【37†L160-L168】。
  • CIAとマフィア、反カストロ亡命者がそれぞれの利益のために協力関係を築き、ケネディ政権と対立関係にあった事実が改めて証拠づけられた【37†L173-L180】【13†L59-L67】【41†L183-L190】。
これらによって、ケネディ暗殺は単なる「狂信者による突発的犯行」ではなく、複雑な冷戦下の政治的背景と多様な利害関係者を考慮に入れるべき事件だったことが、一層はっきりしてきました。事件解明は依然として容易ではありませんが、今回の公開により、謎のパズルのピースが幾つも揃い始めたのは確かです。政府が隠してきた情報を今になってようやく公開したことで、学術研究やジャーナリズムの再調査が活性化し、真相に迫る作業が今後さらに進むと期待されます。
今なおこの暗殺事件はアメリカ史上最大の謎として論じられ続けていますが、今回の開示で、アメリカ国民のみならず世界中が、ようやく複雑な実態の一端に触れられるようになりました。最終的な結論に至るかどうかは別として、これまで秘匿されてきた情報がこれほど明るみに出た意義は計り知れません。今後の研究成果により、ダラスで何が起こったのか、その真実に一歩でも近づくことが期待されます。

ここからは、私の私見
8万ページにも及ぶ資料を僅か数分で要約してくれた
ChatGPTの凄さに感銘を受けています。

そして、この文書を公開してくれたトランプアメリカ大統領にも感謝です。

誰が真犯人なのかを明確にはしていないものの
なぜあの時JFKが暗殺されなければならなかったかの背景が
複雑に、国内外の情勢が入り組んでいたことを思い知らされました。
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