歯科医師・山田忠生
自分のものとする
”量と質”の哲学的関係について、フロムは次のように述べている。私たちの社会は基本的には結果の早さに関心をもっている。機械はスピードを求めてデザインされる。新しい機械が半分の時間で同量を生産することができれば、この機械は古い機械の2倍優秀であるといわれる。この過程には経済的優位(利益)があることは事実であり、ある程度は人間の価値というものは経済的価値によって決められる。その理由は機械に良いことは、人間にも良いからである。しかし、フロムは生産のスピードアップによって得られた時間は、しばしば浪費されてしまうものであると指摘している。
私たちは、私たちのプロフェションにおいて機械が作動しているスピードに、量の概念を当てはめようと試みてきた。しかし、私が述べたいことは工場論理によって作り出された環境の中では、人に奉仕することや、経験を役立たせることは不可能だということである。機械にとって良いこと、自動車にとってよ言うことが、人間にとって良いこととは限らない。
自分のものとする
”量と質”の哲学的関係について、フロムは次のように述べている。私たちの社会は基本的には結果の早さに関心をもっている。機械はスピードを求めてデザインされる。新しい機械が半分の時間で同量を生産することができれば、この機械は古い機械の2倍優秀であるといわれる。この過程には経済的優位(利益)があることは事実であり、ある程度は人間の価値というものは経済的価値によって決められる。その理由は機械に良いことは、人間にも良いからである。しかし、フロムは生産のスピードアップによって得られた時間は、しばしば浪費されてしまうものであると指摘している。
私たちは、私たちのプロフェションにおいて機械が作動しているスピードに、量の概念を当てはめようと試みてきた。しかし、私が述べたいことは工場論理によって作り出された環境の中では、人に奉仕することや、経験を役立たせることは不可能だということである。機械にとって良いこと、自動車にとってよ言うことが、人間にとって良いこととは限らない。