極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

I am grateful that I can freely write my daily thoughts

人種差別と戦った日本

2014-12-16 06:19:58 | 道徳等
 牧野伸顕(まきの のぶあき:1861年11月24日、文久元年10月22日、薩摩国鹿児島城下加治屋町猫之薬師小路に薩摩藩士・大久保利通と妻・満寿子の二男として生れ、幼名は伸熊)と言っても殆どの人は誰かわからないと思いますが、1次大戦終了後、パリでの講和会議で欧米列強に対し、人種差別撤退日本提案を訴えた人です。
当時の世界情勢は弱肉強食の時代で、有色人種国からは搾取に次ぐ搾取で、有色人種は動物のごとく扱われていました。
 
 我々がヨーロッパを旅行すると豪華絢爛な城等を見ることができますが、この裏にはアジア、アフリカ等々の植民地での搾取した利益により造られていることを知るべきです、アジア、アフリカ等々血と涙が流れています。植民地支配の根底には人種差別が存在しています。
1次大戦終了後(1919年)1月14日、講和会議のためフランス、パリに到着した日本全権団は「人種差別撤廃提案」成立のため、牧野伸顕らは各国と交渉を開始しますが、特にイギリスとの交渉は難航、イギリス帝国内の自治領であるオーストラリア、カナダが強く反対、オーストラリアは白豪主義体制を国是としていました、労働問題等もあり、選挙が目前に迫っていたこともあり、この提案はとても受け入れがたいものであったようです。
 
 イギリスのロバート・セシル元封鎖相、アーサー・バルフォア外相は、個人的には日本の立場に賛成だが、人種差別撤廃という問題を連盟規約で扱うのは妥当ではないと回答、バルフォアは特定の国において、人々の平等というのはありえるが、中央アフリカの黒人がヨーロッパの人間と平等だとは思わないと述べています。
当時のパリ講和会議において、日本代表は自国の利害が絡む山東問題・南洋諸島問題以外は積極的な発言を行わずサイレント・パートナーとさえ揶揄されていました。米ウィルソン大統領の悲願であった国際連盟設立に関しても、日本は消極的態度に終始し、各国の失望を買っていたと言われています。

 1月の五大国会議で牧野伸顕が連盟設立に関して意見を留保したことは、米大統領ウィルソンやデビッド・ロイド・ジョージイギリス首相の不興を買ったと言われており、日本側提案の採択は極めて難しいと見られていましたが、日本側は正否はともかく、本問題に関する我主張を鮮明することは、日本のみならず有色人種の将来のためにも極めて緊要という判断から、提案を行うことになったと言われています。

      最初の提案
 2月、国際連盟委員会において、牧野は連盟規約21条の宗教に関する規定・・・各国均等の主義は国際連盟の基本的綱領なるに依り締約国は成るべく速に連盟員たる国家に於る一切の外国人に対し、均等公正の待遇を与え、人種或いは国籍如何に依り法律上或いは事実上何等差別を設けざることを約す、という条文を最後に追加するように日本側が提案します。
牧野伸顕は、特に「人種・宗教の怨恨が戦争の原因」となっており、恒久平和の実現のためにはこの提案がどうしても必要であると訴えました。

 この提案によって即座に各国における人種差別政策撤廃が行われるわけではなく、その運用は国家の為政者の手にまかされると述べ、受け入れやすいよう柔軟性を持たせていました。
ベルギー代表は日本案の条文に反対、ブラジル・ルーマニア・チェコスロバキアの代表が日本の主張に理解を示す発言を行い、中華民国代表は本国の訓令を待つとして意見を保留しました。
その後、宗教に関する規定そのものを削除するべきと言う意見が多数となり、21条自体が削除されました、牧野伸顕は人種差別撤廃提案自体は後日の会議で提案すると述べ、次の機会を待つこととなりました。
 
 人種差別撤退提案は、海外でも大きく報道され、様々な反響を呼ぶことになりました。西洋列強の圧力に苦しんでいたリベリア人やアイルランド人、全米黒人地位向上協会(NAACP)等々から人種的差別撤廃提案に感謝の言葉を受けています。
2月アメリカに一時帰国した米大統領ウィルソンは、人種差別撤廃提案が国内法の改正に言及しており、内政干渉に当たるという国内の強い批判に直面することとなりました。アメリカ合衆国上院では人種差別撤廃提案が採択された際には、アメリカは国際連盟に参加しないという決議が行われており、ウィルソンもこの反対を抑えることはできませんでした。
3月、牧野はオーストラリアのビリー・ヒューズ首相と会談しましたが、ヒューズ首相は国内事情から賛成できないと述べ、その後のイギリス帝国各国代表を交えた会議でも強硬に反対しました。イギリス・ニュージーランド・カナダは牧野の説得で賛成に傾きつつあったが、ヒューズの強硬な態度はこれらの国も反対に回帰させてしまいました。

     2回目の提案
 4月、夜の国際連盟委員会最終会合において、牧野伸顕は連盟規約前文に国家平等の原則と国民の公正な処遇を約す、との文言を盛り込むという修正案を提案しました。イギリスのセシル元封鎖相は、このような文句の挿入は全く無意味であり、意味があるとするなら、重大な反対をしなければならない。この問題は国際連盟成立後の活動に待つべきである。日本は現時点において五大国のひとつである事実をみれば、待遇の優劣は国際連盟においては問題にならないと猛反対しました。
 
 牧野伸顕は日本修正案はあくまで理念をうたうものであって、その国の内政における法律的規制を求めるものではないにも関わらず、これを拒否しようというのは、イギリスが他の国を平等と見ていない証拠であるとし、修正案の採決を強く求めました。
 その後イタリア、フランス、ギリシャ、中華民国、ポーランド等の各代表が賛否を述べ、討議が行われました。議長であった米大統領ウィルソンは、この問題は平静に取り扱うべきであり、総会で論議することは避けられないと述べ、提案そのものを取り下げるよう勧告したが、牧野伸顕は採決を強く要求しました。
 
 議長、米大統領ウィルソンを除く出席者16名が投票を行い、フランス代表・イタリア代表各2名、ギリシャ・中華民国・ポルトガル・チェコスロバキア・セルブ・クロアート・スロヴェーヌ王国(後のユーゴスラビア王国)の各1名、計11名の委員が賛成、イギリス・アメリカ・ポーランド・ブラジル・ルーマニアの計5名の委員が反対

 ウィルソンは「全会一致でないため提案は不成立である」と宣言、牧野伸顕は「会議の問題においては過去多数決で決定されている」と反発したが、ウィルソンは本件のような重大な問題については全会一致、少なくとも反対者ゼロの状態で採決されてきたと回答しました、牧野伸顕は日本はその主張の正常なるを信ずるが故に、機会あるが毎に本問題を提議せざるを得ない・・・また今晩の自分の陳述および賛否の数は「議事録に記載してもらいたい」と述べ、ウィルソンも応諾し、議事録記載となりました。こうして日本が列強ヨーロッパに対し求めた、人種差別撤退提案は実現しませんでしたが、議事録に記載されたことで、後世多くの有色人種国が日本が有色人種の平和繁栄に努めるために努力した証を知ることが出来たと言われており、日本は有色人種国から見れば希望の星でもあったと言え、現在も希望の星です!

 フランス代表フェルディナンド・ラルノードは、この採決方式に疑問を呈しています。4月の国際連盟国総会議において牧野伸顕は人種問題の留保について演説を行い、人種問題に関する日本政府の立場を説明しました。成立は困難であると見られたため、総会での提案は行われませんでした。以降、日本は人種差別撤廃に関する提案を一時断念することとなりました。
当時の人種差別世界情勢の中で、堂々と独立国として、欧米列強国に対し日本の意思を表明したことは素晴らしいことです。

  参考
投票の内訳

・・・賛成・・・
大日本帝国 (2票)
フランス (2票) - 委員の一人はレオン・ブルジョワ元首相
イタリア王国 (2票) - 委員の一人はヴィットーリオ・エマヌエーレ・オルランド首相
ギリシャ王国 (1票) - エレフテリオス・ヴェニゼロス首相
セルブ・クロアート・スロヴェーヌ王国(後のユーゴスラビア王国) (1票)
チェコスロバキア (1票)
ポルトガル (1票)
中華民国 (1票)
総計11票

・・・反対又は保留・・・
アメリカ合衆国(1票) - アメリカ代表委員の一人ウィルソンは議長のため投票に不参加
イギリス (1票)
ブラジル (1票)
ポーランド(1票)
ポーランドは倫理上の観点からではなく、条文に規定がない提案を前文に挿入することは規約の構成上問題があるという法理学上の観点から反対意見を述べています。
ルーマニア王国(1票)
総計5票

 提案の否決によって日本国内の新聞世論や政治団体は憤激し、国際連盟加入を見合わせるべきという強硬論も強まりました。外交調査会でも伊東、犬養、内田外相、田中義一が牧野を軟弱と批判しましたが、提案達成より米英との協調を図るべきと考えた原敬首相は牧野伸顕を擁護しました。

 1924年にはアメリカでいわゆる排日移民法が成立し、日系移民が全面禁止、日本国民の対米感情の悪化は決定的になりました。
1929年に世界恐慌が始まると、植民地が少ない日本は、第1次世界大戦後に植民地を喪失し、フランス政府による、歴史上類がない報復的なヴェルサイユ体制に反感を持つドイツ(日本が模範とした国家)への親近感を強め、植民地大国であるイギリスやフランスへの反感を強めました。これら一連の流れは、その後の太平洋戦争(大東亜戦争)への呼び水となりました。

 牧野伸顕・・・人種、宗教の怨恨が戦争の原因の一つ・・・
 自国の主張を堂々と列強欧米に述べる、根底には日本が世界平和を望んでおり、有色人種の平和繁栄を望んでいた、大東亜共栄圏に繋がるかなと思います・・・輝いていた当時の日本!
現日本も独立国として、輝きを取り戻すことは十分可能だと思います。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« AIGとCIA(フィクション) | トップ | 拉致問題は幕切れか・・・ »
最新の画像もっと見る

道徳等」カテゴリの最新記事