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沖縄集団自決の真実、心優しき隊長達

2014-08-20 17:04:35 | 戦後

 第2次大戦末期、アメリカ軍が沖縄本島に上陸すると、日米両軍との間に連日死闘が繰り返され、多くの沖縄の民間人も巻き添えになって、たくさんの死傷者が出ました。(民間人の巻き添え!これが沖縄の最大の悲劇ですね。)

 戦後私達が教えられてきた沖縄戦は「沖縄の日本軍は、民間人に集団自決を強制し多くの住民を殺害した、日本軍は悪人である」等々・・・中学や高校等で教えられ、多感な生徒たちは、日本軍はなんてひどい軍隊だと思ってました。この日本軍(現地沖縄の指揮官)の命令による集団自決というのは、嘘であったことが分かりました。しかしこのことはニュース、新聞等で報道されることはありませんでした、日本人は今でも多くの人が日本軍は悪人と信じ続けています。
 
 沖縄の集団自決は沖縄県那覇市の南西にある渡嘉敷島でありました。米軍の攻撃が激しくなり、住民が日本軍の陣地に逃げ込もうとした。そのとき、守備隊、赤松嘉次隊長が「住民はここに入るな、軍は最後の一兵になるまで戦って玉砕する。住民は日本の必勝を祈って自決せよ。」と言ったというのです。手榴弾を手にした村長や家長が「みんな笑って死のう」と悲壮な叫びをあげて、329人が集団自決したという、そのようなことが学校の教科書等に書かれ、新聞でも報道されてきました。しかし、これは全くの虚偽でした。

 沖縄戦では、多くの老人、若者、子供も男女分け隔てなく、献身的に日本、沖縄の未来を信じ日本軍に協力していました。沖縄本島南部地域は一家が全員死亡等々、想像を絶する状況であったと言われております。
 
 沖縄戦の悲惨さを梅沢、赤松両隊長は脳裏に焼き付いていたようです。集団自決という悲しい出来事もありましたが、それは軍の命令ではなく、村長自らの速まった指示でした。
 
 現場にいた金城武徳さんの証言では、集団自決を呼びかけたのは、日本軍の赤松隊長ではなくて島の村長さんでした。村長が「みんな玉砕しよう」と言って、集団自決が始まり、島の住民約600人のうち300人くらいが手榴弾等を用いて亡くなりました。
 死に切れなかった人は日本軍の陣地に行って、機関銃を貸してくれ、皆自決するからと言ったそうです。赤松隊長が出てきて、なんという早まったことをしてくれたんだ!戦いは軍がやるのだから、お前たちはしなくてもいいんだ。我々が戦う弾丸もないくらいなのだから、自決用の弾丸なんてない!とキッパリ断ったのです!それが真実でした。
 赤松隊長は止めに入ったのです、ところが戦後、集団自決を命じたのは赤松隊長であったかのように大々的に報道されました。教科書にまで書かれました。そのために赤松元隊長と彼の家族は世間から猛烈な非難を浴び続けました。家族の娘さんも、お父さんはそんなにひどい人だったのかと思って非常に苦しまれ、苦難な戦後を歩まれていました。

 25年後、沖縄県で慰霊祭がありました。赤松元隊長も慰霊祭に参加しようと沖縄の那覇飛行場に降り立ちましたが「集団自決、虐殺の責任者、赤松よ、帰れ、人殺し、帰れ、沖縄県民に謝罪しろ等々」多くの抗議団が待ちかまえていました。彼らが口々にののしる中、赤松元隊長は無言でじっと立ちつくしていました。彼はやがてやっと口を開き、事実は違うと言いました。すると抗議団は激怒して、あれこれと言い放ちました。また新聞記者たちが、では、真相を聞かせて下さいと言うと、「この問題はいろいろなことを含んでいるので、そっとしておいてほしい」と答えるだけでした。赤松元隊長は真相を話そうとしませんでした。普通の人間だったらその場で理由を説明し難を逃れたでしょう。

ついに、真相が明らかになる日がやってきました。
 真相は国の法律では、日本軍で働いていた人や、軍の要請に基づいて戦闘に協力した人が死んだり、負傷したりした場合は、遺族は遺族年金をもらえることになっていました。
 しかし、日本軍と関係ないところで自殺したのなら、遺族年金は出ません。だから、遺族年金をもらうためには、あの集団自決は軍の命令のもとで行なわれたものだ、とする必要があったのです。遺族たちは、国から遺族年金をもらうために、集団自決は日本軍の命令で行なわれたと嘘の証言をしました。
 
 赤松隊長だけでなく、沖縄の座間味島(渡嘉敷島の隣の島)にいた守備隊、梅沢裕隊長の場合もそうでした。梅沢隊長も、集団自決の命令を下した責任者という濡れ衣を着せられていました。
 島の住民すべては忠魂碑前で玉砕せよ、と命じたのは梅沢隊長だったと言われ、世間の激しい非難をあびてきたのです。 しかし梅沢隊長の場合も、実際に自決を呼びかけたのは村長や村の人々でした。けれども戦後、遺族は国から遺族補償金をもらうために、集団自決を命じたのは梅沢隊長だったとウソの証言をしました。梅沢元隊長の人生は、本当に地獄、苦難の日々が続きました、両隊長は沖縄の悲惨さ、献身的に老人、若者、子供も男女分け隔てなく日本軍に協力していたことを身をもって知っていました。
 
 マスコミをはじめ、様々な人から非難され、職場では偏見の目で見られ、しかしここでも真相は語りませんでした・・・仕事を転々としました、苦難の道を歩んでる沖縄の人のことを考えたでしょう。また息子さんまでが反抗するようになって、家庭が崩壊してしまい、ずっとつらい思いをしてきました。
「自分が犠牲になれば多くの人を助けることができる!、赤松隊長同様信念は変わりません。」
 
 戦後35年たった1980年、宮城初枝さんという方が、梅沢元隊長に突然会いたいと連絡してきました。宮城さんは、「集団自決の命令を下したのは、梅沢隊長だった」と嘘の証言をした当の本人です。

 宮城さんは、自分がかつて嘘をついたことを謝るために、梅沢元隊長に会いに行って、そして謝罪しました。宮城さんは人生を省み、良心が許さなかったでしょう、勇気ある方ですね。
宮城さんは、周囲の人々の目もはばからず、泣いて嗚咽したそうです。
梅沢元隊長は、「ありがとう」「ありがとう、よく言ってくださった」と・・・
また、国に嘘の申請をした宮村幸延氏も、のちに梅沢元隊長に会って直接謝罪しました。
何十年もたってから謝罪された梅沢元隊長は、そのときこう言いました。
「今まで自分は心中おだやかではなかったけれども、それで村民が潤い、助かったのだから、いいじゃないか・・・」沖縄戦で多くの民間人の犠牲を出した現実、住民達の今後の生活を考えたと思います。「自分が犠牲になればいくらかの恩給が出て、生活がいくらか向上する・・・」相手を思いやる、何と心優しい人間だろうか、他人を想いやる心、自己犠牲の精神
 戦前、戦中の日本人に素晴らしい人間愛を感じます、他人を思いやる自己犠牲の精神、この事実を是非多くの方に知ってもらいたいですね。
 
参考資料等 
「沖縄戦・渡嘉敷島『集団自決』の真実――日本軍の住民自決命令はなかった!」(曽野綾子著 WAC文庫)

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