極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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当時のブッシュ政権・ペンタゴンに懐疑的であった、元・ウェズリークラーク米陸軍・将軍

2017-09-11 13:05:11 | 戦後

以下文は、米国内のWesley Clark Biography.comの記事を翻訳等々していますが、素人の為、誤訳、可笑しな解釈等も多々あると思います。北朝鮮に影響を与えた米国の将軍でもあると言われています。雑文とします。英語の参考文を最後に記しておきます。

 

ウェズリー・クラーク氏(Wesley Clark)は、元・米陸軍将軍で1944年生まれ、今もユーチューブ等で会見等々を見ることが出来ます。米国内では軍人、米国人としてもバランスが取れた聡明な方と言う方が多いようで、良識の将軍とも言われ愛国者、正義心が強く、勇気ある人物でもあります。平和協議にも多く関与されているようで信頼も厚かったようです。

過去の有名なユーチューブ(U S Plan- Destroy 7 countries in 5 years)は、1997年ブッシュ政権下、中近東、アフリカ(産油国等)7カ国(シリア・レバノン・イラン・スーダン・リビア・イラク・ソマリア)への、5年以内の根拠なき理不尽な攻撃計画をペンタゴンから渡され、呆れているユーチューブ動画が世界で有名です。

この攻撃計画により、理不尽にもイラク戦争は2003年に開始、リビア内戦は2011年・・・カダフィ氏は殺害、政府は崩壊、シリア、スーダン、レバノン、ソマリア国内は紛争が絶えず、国内は崩壊寸前、疲弊しきってしまいました。当時のブッシュ政権、ペンタゴンにこのような理不尽な攻撃をする権利が何処にあるでしょうか。

ウェズリー・クラーク氏は、当時このブッシュ政権、ペンタゴンに対しては懐疑的な見方をされているようです。北朝鮮もこのブッシュ政権、ペンタゴンの攻撃対象国の策を徹底的に研究(個人プログ)し、特に理不尽なイラク戦争・・・当時の北朝鮮への悪の枢軸、攻撃対象国指定は現在も巧妙に形を変え継続されていると思います。以後の対米策等を立てた結果が核・ミサイル開発になったと思います。

当時のブッシュ政権以来、米国は北朝鮮を悪の枢軸、攻撃対象国としており、更に現在も朝鮮戦争以来、長きに渡り戦争状態(1953年7月27日にマーク・W・クラーク大将が一時休戦に調印、現在も休戦継続中)でもあり、現在もこの流れは変わらないように思います。朝鮮戦争(休戦中)状態を何とか解消したいトランプ大統領、表向きの強硬路線の振る舞いは必要悪か・・・米国に君臨する人達は、対立があるから朝鮮半島は利用価値があり、朝鮮半島の問題を真剣に議論しようとしたら、例え大統領であっても許さないでしょう。この延長線上に現在の北朝鮮の核・ミサイル開発、発射訓練と言えるかも知れません。

この1997年、当時の7か国攻撃計画は当然北朝鮮にとっても他人事では無く、大きな脅威であったと言われています。北朝鮮が当時、最も関心を持った米国の将軍であることは間違いないようです。

欧米では報道されていますが、日本では、多くのメディアはこのユーチューブ等々、ウェズリー・クラーク氏については、今も報道を避けています。

 

ウェズリー・クラーク氏は、当時の米陸軍での階級は米国合同参謀本部では最上位に位置し、NATO最高司令官でもあり有能な軍事指導者で、米国を愛し、孫子の兵法に徹した将軍と言えそうです。

米軍勤務は34年間で、最終的にはウェズリー・クラーク氏は4スター(肩に4つの★の階級章を着けています。米軍では最高位の大将の階級です。)将軍となりました。

頭脳明晰で、当時は合同参謀本部の戦略計画、政策担当ディレクターに任命されています。NATOの最初の主要戦闘行動で、コソボでの民族浄化から150万人のアルバニア人を救っています。当時は連合軍最高司令官として指揮を執っていました。

1944年12月23日、イリノイ州シカゴで生まれました。父親(ベンジャミン・カンヌ)は検察官から民主党の政治家なっています。父親はウェズリーが幼い頃に亡くなり、彼と母親はアーカンソー州リトルロックに引っ越しています。1954年、母親はウェズリーの義父になったビクター・クラークと再婚されています。

陸軍ウェストポイントの米国軍事アカデミーを卒業し、ロードス奨学金(J.ロードスの資産により、学生がオックスフォード大学で勉強することを可能にする奨学金)でイングランドのオックスフォード大学で2年間学んでいます。

シルバー・スター、ブロンズ・スター、パープル・ハート等、数々の米軍勲章および外国軍賞を受賞、2000年8月には、民間人最高の勲章である、自由の大統領勲章を受賞されています。

1994年には、米国の軍事戦略計画の全責任を担う合同参謀本部の戦略計画と政策担当ディレクターに任命されています。1994年、ハイチ侵攻に関してもペンタゴンが侵攻の出口戦略を策定したと主張しています。1995年にはクラーク将軍は戦争を終結させる米国の努力の中で軍事交渉者としてバルカンに行き、デイトン平和協議において重要な役割を果たしています。

軍隊から退いた後、2000年7月にコンサルタントとしてスティーブンス社に入社、2001年~2003年までマーチャント・バンキング担当マネージング・ディレクターを務めています。

2003年初頭、何千人もの人達がクラーク氏の大統領キャンペーンを開始しました。9月の民主党大統領への候補を発表しています。国民が米国大統領を望んでも、支配層にとっては望まなかったようです。

妻のゲルト氏は、アーカンソー州リトルロックに住んでいます。1人息子のウェズリーがいますが、CNNの頻繁なパブリックスピーカーとコメンテーターであり、ボスニア、コソボ、未来のベストセラー「現代戦争」の著者でもあります。

最近の著書「Winning Modern Wars」は、2004年10月に出版されています。

ウェズリー・クラーク氏は、最高位階級の軍人で孫子の兵法に徹し、軍事力の行使には米国益、正当性を重視していたようです。トランプ大統領同様、米国を愛した本当の愛国者の一人と言えそうです。

 

参考文

Wesley Clark Biography.com

General(1944–)

Wesley Clark is a military leader who rose to the top tier of the U.S. Joint Chiefs of Staff and was NATO Supreme Allied Commander.

IN THESE GROUPS

Synopsis

During his 34 years in the U.S. Army, Wesley Clark rose to the rank of four-star general and was named director for strategic plans and policy of the Joint Chiefs of Staff. As Supreme Allied Commander and Commander in Chief of the U.S. European Command, Clark commanded Operation Allied Force, NATO’s first major combat action, which saved 1.5 million Albanians from ethnic cleansing in Kosovo.

General. Born Wesley Kanne on December 23, 1944 in Chicago, Illinois. After his father, prosecutor and democratic politician Benjamin Kanne, died when Wesley was a young child, he and his mother moved to Little Rock, Arkansas. In 1954, his mother married Victor Clark, who became Wesley's stepfather. He graduated first in his class from the United States Military Academy at West Point and studied for two years at England's Oxford University on a Rhodes scholarship.

During his 34 years of service in the United States Army, Clark rose to the rank of 4-star General and NATO Supreme Allied Commander. He is the recipient of numerous U.S. and foreign military awards, including the Silver Star, Bronze Star and Purple Heart. In August 2000, Clark was awarded the Presidential Medal of Freedom, the nation's highest civilian honor.

In 1994, Clark was named director for strategic plans and policy of the Joint Chiefs of Staff, with responsibilities for worldwide U.S. military strategic planning. It was there that General Clark insisted that the Pentagon develop an exit strategy for the 1994 invasion of Haiti. In 1995, General Clark traveled to the Balkans as the military negotiator in a U.S. effort to end the war in Bosnia, playing a vital role in the Dayton peace talks. As Supreme Allied Commander and Commander in Chief of the United States European Command, Clark commanded Operation Allied Force, NATO's first major combat action, which saved 1.5 million Albanians from ethnic cleansing in Kosovo.

After retiring from the military, Clark joined Stephens Inc. as a consultant in July 2000 and served as Managing Director, Merchant Banking from 2001 to 2003. In early 2003, thousands of Americans launched a campaign to draft Clark to run for President; he announced his bid for the Democratic presidential nomination in September.

Clark and his wife, Gert, live in Little Rock, Arkansas. They have one son, Wesley. A frequent public speaker and commentator for CNN, he is the author of the best-selling Waging Modern War: Bosnia, Kosovo, and the Future of Combat. His most recent book, Winning Modern Wars, was published in October 2004.


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