想い出の小箱Ⅱ : 徒然草子

日常生活の中で感じたことを、徒然なるままに記述する。
OCNブログ人「想い出の小箱:レコード・コレクションからの続き。

井山踏ん張り、棋聖位防衛

2015-03-24 10:53:33 | 囲碁

囲碁棋聖戦は井山の3連勝で、一気に決着がつくかと思われたが、山下の踏ん張りで最終局までもつれ、楽しむことが出来た。
第1局の半目勝負が流れを決めたようであるが、内容的には面白いシリーズだった。
井山はNHK杯で17歳の一力に敗れるなど、やや疲れを感じさせる碁が続いていたが、最終局では挑戦者より先に入室するなど、気迫が感じられた。
NHK杯では、若い初出場同士の伊田と一力という予想しない展開になったが、河野、高尾、井山という実力者を破った一力を伊田が一蹴した。
伊田は、NHK杯3連覇中の結城を破り、昨年の本因坊戦挑戦がフロックでないことを証明した。
準決勝では二人とも実力者を圧倒し、若い力が台頭していることを印象付けた。
今年の囲碁界は面白くなりそうだ。

社会に不用な企業

2015-03-23 10:26:43 | 社会・経済
東洋ゴムの免震ゴムの虚偽は衝撃だ。
病院や公共施設ほか多くの建造物に効果のない免震ゴムが使用されているという。
しかも、会社はこの事実を把握しながら工事を続けたというから驚きだ。
阪神淡路大震災の教訓から、免震構造の改良工事が進められているが、社会に対する裏切り行為であり、責任は重大だ。
食品表示の偽装や不良品質の隠蔽といったことが新聞紙上をにぎわせたのは記憶に新しい。
医薬品のデータの改ざんとなると、命にかかわるだけにさらに深刻だ。
しかし、これらに対する罰則は、非常に軽く、問題の大きさに比べ、企業はあまりダメージを受けていない。(マクドナルド、ベネッセのダメージは大きいようだが)
したがって、皆で力を合わせて、ブラック企業を排除する覚悟が重要だ。
騙されるのが悪いという人もいるようだが、誇大広告にだまされる人も多いだろう。
例えば、リクルート・カードのように、期限の通告なしに、一方的にポイントを失効にするなど一例であるが、ポイントにかかわるトラブルは後を絶たないようだ。
お互いどんどん情報を公開することで、少なくとも被害を軽減することは可能だろう。
社会に不必要な企業は退出してもらおう。

東京高裁のあきれた判決

2015-03-21 11:17:58 | 社会・経済
「一票の格差」の判決が東京高裁であった。
昨年12月の選挙前に、「0増5減」し、格差を縮小した点を評価し、「合憲」の判決を出した。
最高裁が指摘した改革をせずに放置し、選挙前に「0増5減」という、お茶を濁した程度の改革を是認したのだ。
いずれ、他の高裁に続き、最高裁の判断が出るわけで、東京高裁の判決は大して意味がないかもしれないが、東京高裁の裁判官は、まるで何もしたくない政府の応援団のようだ。
一票の平等は民主主義の根幹であり、これが理解できないのは、憲法で保証している平等を否定するものであり、裁判官の資質に疑問を抱かざるを得ない。
高裁の裁判官は国民の審判を受けないので、その資質に目をつぶらざるを得ないのだろうか。
せめて、「選挙は無効とはしないものの、現状は違憲状態で、早急に改革すべきであり、国会で改革が出来ないのであれば、第三者に委託すべきである。」くらいの意見を付すべきであろう。
新聞情報では、少数意見の状況はわからないが・・・

新印象派、光と色のドラマ

2015-03-19 16:35:03 | アート・文化
ポケットWifiの機器が作動しなくなり、購入した都内の電気店へ出かけた。
出かける時には、タブレットと一緒に持ち歩いているので、無いととても不便である。
幸い、修理に出さずに直ったので、時間を有効活用すべく、上野へ出向いた。
今日は、シルバー・デーとかで、東京都美術館は65歳以上無料で、丁度見たいと思っていた「新印象派展」が開催されていた。
無料なので、行列かと思ったら、拍子抜け、待ち時間ゼロで入場できた。
時候が良くなったので、他の場所へ足が向いたようだ。
スーラ、シャニック、ピサロほかの点描画をこれだけ集めた展覧会はこれまでに無かっただろう。
新印象派では、ジョルジュ・スーラの「グランド・ジャット島の日曜日の午後」が特に有名であるが、この作品の習作が4点展示されていた。
不思議なのだが、見ているときは惹きつけられているのに、会場を出ると、意外に印象に残っていない。
付け加えておくと、上野東照宮が見事に修復されており、一見の価値がある。
桜の時期になると、上野は大変な混雑なのだろう。

朝日新聞、報道写真 1964~2014

2015-03-19 16:08:06 | 社会・経済
朝日新聞を購読しているので、販売店から、「報道写真 1964~2014」が届けられた。
100ページほどの冊子であるが、中身は中々濃い。
1964年といえば、大学を卒業し、社会人としてスタートした年であり、現在までいろいろなことに出くわし、経験してきた。
50年という年月は、半世紀であり、コンピューターひとつとっても、当時は予想もしなかったような変化が起きている。
冊子は、1年1ページで、取り上げている写真と新聞記事に異論がないわけではないが、その年の主な出来事とあわせて見ていると、いろいろと思い出される。
それにしても、随分いろいろなことがあったものだと驚かされる。
残りの人生の間に、どんな変化が起こるのだろう。