想い出の小箱Ⅱ : 徒然草子

日常生活の中で感じたことを、徒然なるままに記述する。
OCNブログ人「想い出の小箱:レコード・コレクションからの続き。

FROM CHICAGO TO NEW YORK  (VICTOR RA-5334)

2011-09-21 13:21:21 | スポーツ

A面 : エディ・コンドン・ホット・ショッツ

B面 : ジョー・ヴェヌーティとエディ・ラング

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大相撲秋場所が始まっている。八百長問題で揺れて、久し振りの開催であるが、入場者数は伸び悩み、空席が目立ち、盛り上がりも今一つである。

相撲を国技といって祭り上げるから、大騒ぎになるのであり、もともと、相撲はスポーツというより興行の要素が強いと思えば、目くじらを立てるほどのことではない。

相撲を知っている者にとっては、八百長がゼロと本気で思っている者はいないのではないか。

ホテル・ニュー・オータニで、相撲錦絵の展覧会が開催されていたが、歴史的に見ても、相撲を純スポーツと考えるのは無理があるようだ。

江戸時代には、「人情相撲」は、八百長というより、美談とされている。

私の子供の頃は、娯楽といっても限られており、ラジオの相撲放送を良く聞いたものだ。

その頃の人気スポーツは、野球、相撲、水泳であったと思う。(プロレスはスポーツとはいわない)

私の郷里は、相撲の神様といわれる野見宿禰の墓があったので、大相撲が地方巡業に出る際、四横綱が揃ってやって来て、奉納相撲をしてから、地方巡業に向かっていたので、千代の山、鏡里、吉葉山といった力士たちを、目の前で見ることができた。

宿屋には、逗留する各部屋の有名力士のしこ名が書かれた白い布が垂れ下がっており、あちこちの宿を見て廻った。

野見宿禰神社は小高い山の上にあり、体重の重い力士には、そこまで登るのは大変だが、栃錦は上まで行ったと聞いたことを記憶している。

八百長を是認しているわけではないので、誤解されては困るが、自分の目で判断し、楽しめばよい。

音楽を聴く場合も、一般的な評価がさほどでなくても、自分が良いと思えば、充分楽しめるのであり、それで良いではないか。

今日のレコードは、1929年のウオール街の株大暴落の前後に、ニューオリンズ・ジャズの洗礼を受けた若い白人たちが、ニューヨークに集まり、新しい音楽を作り始めた頃の演奏で、エディ・コンドンのバンジョー、ヴェヌーティのヴァイオリン、エディ・ラングのギターといったジャズの主流でない楽器の演奏を聴くことができる。