「自然に回帰しよう!」(1)

2022-11-03 11:09:10 | 「自然に回帰しよう!」

      「自然に回帰しよう!」(旧「二元論をテーマにした小説」

 

 

              (1)

 


「那美(なみ)はどこへ行ったんだ」

「陽菜(はるな)ちゃん家(ち)、最後のお別れをしてくるって」

「何で?きのう会ったばかりじゃないか。それにそんなことスマ

ホでいくらでもできるじゃないか」

「ダメなのよ、スマホは、病気が出るから」

「あっ、そうか」

 那美はわたし達夫婦の一人娘で、幼少の頃よりアトピー性皮膚炎

に悩まされ、小学校に入学すると症状がひどくなったので詳しく診

てもらうと、化学物質過敏症(chemical sensitivity)と診断された。お

そらく学校の教室を改装した際に建築資材に化学物質が使われてい

たからではないかと医者は言った。確かに新しくなった教室はすぐ

にそれと判る新建材のしつこい臭いがする、と妻は言った。

「じゃあ、どうすればいいんだ?」

とわたしが言うと、妻は、
 
「まず、あなたはタバコを止めて下さい」

と言った。思わぬ反撃を受けて私は、

「は?、もう家では一本も喫ってないよ」と言うと、

「いいえ、家以外でもダメよ。タバコ臭いあなたがダメなんだから」

「・・・」

なるほど、それは何となく判った。アレルギー体質の彼女は、わたし

が喫煙した後であっても何故か決まって咳き込んだ。そして、

「それと、学校を変えなきゃいけないわね、もう通えないでしょ」

「そうか、けっこう深刻だね」

そして何より深刻なのが、化学物質過敏症の患者の八割がスマホや

パソコンなどの電気製品から漏れる電磁波に暴露されることによっ

ても併発するということだ。つまり、那美はもはや近代社会では生

きて行くことができないと言われているようなものである。そもそも私

はそんな病気があることに驚かざるを得なかった。昨今は、グローバリゼー

ションによって感染拡大した新型コロナウイルスのパンデミックや、近代化

を追い求める途上諸国も加わって、すでに80億人を越えた人々が、近代社

会の象徴である電化生活を求めて限られた化石燃料を奪い合い、そしてそれ

らから排出される温室効果ガスが引き起こす異常気象によって食糧危機から

も生存が脅かされ始めている。すでに我々近代人の欲望は地球が供給できる

限界を越えてしまったのだ。私たちは娘の病気によって生き方を改めざるを

得なくなった。それは、再生循環しない科学物質をもたらす科学技術はい

ずれ限界に至るということである。世界とは生成回帰を繰り返すことであ

る」とすれば、科学技術は回帰しない固定化した不変の世界である。

しかし、我々は永遠不変の世界ではなく、変遷流転する生成の世界に生きて

いる。わたしが排泄した糞尿は生分解され再び私が食べる食物に生まれ変わ

るのだ。この自然のゆったりとした再生循環に科学は生産性の効率化を求め

て生成循環を破壊させる。私たちは密集した科学文明都市の中で、感染症の

パンデミックに怯えながら、化石燃料の不足から電力供給の停止を気にしな

がら、当然のことながら石油不足は物価の高騰を招き、それは経済危機をも

たらし、また、その一方で化石燃料の大量消費によって排出される温室効果

ガスが引き起こす異常気象に苛まれ、異常気象は世界的な農作物に影響を与

えて世界的な飢饉をもたらす。これらすべての悪循環の根源は、科学技術が

製作した自然回帰しない科学物質とそれに伴って発生するゴミによって、自

然に備わっている持続可能性(Sustainable)が行きづまってしまったからに他な

らない。われわれは世界の外に在って世界を製作のための単なる材料・質料

と見做して安楽な生活の為に生成回帰する世界を作り変えようとしているが

、われわれとはあくまでも世界=内=存在なのだ。世界の外に在っていった

いどうして生存し得るというのか。今やわれ

われはこの世界に止まるのか、それとも科学技術によって新たな宇宙に脱出

するのかのどちらかしか残されていない。ただ、わたしは宇宙の遙か彼方に

人間の幸福があるとはとても思えない。わたしは那美を人類が誕生した本来

の永劫回帰する世界で持続可能な人生を取り戻させてやらなければならない

と思った。そこで、娘のために近代科学文明都市である東京を棄て、忘れ去

られた始原の世界に回帰しようと決めた。そこで馴染みのある土地と言えば

妻が生まれ育った広島の山間の地しか思い付かなかった。さっそく今も独り

で暮す妻の高齢の母に、妻と娘だけでも移り住むことはできないかと尋ねる

と、妻の母は「是非そうしなさい」と喜びは口にせずに応えてくれた。

                          (つづく)

 

 尚、アトピー性皮膚炎、化学物質過敏症についての症状等は以下の

作品より引用しました。

第53回NHK障害福祉賞佳作作品「めぐりあわせ 〜化学物質過敏症からみえてくる世界〜」高岡 直生