「自然に回帰しよう!」(3)

2022-11-03 11:09:10 | 「自然に回帰しよう!」

         「自然に回帰しよう!」

 

 

              (3)

 

 妻の実家は広島県の東部、岡山県境と接する神石高原町というと所で

、中国山地の山間にあり、人口よりも獣の方が多いに違いないと思えるほど

の自然豊かなところであった。私は妻と

一緒に車で何度か訪ねたが、冬のある日に大雪に見舞われてノーマルタイヤ

では帰れなくなって、仕方なく泊まらざるを得なかったことがあった。そ

の時以来、絶対冬には行かないぞと決めていた。つまり、それは娘の健康回

復のためには最適の地に違いなかった。ただ、私は東京で仕事があるので今

すぐに移住するわけにはいかなかった。妻と娘を妻の実家に送ったあと、神

石高原町の役場へ向かって、かねてより相談に乗ってくれた役場の人を訪ね

た。すでに住居は、妻の母が独りで暮らす実家に、それぞれが自分の部屋を

独占しても余るほどの昔風の大きな家屋だった。ただ問題は娘が自然以外は

何もないそんな山奥のくらしを気に入ってくれるかだが、妻が言うには娘は

野山を駆け巡って遊ぶことを決して嫌がらないと思うと言った。ただ、東京

育ちの自分にはいったい何が面白いのかさっぱりわからなかった。妻は、

「だって那美(なみ)はわたしの子だから」

確かに那美の性格は妻の男勝りの性格とよく似ていた。ただ、それじゃあ俺

の性格はいったいどこへいったのかとちょっとイジケタ

                            (つづく)


「自然に回帰しようう!」(2)

2022-11-03 11:09:10 | 「自然に回帰しよう!」

         「自然に回帰しよう!」

 

                

              (2)

 

 科学物質が溢れかえる東京を引越さなければならないとすれば、引越し先

は当然自然環境が残る地方へ移ることになる。私は東京生まれで地方に親戚

縁者が居なかったので、必然的に広島の山村出身の妻の実家しか思い付かな

かった。さっそく妻は実家の母に孫の病気のことを話すと、母はすぐにでも

連れて来なさいと快諾してくれた。そこで、広島県の現状をネットで調べる

と、驚いたことに、原発事故によって放射能汚染が怖れられている福島県よ

りもはるかに多くの人口が流出していた。

「へえーっ、そうなんだ」

私は、もちろん放射能による被曝は気になったが、娘が化学物質の暴露を避

けるためならば人口流出が著しい福島県に引越すことも已むを得ないと思っ

ていたが、それよりも、日本一人口流出が進む広島県のことが気になった。

                         (つづく)

 

 尚、人口流出の情報は以下の日本経済新聞より引用しました。

中国5県、転出超過続く 広島は全国最多に


「自然に回帰しよう!」(1)

2022-11-03 11:09:10 | 「自然に回帰しよう!」

      「自然に回帰しよう!」(旧「二元論をテーマにした小説」

 

 

              (1)

 


「那美(なみ)はどこへ行ったんだ」

「陽菜(はるな)ちゃん家(ち)、最後のお別れをしてくるって」

「何で?きのう会ったばかりじゃないか。それにそんなことスマ

ホでいくらでもできるじゃないか」

「ダメなのよ、スマホは、病気が出るから」

「あっ、そうか」

 那美はわたし達夫婦の一人娘で、幼少の頃よりアトピー性皮膚炎

に悩まされ、小学校に入学すると症状がひどくなったので詳しく診

てもらうと、化学物質過敏症(chemical sensitivity)と診断された。お

そらく学校の教室を改装した際に建築資材に化学物質が使われてい

たからではないかと医者は言った。確かに新しくなった教室はすぐ

にそれと判る新建材のしつこい臭いがする、と妻は言った。

「じゃあ、どうすればいいんだ?」

とわたしが言うと、妻は、
 
「まず、あなたはタバコを止めて下さい」

と言った。思わぬ反撃を受けて私は、

「は?、もう家では一本も喫ってないよ」と言うと、

「いいえ、家以外でもダメよ。タバコ臭いあなたがダメなんだから」

「・・・」

なるほど、それは何となく判った。アレルギー体質の彼女は、わたし

が喫煙した後であっても何故か決まって咳き込んだ。そして、

「それと、学校を変えなきゃいけないわね、もう通えないでしょ」

「そうか、けっこう深刻だね」

そして何より深刻なのが、化学物質過敏症の患者の八割がスマホや

パソコンなどの電気製品から漏れる電磁波に暴露されることによっ

ても併発するということだ。つまり、那美はもはや近代社会では生

きて行くことができないと言われているようなものである。そもそも私

はそんな病気があることに驚かざるを得なかった。昨今は、グローバリゼー

ションによって感染拡大した新型コロナウイルスのパンデミックや、近代化

を追い求める途上諸国も加わって、すでに80億人を越えた人々が、近代社

会の象徴である電化生活を求めて限られた化石燃料を奪い合い、そしてそれ

らから排出される温室効果ガスが引き起こす異常気象によって食糧危機から

も生存が脅かされ始めている。すでに我々近代人の欲望は地球が供給できる

限界を越えてしまったのだ。私たちは娘の病気によって生き方を改めざるを

得なくなった。それは、再生循環しない科学物質をもたらす科学技術はい

ずれ限界に至るということである。世界とは生成回帰を繰り返すことであ

る」とすれば、科学技術は回帰しない固定化した不変の世界である。

しかし、我々は永遠不変の世界ではなく、変遷流転する生成の世界に生きて

いる。わたしが排泄した糞尿は生分解され再び私が食べる食物に生まれ変わ

るのだ。この自然のゆったりとした再生循環に科学は生産性の効率化を求め

て生成循環を破壊させる。私たちは密集した科学文明都市の中で、感染症の

パンデミックに怯えながら、化石燃料の不足から電力供給の停止を気にしな

がら、当然のことながら石油不足は物価の高騰を招き、それは経済危機をも

たらし、また、その一方で化石燃料の大量消費によって排出される温室効果

ガスが引き起こす異常気象に苛まれ、異常気象は世界的な農作物に影響を与

えて世界的な飢饉をもたらす。これらすべての悪循環の根源は、科学技術が

製作した自然回帰しない科学物質とそれに伴って発生するゴミによって、自

然に備わっている持続可能性(Sustainable)が行きづまってしまったからに他な

らない。われわれは世界の外に在って世界を製作のための単なる材料・質料

と見做して安楽な生活の為に生成回帰する世界を作り変えようとしているが

、われわれとはあくまでも世界=内=存在なのだ。世界の外に在っていった

いどうして生存し得るというのか。今やわれ

われはこの世界に止まるのか、それとも科学技術によって新たな宇宙に脱出

するのかのどちらかしか残されていない。ただ、わたしは宇宙の遙か彼方に

人間の幸福があるとはとても思えない。わたしは那美を人類が誕生した本来

の永劫回帰する世界で持続可能な人生を取り戻させてやらなければならない

と思った。そこで、娘のために近代科学文明都市である東京を棄て、忘れ去

られた始原の世界に回帰しようと決めた。そこで馴染みのある土地と言えば

妻が生まれ育った広島の山間の地しか思い付かなかった。さっそく今も独り

で暮す妻の高齢の母に、妻と娘だけでも移り住むことはできないかと尋ねる

と、妻の母は「是非そうしなさい」と喜びは口にせずに応えてくれた。

                          (つづく)

 

 尚、アトピー性皮膚炎、化学物質過敏症についての症状等は以下の

作品より引用しました。

第53回NHK障害福祉賞佳作作品「めぐりあわせ 〜化学物質過敏症からみえてくる世界〜」高岡 直生