仮題「心なき身にもあわれは知られけり」(8)

2022-05-04 18:01:48 | 「死ぬことは文化である」

      仮題「心なき身にもあわれは知られけり」           


           (8)

 ニーチェは死後に編纂された遺稿集の断片一二番で《宇宙的諸価

値の崩落》という表題がつけられたAとBという長短不同の二つの

節に区分され、結びの付言によってまとめられた「ニヒリズム」に

関する断片を残している。すこし長いですが、ハイデガー著「ニー

チェ・Ⅱ」より、断片一二番Aを以下に写します。尚、本書で傍点

された文字は太文字にしました。

       *        *        *            

           《宇宙的諸価値の崩落》

心理的状態としてのニヒリズムが現われざるをえないのは、第一

に、われわれがすべての生起のうちに、そのなかにはない〈意味〉

を探し求め、そのためについには探究者が気力を喪失するときであ

る。そのときニヒリズムとは、長い間の精力の浪費の意識、《徒労

》の痛恨、不安定、また何らかの方法で気を晴らし、何ものかで心

を鎮める機会の欠如のことである。――あまりにも長くおのれを欺

いてきたかのごとき自己羞恥のことである・・・その意味は、すべ

ての生起における倫理的最高基準の《実現》、倫理的世界秩序、あ

るいは森羅万象の交わりにおける愛と調和の増大、あるいは或る普

遍的な幸福状態への接近、あるいは――目標もやはりひとつの意味

であるから――或る普遍的な虚無状態を目標とする突進ですらあり

えたであろう。これらすべての考え方に共通なことは、なにか或る

ものがその過程そのものを通じて達成されるはずだということであ

る。――ところが、生成によってはなにものも到達されず、なにご

とも達成されないということが悟られるにいたる・・・したがって、

まったく特定の目的に関する幻滅であれ、もっと一般化されて《発

展》全体に関わる従来のすべての目的=仮説の不十分さの洞察であ

れ、いわゆる生成の目的に関する幻滅こそがニヒリズムの原因なの

である。(――人間はもはや生成の協力者ではなく、いわんや生成

の中心点ではない)。

 心理状態としてのニヒリズムが現われるのは、第二に、すべての

生起のなかに、またすべての生起のもとに、或る全体性、或る体系

、さらには或る組織化すら設定されたときである。そのとき驚嘆

や畏敬を渇望する魂は、支配と管理の最高の形態という全体的表象

に酔い痴れる(――それが論理学者の魂であれば、絶対的整合性や実

在弁証法だけでも、万有と和解するに足りるのである・・・)。一種

の統一、何らかの形式の《一元論》、そしてこの信のもとづいて、

人間は自分より無限に卓越している全体者に連帯し依存していると

いう深い感情に浸り、みずから神性の一様態となる・・・《公共の

福祉は、個々人の献身を要求する》・・・だが見たまえ、そのよう

な普遍的(公共的)なものは与えられていないのだ。ひっきょう人間

は、無限に価値ある全体者が彼を通じてはたらいているのでなけれ

ば、自分の価値への信念を失ってしまうのである。すなわち彼は、

分の価値を信ずることを可能にするために、そのような全体者を

発想したのである。

 心理状態としてのニヒリズムには、さらに第三の最後の形態が

ある。生成によってはなにごとかが到達されるはずはなく、すべて

の生成の底には、最高価値の気圏においてのように、個々人がその

うちに没入することを許されるいかなる偉大な統一も統宰していな

いという、これら二つのことが洞察された暁には、逃げ道として残

されているのは、この生成の世界全体を虚妄と断じ、この世界の彼

岸に或る世界を真の世界として虚構することだけである。けれども

、この世界が組み立てられたのはただ心理的欲求によるものにすぎ

ず、人間にそうする権利はまったくないのだということを人間が見

抜くや否や、ニヒリズムの最後の形態が発生する。これは、形而上

学的世界に対する不信をそれ自身のうちに含み、――真の世界を信

じることをおのれに禁ずるものである。この立場においては、生成

の実在性が唯一の実在性として承認され、背後世界や偽りの神性に

通ずるいかなる種類の間道も禁じられる――しかし、もはや誰も否

認しようとは思わないこの世界が耐えがたいのである・・・。

 ――根本において、何が起こったか。《目的》という概念をもっ

てしても、《統一》という概念をもってしても、《真理》という概

念をもってしても、現実存在の総体的性格は解釈することを許され

ないということが把握されたとき、ついに人々は無価値性の感情が

達成されたのである。現実存在によっては、何ものも到達されず、

なにごとも達成されない。生起の多様性のなかには、それを包括す

る統一が欠けている。すなわち、現実存在の性格は《真》ではなく

虚仮なのである・・・真の世界を信じ込ませるいかなる根拠も、

もはやまったくなくなった・・・要するに、われわれが世界にある

価値を嵌め込むために用いてきた《目的》《統一》《存在》という

カテゴリーが、再びわれわれによって世界から抜き取られる――す

ると世界はいまや無価値の様相を呈するのである……」(ハイデガー

著「ニーチェⅡ」『ニーチェにおける宇宙論と心理学の概念』より)

                       (つづく)