(百七)
「・・・地震の情報をお伝え致します。気象庁によりますと、〇
時〇〇分頃地震がありました。震源地は〇〇県〇〇〇部で震源の深
さは約12km、地震の規模、マグニチュードは5.4と推定されます。
各地の震度は次の通りです・・・」
車内放送は地震の詳しい内容を伝えていた。その後に体感できる
程の余震は続かなかった。新幹線は線路の安全確認を終えて、すぐ
近くまで来ていた停車駅へ這う様にして辿り着いた。予定時刻より
30分以上遅れていた。車内は予定の変更を余儀なくされた観光客
やビジネスマンがそれぞれK帯で連絡を取り合っていたので騒がし
かった。新幹線が駅に着くなり私は立ち上がってサッチャンの腕を
取った。
「サッチャン、逃げよう!」
「えっ!何で逃げるの?」
私はこれ以上新幹線に身を預ける気分にはとてもなれなかった。
「『反』俺に殺されるんだ!」
「えっ!?ハンオレって何っ?誰が殺されるの?」
「後で説明するから早く降りよう!」
「え―ぇっ、降りてどうすんのぉ?」
東京で暮らす者の多くは地震慣れしていて、少々の揺れでは驚か
ない。それは実際にどうする事も出来ないからだ。いちいち今地震
が起こったらなどと気にしながら暮らして行けない、忘れるしかない。
かつては揺れが収まればその日の話題にもなったが、今では誰も
が言葉も交わさず何事も無かった様に中断した生活に戻っていく。
他所から来た者にとっては地震の多さにも驚かされるが、人々が何
事も無かった様にすぐ元の日常を取り戻せることの方が異様に見え
る。彼らが他人の有事を眼にしても、見ぬ振りをして何も無かった
様に通り過ぎるのは、もしかすれば地震への慣れの教訓から派生し
たのかもしれない。人々の反応が何処となく同じ様に映る。誰もが
揺れる度にカタストロフ(破局)を想起して、大事に到らなかった
と胸を撫で下ろす時、次第に大げさな反応を慎み冷静さを装う様に
なり、それが何度も繰り返されて何が起こっても冷静を装う様にな
る。しかし冷静とは感情を押し殺す事である。こうして人々は地震
の度に感情を喪失していく。東京の人々はいい意味でも、また悪い
意味でも冷静な人々である。それでもそんな地盤の上にドミノの牌
を積み上げる様にして高層ビルが高さを競っている。人々は度重な
る地震の恐怖によって自己を見つめ直し、カタストロフを逃れる度
にそのカタルシス(浄化)によって再び蘇える。(「自信」は使わない
と決めてます。作者)首都東京は不安と豊かさの微妙なバランスの
上に成り立っているのだ。人々はそんな危なっかしい刹那主義に
魅せられて柵(しがらみ)のない東京を離れられない。幸いにも未
だ地震による大きな被害が無いこと、あんなに警告されているのに
何故東京だけは震災が起きないのだろうか?明治以来東京には大
量の物資と人が運び込まれて、その重みによって地盤が圧されて地
震が起き難くなっているのではないだろうか?ただ日本は何処へ逃
げても地震が起こること、神戸なんかで起こる筈が無かった、何よ
り東京人は忙しすぎてすぐに忘れる。しかし、もしも地震によって
高層ビルの一棟でも倒壊すれば、忽(たちま)ち事態は深刻化して
東京から逃げ出す人も現れるに違いない。遷都はそれまで本腰を入
れて話し合われないだろう。
東京で暮らすサッチャンも地震くらいでは驚かない。済んでしま
えば忘れてしまう。彼女には私の怖れが理解出来なかった。
「大変長らくお待たせ致しました。まもなく発車いたします」
車掌は、走行の安全が確保されたことを誇らしげに伝えて、速度を
落として進むことを高らかに宣言した。新幹線は動き出そうとして
いた。
「早く!」
私はサッチャンに「ハンオレ」の説明しようとは思わなかったし、
幾らゆっくり走る新幹線でも目的地に着くまでに、もちろん自分も
全く解かっていないのだが、ビッグバーンの後に対称性の破れによ
って物質が残された事や「反」物質を理解させる自信が無かった。
無理やりサッチャンを立ち上がらせて、彼女は仕方なくミシュラン
坊やのコートに袖を通したが、見ると彼女のテーブルの上には所狭
しとモノが置かれていた。私は間に合わないと思って、彼女が被っ
ていたレジ袋の様な帽子を下に受けて、サングラスなど散らかった
一切合財を掌をショベルカーの様にして滑り落とした。
「いやーん!形が崩れる」
「ごめん!でも、もしかしたらこの帽子、こういう使い方もあると
宣伝すれば売れるかもしれないね。エコバックにもなる帽子ってチ
ョットしたアイデア商品だと思わない」
サッチャンは渋々その帽子を受け取った。
高架に設えられた吹き曝しのプラットホームは、車両が通過した
後を遠くの雪山から吹き荒ぶ寒風が音を立てながら通り過ぎた。ホ
ームには私とサッチャンだけが放置された。彼女は椅子に座ってレ
ジ袋から、いやお洒落な帽子から小物を取り出して元のカバンに収
めていた。私はK帯でバロックに連絡を取ろうとしたが全く繋がら
なかった。
「ダメだ、繋がらない」
「どうしてかしら?」
彼女は空になった帽子を被りながら、
「それよりこれからどうすんのよ!」
確かにバロックの所へ辿り着くにはもう一つ次の駅まで行かなけれ
ばならなかった。そしてローカル線に乗り換えてさらに路線バスで
終点まで行って、それからは国境を越んばかりにひたすら歩かなけ
ればならない。しかも私は簡単に考えていたが、新幹線のひと駅は
とんでもない距離だった。新幹線が消え去った誰も居ないホームの
端を眺めながら、まるで島流しに遭った科人(とがにん)のように
途方に暮れてしまった。もしも世界で一番侘しい場所を挙げろと言
われたら、新幹線が通り過ぎた後の駅のホームと答えようと思った。
その華やかな新幹線とは余りにも落差のある景色をカメラに収めた。
「う―っ、寒い!とにかく下へ降りようよ」
呆然と立ち尽くす私を諭す様にサッチャンが先にエスカレーターに
乗った。
私とサッチャンは改札を抜けてコンコースへ出た。そこはプラッ
トホームとは違って、発着の遅れによって足止めされた人々で随分
混雑していた。
「あっ!なんだ在来線があるじゃん」
サッチャンが路線図を見ながら叫んだ。二人は新幹線を乗り捨てて
在来線ホームに向かった。コンコースの隅にあるテレビが地震の速
報を伝えていた。幸いにも大きな被害は無かったようだ。ただバロ
ックにはまだ繋がらなかった。在来線のりばに来ると往来する人々
はそれぞれの生活を引き摺っていて、何故かホッとした。旅行とい
うのがその道程を指すのであれば、新幹線での移動は旅行とは言え
なかった。新幹線は速くて便利だが、想いを辿りながらゆっくり思
索しようとする旅行者の時間に合わなかった。まるで高層ビルのエ
レベーターに乗った時の退屈さに似ていた。或いは病院の待合室の
ように落ち着かなかった。日本経済の停滞はビジネスマンや技術者
が新幹線や飛行機を利用して、拙速な思索のまま目的地に着いて終
うからかもしれない。我々の技術革新は、テレビが良く映るテレビ
に、自動車が良く走る自動車に生まれ変わったが、利用者からすれ
ば、何れも初期のコンセプトを凌駕しているとは思えない。つまり
、牛丼は牛肉を何割増量しても牛丼なのだ。そしてそのコンセプト
を生むのが思索だとすれば、我々の思索は安易な成果主義に導かれ
ていないだろうか。現代社会は殊更「過程」を省(はぶ)いて「
結果」ばかり求めるが、「結果」から導きだされる「過程」という
のは概ね限られてしまう。「過程」が限定されるということは思索
の可能性を失くすことである。今や世界も等閑(なおざり)にして
きた「過程」に梃摺(てこず)っている。我々を悩ましている問題
とは、格差社会や地域紛争、地球環境など、どれも「過程」を疎か
にした結果ではないだろうか。力を背景に自分達の都合のいい理屈
を押し付けて来た「結果」ではないだろうか。「過程」は思索を生
むが「結果」は思索を求めない。「結果」が全てだというのは「思
索」の可能性を奪う乱暴な意見だ。マニュアル化された「結果」は
、受胎告知から育児、教育、就職、結婚、老後、告別、更には七回
忌の法要までが案内され、我々にはただ0と1の「過程」しか残さ
れていない。効率化を求める「結果」は限定された「過程」の中で
の能力に過ぎない。我々は自らに柵を越えてはならないと思ってい
るだけなのだ。すでにケージは破綻しているのに、飼い馴らされて
逃げ出すことさえ覚束ないでいるのだ。グローバル経済の破綻とは
「過程」の可能性を蔑ろにした「結果」の破綻である。「結果」の
崩壊によって、我々には「過程」だけが残された。否、しかしまだ
思索の可能性は残されているのだ。この社会の「結果」以外の「過
程」はまだ無数に存在するのだ。我々は新しい「過程」を思索する
為に、朽ち果てた柵を飛び越えなければならない。
人生もまたひとつの旅であるとすれば、決められた処へただ着
けばいいというのは、余りにもつまらない旅ではないだろうか。何
故なら人間とは「過程」そのものではないか。我々が求める「結果」
とは社会が認める「結果」に過ぎない。「結果」が全てだと言うなら、
何も生まれて来なくても良いことにならないだろうか。
(つづく)
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