「二元論」(17)をまとめるための試稿の改稿のつづき②

2021-09-24 03:54:08 | 「二元論」

    「二元論」


     (17)をまとめるための試稿の改稿のつづき②


 ハイデガーは「思索の転回」に躓く前にもそしてその後も終始一貫

して自然を質料・材料と見做す近代科学主義による人間中心主義的(

ヒューマニズム)文化を批判したが、それは今まさに問題になってい

る「サステナビリティ(sasutainability)・持続可能性」がいずれ「

ゆきづまる」ことを予感していたのかもしれない。循環回帰すること

によって「サステナビリティ」を維持していた〈生成〉の世界を破壊

して「作り変えられた」近代科学文明社会は円環から外れた直線のよ

うにいずれ限界点に達して「ゆきづまらざる」を得なくなる。〈真理〉

を追い求める理性による形而上学的思考は、やがて移り変わる仮象で

しかない「事実存在」としての自然(ピュシス)を人間中心主義的文化に

作り変えるための質料・材料と見做して、驚きをもって了解された〈生

成〉としての世界は映像として記録され倉庫に保管される。闇と光、高

く聳える山々と果てしなく続く深海、そしてそこに生息する奇妙な生き

物たち、季節の移り変わり、萌え出でる草花、闇の中から現われるいの

ちなどなど、すべては理性によって解き明かされ「〈生成〉の不思議」

はもはやわれわれを驚かせたりはしない。そして、われわれが科学によ

って「存在とは何であるか」を解き明かした今、われわれが拠って立つ

べき〈世界〉は音を立てて崩れ始めようとしている。それは、後期のハ

イデガーが「失われた存在を追想しつつ待つことだけ、と考えていた」

(木田元『ハイデガ―ノ思想』) 時代がついに訪れつつあると思えてなら

ない。

 それではハイデガーは「明らかにゆきづまりにきている近代ヨーロッ

パの人間中心主義的文化をくつがえそうと企てて」、世界はいったいど

うあるべきだと考えていたのだろうか?木田元によると「もう一度自然

を生きて生成するものと見るような自然観を復権すること」、つまり簡

単に言えば「自然に帰れ!」ということになるのかもしれない。それは

今まさにわれわれが直面している科学技術が引き起こした様々な環境問

題によって「明らかにゆきづまりにきている近代科学文明社会への警句

ではないだろうか。

                        (つづく)