「あほリズム」
(752)
「存在=現前性=被制作性」という存在概念によって構成される近代
社会はまさに〈理性〉に基づいているが、しかし世界とは本来「存在
=生成=自然」という存在概念によって構成されるとすれば、それは
〈本能〉に基づいて構成される。
人間の〈理性〉に基づく社会が人間中心主義(ヒューマニズム)であ
るとすれば、〈本能〉に基づく世界は、人間だけが〈本能〉をもって
いるわけではないので、人間が中心の世界ではない。
ところで、もしも、世界とは〈生成〉であるとすれば、〈理性〉は
〈生成〉に与ることができないので、〈生成〉としての世界とは〈非
理性〉の世界である。ヒューマニズムとは〈理性〉に基づいて構成さ
れるとすれば、世界が〈生成〉としての本来性に目覚めた時、我々は
ヒューマニズムを失う。人間がヒューマニズムを失う時、とは〈本能〉
から派生する憎悪がもたらす〈戦争〉以外考えられない。
それでも、尚〈戦争〉は回避しなければならないとすれば、愚直に
ヒューマニストであらねばならない。だから、〈理性〉に基づく戦争
放棄は今もそれほど間違っているとは思わない。なぜなら〈戦わない〉
というのは優れて〈理性〉的な判断であるからだ、戦争が〈非理性〉に
よるとするならば。