「生成として世界と近代科学文明社会」
生成として世界は変遷流転する世界であり、ところが我々の科学的認識
が生み出した近代科学文明社会は固定化された世界である。固定化された
近代文明は変遷流転する生成の自然循環を妨げ、自然環境が再生されずに
環境破壊が深刻化している。環境問題は我々の固定化した科学的認識が、
それは永遠不変の真理という幻想から生まれる認識であるが、変遷流転す
る生成の世界にそぐわないことから派生する。つまり環境問題とは、生成
としての世界と永遠不変の真理を求める科学的認識の対立から生まれる問
題にほかならない。そしてこのような対立は、つまり生成変化する世界と
固定化した科学認識の世界との「ズレ」は至る所で目にすることができる
。平ったく言えば自然と科学の相克である。
たとえば、そもそも思想とは永遠不変である真理の追究を言葉によって
固定化して捉えるが、変遷流転する生成の世界はやがて言葉で捉えられた
認識にそぐわなくなる。「イデア」にしろ「神の世界」にしても、かつて
それらはその時代の認識に「そぐう」世界観であったに違いないが、生成
としての存在である我々の認識能力が時代を経て変化して「真の世界」の
絶対的価値が相対化した。
(つづく)