「あほリズム」
(416)
「紀州のドンファン」と称された資産家の男性が死んだ。その不
審な死から事件の可能性が疑われているが、凡そ世間一般の男はこ
れまでの彼の成り上がり人生をさぞ羨ましく思ったかもしれないが
、もしもカネは手段に過ぎないとするなら、彼はひたすら自らの性
欲を満たす目的の為だけに手段を費やしたことになる。つまり一つ
の愛さえも育めなかった。高価な金品に囲まれながら、まるでカネ
そのもので飾られたような部屋の中で、手段を手に入れながら欲望
を満たすことにしか生き甲斐を見い出せなかったことに何か虚しさ
を感じずにはいられない。もしも経済が生存手段に過ぎないとすれ
ば、それでは生存の目的とはいったい何だろう?