「同じものの永遠なる回帰の思想」②
父が宗教家であったニーチェにとって「神は死んだ」と宣言すること
は、自らの生い立ちを否定し拠って立つべき大地を失うことに等しかっ
た。神の死はキリスト教世界観の否定であり、心の拠り所を失った者は
ペシミズムに陥らざるを得ない。ニーチェ晩年の超人思想はそのペシミ
ズムから脱け出すために考え出された思想である。永劫回帰説とは「神
の世界」の消滅によってもたらされた世界観で、世界とは永遠に回帰を
繰り返すだけの無意味な円環にすぎない。当然、救いのない世界はペシ
ミズムを生む。しかし、その世界観を「諾」と受け容れて生きる者こそ
超人である。だとすれば、無神論者を自認し生涯マネーゲームに明け暮
れて一生を終えるほとんどの現代人はニーチェからすればおそらく超人
に見えるに違いない。その生い立ちから深くキリスト教文化に感化され
、その呪縛から自力で脱け出したニーチェにとってペシミズムを克服す
る超人像を描くまでには時間が残されていなかった。それでは、彼はい
ったい如何なる世界を思い描いていたのだろうか?彼はバーゼル大学で
古典文献学の教授だったこともあって、古代ギリシャ世界に精通してい
た。そこでキリスト以前の世界、とりわけプラトン、アリストテレス以
前の世界に憧れていた。つまり形而上学が生まれる以前の世界、存在の
あるがままを受け容れて、ありもしない本質によって世界が歪められて
いない時代こそ、もしかしたら超人たちの世界だったのかもしれない。
幼な子は無垢である。忘却である。そしてひとつの新しいはじまりで
ある。ひとつの遊戯である。ひとつの自力で回転する車輪。ひとつの第
一運動である。ひとつの聖なる肯定である。そうだ、創造の遊戯のため
には、わが兄弟たちよ、聖なる肯定が必要なのだ。創造の遊びには聖な
る肯定を必要とする。ここに精神は自分の意志を意志する。世界を失っ
ていた者は自分の世界を獲得する。
「ツァラトゥストラはこう言った-上-」氷上英廣訳(岩波文庫33-
639-2)『ツァラトゥストラの教説』 「三段の変化」より、
(おわり)