「不便な生活」
震災に遭った町が避難所にいる被災者の為に仮設住宅を用意した
ところ、被災者の多くが入居を拒否したと、夜のニュースで伝えて
いた。その理由は、造られた場所が交通の不便な所だからというこ
とだった。取材を許した人はちゃんとした人で、話を聞けば彼の言
うことは尤もだと思った。元の生活に戻りたいと願っている人々に
とって、不便な生活は少しでも避けたいと思うのは当然のことであ
る。いくら仮設住宅で家族が一緒に生活できるとしても、社会から
隔絶された不便な山間の場所では、とても元の生活に戻った心地は
しないだろう。ただ、津波による不明者が未だ埋もれている瓦礫だ
らけの被災地に仮設住宅を造ることなど出来ない。当然、津波の被
害の及ばなかった山間の不便な場所に建てざるを得ない。元の便利
な暮らしを取り戻そうとすれば、再び津波に襲われた町の復旧を望
むしかない。復興に向けた様々な構想が語られ始めたが、被災され
た人々が震災前の便利な生活を取り戻そうと望む限り、恐らく新し
い計画は思い通りには進まないだろう。再び津波の被害に遭わない
為の復興計画も、自然エネルギーによる環境に配慮した町づくりも、
それらは何れも、これまでの生活からは想像できない程に不便を強
いられるものであることを覚悟しなければならない。そうでなけれ
ば、何れ、震災の記憶も薄れた頃に、再び平地を求めて海岸線に密
集し始め、それどころか、今度こそは絶対に安全だからと説き伏せ
られて、原発に支えられた危うい豊かさを再び受け入れることだっ
てあるかもしれない。しかし、折角何もかも失ったのだから、また
同じ生活を取り戻すだけではあまりにも勿体ないではないか。時は
今、地球温暖化による環境問題がIPCCの第四次報告(2007年)に
よって警鐘が鳴らされ、自然循環型社会への転換が叫ばれて久しい。
東北に限らず、世界は自然の逆襲に曝されているのだ。とは言って
も人間が撒いた種なんだけど。何もかも失ったならば、いっそ、近
代文明を見直して、IPCCの提言を受け入れて自然循環型社会へ
の転換を模索してはどうだろうか。もちろん、不便な生活を覚悟し
なければならないだろうが。それでも、時代に抗って「逆行」するこ
とが新しい時代を生む為の最先端だってこともあるんじゃないだろ
うか。ただ、目先の便利さにばかり捕われていれば再び同じ轍を踏
むことになるだろう。つまり、我々の価値観の転換こそが迫られて
いるのではないだろうか。
(おわり)
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