「あほリズム」
(43)
「言(想)不一致」
想いは言葉に換えて人に伝えると忽ちに腐り始める。
人は苦しむ者を見ても「可哀想に」と口に出すことで無為を贖い、
そして、忘れる。
(44)
「必ず幸せにするなんて言えないよ」
「どうして?」
「だって明日のことなんてどうなるか解からないじゃないか」
「そんなこと聞いてるんじゃない!あなたがどう想っているのか聞き
たいのよ」
「君のことは愛してる、ただ、幸せに出来るかどうかは解からない」
「分かったわ。もう別れましょう」
彼等はそれぞれの小脳と大脳という異なった脳で語り合っている。
(45)
かつての日本人は「愛している」などと恋人に告げることはなかっ
た。そもそも愛情とは親子関係から生ずる。親子は「愛している」
などと一々口に出さなくても分かり合えた。それどころか想いは言
葉にして伝えると忽ち腐臭を放ち始める。だから、かつての日本人
は軽々しく想いを言葉に換えることを慎んだ。ところが昨今は、や
れ「国を愛そう」だの「親を尊敬しよう」などと、日本人の心情に
そぐわない言葉が、こともあろうに旧き良き日本の文化を守ろうと
訴える人々の口から叫ばれることに違和感を覚える。彼等は本当に
日本人の心情を理解しているのだろうか?ことさら愛国心や道徳を
言葉にして説く人々の想いが逆に訝しく思えてくる。我々は「国を
愛しています」「親を尊敬しています」と決して口には出さない、
何故なら(国を愛し、親を尊敬している)からだ。
(46)
そもそも愛や想いといった心情を恥ずかしげもなく言葉にすること
こそ外来文化に毒された者の発想である。ことさら彼等が口にする
「愛国心」や「郷土愛」という言葉が、想いを抱く者にとってどれ
程鼻白む言葉であることか。
(47)
人の想いというのは時間と共に移り変わるが、吐いた言葉
は想いと共に変わってはくれない。
(48)
「この国が嫌いだ!」
そう言ったとしても愛国者であり得る。
「この国を愛している!」
そう言ったからといって愛国者とは限らない。
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(43)
「言(想)不一致」
想いは言葉に換えて人に伝えると忽ちに腐り始める。
人は苦しむ者を見ても「可哀想に」と口に出すことで無為を贖い、
そして、忘れる。
(44)
「必ず幸せにするなんて言えないよ」
「どうして?」
「だって明日のことなんてどうなるか解からないじゃないか」
「そんなこと聞いてるんじゃない!あなたがどう想っているのか聞き
たいのよ」
「君のことは愛してる、ただ、幸せに出来るかどうかは解からない」
「分かったわ。もう別れましょう」
彼等はそれぞれの小脳と大脳という異なった脳で語り合っている。
(45)
かつての日本人は「愛している」などと恋人に告げることはなかっ
た。そもそも愛情とは親子関係から生ずる。親子は「愛している」
などと一々口に出さなくても分かり合えた。それどころか想いは言
葉にして伝えると忽ち腐臭を放ち始める。だから、かつての日本人
は軽々しく想いを言葉に換えることを慎んだ。ところが昨今は、や
れ「国を愛そう」だの「親を尊敬しよう」などと、日本人の心情に
そぐわない言葉が、こともあろうに旧き良き日本の文化を守ろうと
訴える人々の口から叫ばれることに違和感を覚える。彼等は本当に
日本人の心情を理解しているのだろうか?ことさら愛国心や道徳を
言葉にして説く人々の想いが逆に訝しく思えてくる。我々は「国を
愛しています」「親を尊敬しています」と決して口には出さない、
何故なら(国を愛し、親を尊敬している)からだ。
(46)
そもそも愛や想いといった心情を恥ずかしげもなく言葉にすること
こそ外来文化に毒された者の発想である。ことさら彼等が口にする
「愛国心」や「郷土愛」という言葉が、想いを抱く者にとってどれ
程鼻白む言葉であることか。
(47)
人の想いというのは時間と共に移り変わるが、吐いた言葉
は想いと共に変わってはくれない。
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「この国が嫌いだ!」
そう言ったとしても愛国者であり得る。
「この国を愛している!」
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