「ラジオ体操と共同幻想」⑨-5の補稿-2の補完-2の続きの
改稿
世界がグローバル化して国家間の壁が低くなり、ただし一部の国
は高くしているようですが、すでに企業は海外進出が当たり前の時
代になり、グローバル化の波はやがて教育にも及ぶことでしょう。
ただ、日本人は全体主義ばかり教え込まれて個人の自立を育んでこ
なかったので、外国へ行っても自己主張できずにその社会に溶け込
めないで遂には疎外感に耐えられなくなる。そもそも自己アイデン
ティティーは自分自身と向き合うことでしか確立できないので全体
主義に紛れ込んでしまえば忘れられる。自己アイデンティティーを
確立せずに異なった社会環境に戸惑い母国への郷愁を募らせる。そ
して近代社会を確立した国からの「上から目線」で迷走する母国を
見詰めながら憂う。しかし、迷う者にとっては導く者もまた迷いを
もたらす他者である。社会がなぜ迷走するのかといえば様々な国民
の想いが交錯するからだ。確かに遠くから日本を見詰め直すことは
有用だが、しかし、その遠すぎる視線には国家が映っても国民の想
いまでも見えてこない。その「上から目線」はまさにナショナリスト
の視線である。こうして、彼らは自己が確立しないうちに社会環境
の変化の対応に追われて社会環境にしか関心がなくなりナショナリ
ズムへと向かわせるのかもしれない。異国では疎外感に苛まれ自己
主張さえできなかった彼らが母国に暖かく迎え入れられて個人主義
の呪縛から逃れて全体主義を訴える。
何かあんまり冴えなかったので(おわり)