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「めしべ」

2013-02-14 14:37:12 | 赤裸の心



                「めしべ」


  ピカソの絵に、「赤い椅子に座る女」という作品があって、初め

て観た時に何故か「めしべ」とひらがなで書かれているのだと思っ

た。もちろん、ピカソが何故日本のひらがなを知っていたのかとか、

それでも「女」と「めしべ」は何となく繋がるからなどと勝手な想

像に納得してその場を後にして、その後それ以上の詮索の機会を失

ってしまっていた。


       「赤い椅子に座る女」

    「めしべ」じゃありません(注:筆者)

あれはいつ頃だったか、小さな会社の家族旅行に欠員が出たので無

理やり参加させらて、群馬県にある温泉旅館への一泊旅行に連れて

行かれた。旅館そのものは近代化されて面白くもなかったが、もっ

と言えば温泉施設もスーパー銭湯のような大浴場で殺風景で風情が

なく、すると間もなく慰安旅行と思しき別の団体の若者たちが大挙

押し寄せてきたので丸裸のまま逃げ出した。それにしても温泉に若

い男ほど相応しくないものはない。彼らの機敏な動作や早口の会話

が浴場に漂うゆったりした時の流れを乱すからだ。彼らはシャワー

室で身体を洗うことは知っていても温泉場での寛ぎ方などまったく

知らない。仕方なく退散して部屋に戻ろうとしてエレベーターホー

ルまで来ると、そこに一枚のピカソのリトグラフが掛けられていた。

建物そのものはつまらなかったが、その旅館は部屋といわず廊下に

までも館内の到る所に美術品が置かれていたりリトグラフが掛けら

れていて、たとえば、宿泊した和洋折衷の部屋には畳の床の間には

一幅の水墨の掛け軸が垂れ生け花が添えられ、ソファが置かれたフ

ローリングの壁には抽象的なリトグラフが掛かっているといった何

とも日本的な猥雑さだった。私は、エレベーターホールのピカソの

絵を観て思わず立ち竦んだ。その絵は、実は同じものが掲載されて

いないかPCの画像を検索してみたが見当たらなくてお見せできな

いのが残念だが、人物を描写などまったくド返ししてまるで石燈籠

のように描いてあって、私の頭の中では「?」が沸き上がっていた。

それでも、その絵が気になって離れることが出来ずにエレベーター

の扉が開いても載ろうとはしなかった。

 そもそも絵画とは何かと言えば、「アナザーワールド」なのだ。

敢て言えば、写実的な描写にこだわって如何にこの世界を模写して

も、そこにアナザーワールドが描かれていなければ写真と何ら変わ

らない。否、写真にだってそこにアナザーワールドがなければ人は

魅了されないだろう。そして、画家であれ写真家であれ、凡そ作品

を創造しようとする芸術家本人にとって、そこに残そうとするのは

マイワールドなのだ。だから、ただ模倣するだけではマイワールド

は生まれて来ない。私はしばらく呆然として、ピカソが描いたアナ

ザーワールドに、落し穴に落ちるように吸い込まれてしまった。


                                   (つづく)


「善悪の此岸(しがん)」

2012-09-21 17:39:52 | 赤裸の心



          「善悪の此岸(しがん)」


 無限に拡がる世界の中で、つまり、無限に在る可能性の中で、一

個の自己が或る一つを選択を決定した時、それ以外の可能性を失う。

眠っている時は動けないし、飯を食いながら排便することはできな

い、また、ひとりの女を愛しながら別の女を想うことは罪悪感を生

む。我々にとって「よい」と「わるい」が認識される以前に、我々

は無限の中から或る一つの可能性しか選べないことによって選別を

強いられる。ここに留まることは同時に他所へ行けないことであり、

一人の女を愛することは世界中の女を諦めることであり、、神を信じ

る者はその教えに背くことはできないことなのだ。生命体とは常に無

限の可能性の中から自己の判断によって或る一つの選択を迫られて

いる。それは、ニーチェの言う「人類の道徳以前の時期」である。そし

て、選択した道が「よい」か「わるい」かは結果の成功・不成功から導

かれる。つまり、「よい」「わるい」は結果によってではなく、況して、「結

果の代わりに由来をもってする」以前に、この無限の可能性の中から

ただ一つの可能性を選別しなければならないこと、この選別こそが道

徳の起源ではないか。例えば、神への信仰を選んだ時、それ以外の

可能性を求めることは許されない。このAを選択する決断とA以外の

ものを放棄しなければならないことが「よい」と「わるい」の起源なのだ。

一つしか選べない世界内存在である単独者としての自己は、無限の

可能性の中からその選択を世界によって強いられている。生きること

とは無限の可能性の中から一つの選択を強いられることであり、そし

て道徳とは、それらがもたらす結果であり、それら過去の結果の形骸

化した由来でしかない。つまり、「善悪の彼岸」の前に「善悪の此岸(し

がん)」が存在するのではないだろうか。

 追記、パソコン直りました。

                              ケケロ脱走兵


 「火箭」

2012-01-27 17:35:33 | 赤裸の心

                   「火箭(かせん)」

        
 資料を探すために図書館に行ったら、その資料は見つけられなか

ったが、年の暮れ(12月22日)に「草の葉」に記したボードレー

ルの「火箭・赤裸の心」を筑摩世界文学大系の「ポオ・ボ―ドレー

ル」の巻に偶々見つけたのでここに載せます。これは、小林秀雄の

「近代絵画」の中のボードレールの項に載っていたが、その後、そ

の文庫本を他人にあげてしまい、何十年も再読が叶わなくて後悔し

ていたのですが、と言うのも田舎の書店にはそんな本は置いていな

かったので、飛び上がらんばかりに喜びました。以下は私の人生を

変えたボードレール「火箭」の中の一節です。翻訳が現代語訳で安

っぽく感じたのですが。


                 

               「火箭 15」より抜粋


「世界は終わろうとしている。まだ存在している理由があるとして

も、それは、現に存在しているということだけだ。なんと薄弱な理

由ではないか。その逆を告げるあらゆる理由、わけても、世界がこ

れから先天空の下で何をすることがあるのか、という理由と比較す

るなら。――けだし、かりに世界が物質的に生存を続けるとしても、

それははたして生存の名に値する生存だろうか。ぼくは、世界が、

南米諸共和国のようなその日ぐらしやふざけた無秩序におちいるだ

ろうとか、――それどころか、多分われわれは未開状態に帰って、

わが文明の草深い廃墟をふみ分けながら、銃を手に食物をあさりに

いくことになろう、だとかいうのではない。否。――なぜといって、

このような運命、このような冒険は、原始時代の名残りともいうべ

き、いくばくの生命力を前提とするものだから。仮借ない道徳法則

のあらたな実例、あらたな犠牲となって、われわれは、それによっ

て生きていると信じてきたものによって滅びるであろう。機械がわ

れわれをすっかりアメリカ化し、進歩がわれわれの中の精神的部分

全体をまるで委縮させてしまう結果、理想家たちの血なまぐさい、

冒涜的なあるいは反自然的な夢想のどれをもってきても、進歩の歴

然たる諸成果とはくらべものにならぬ、ということになろう。ぼく

は、およそ物を考えるほどのあらゆる人に、生命のいかなる部分が

今日なお残っているかしめしてくれと要求する。宗教については、

これを語ったり、その残存部分を探したりすることは無用と思う、

なぜなら、いまさらわざわざ神を否定する労をとることがこの領域

で可能な唯一の破廉恥行為であるようなしだいだから。私有財産は

、長子相続権の廃止とともに実質的には消滅してしまった。だが、

いずれ人類が、復讐の念にもえた人食い鬼さながら、諸革命の遺産

の正当な相続者をもって任ずる者たちから、食物の最後の一片まで

うばいとる日がくることであろう。これとてまだ最悪の不幸ではな

いだろうが。

 人間の想像力は、いくばくかの栄光に値する共和国あるいは他の

形の自治国家というものを――神聖な人間や一種の貴族によって指

導されるとしてだが――さしたる困難もなく考えることができる。

だが、世界の破滅、あるいは世界の進歩――この際名前などはどう

でもよい――が顕現するのは、とくに政治制度によってではあるま

い。それは、人心の低劣化の結果として現れるだろう。かろうじて

残る政治的なものは万人の獣性にしめつけられてもがき苦しむだろ

うとか、為政者たちは、みずからの位置をたもち秩序の幻影をつく

り出すために、今日すでにかくも硬くなっているわれわれの人間性

をも戦慄させずにはおかぬような手段にうったえることを余儀なく

されるであろうとか、今さらいう必要があるだろうか。――この時

代になると、息子は、十八の年にではなく、十二の年に、がつがつ

した早熟さから早くも一人前になって、家庭をとび出すことであろ

う。彼がとび出すのは、英雄的な冒険をもとめてでもなければ、塔

にとじこめられた美女を救い出すためでもなく、崇高な思索によっ

て屋根裏部屋に不朽の名誉をあたえるためでもなくて、商売を始め

るため、金持ちになるため、そして破廉恥な父親と――知識の光明

を普及し、その時代の「世紀」紙をすら迷信の手先とみなさせずに

はおかぬような新聞の創立者兼株主たる父親と、張り合うためなの

だ。――この時代になると、宿なし女や淪落の女たち、何人も情人

をもったことのある女たち、すなわち、悪のように論理的なその生

活のなかにあって、気まぐれな輝きを見せる軽はずみのゆえに、ま

たそれに対する感謝の念から、時に人が天使と呼ぶことのある女た

ち、――その時代になるとこの女たちは、血も涙もない分別、金以

外のものはいっさい、色恋のあやまちまでふくめて、すべてを断罪

する、分別以外のなにものでもなくなってしまうだろう。――その

時代には、美徳に似たところのあるもの、いな、富の神への熱誠で

ないすべてのものは、とほうもない滑稽あつかいされることになる。

司法権は、もしこの恵まれた時代になお司法権が存在しうるとして

のことだが、栄達のすべを知らぬような市民の権利を剥奪するであ

ろう。――お前の妻は、おおブルジョワよ!お前の貞節なる半身は

――彼女が法律的に正当な妻であることが、お前にとっては詩なの

だが、――今や法的正当性のなかに非の打ちどころのない破廉恥さ

をもちこんで、お前の金庫の油断なく愛情深い番人と化し、つまり

はお妾の理想的タイプにほかならなくなってしまうだろう。お前の

娘は、ゆりかごの中で、あどけないままに年頃の色気をただよわせ

て、百万フランで買われる夢を見るのだ。そしてお前自身は、おお

ブルジョワよ!――今日よりさらに詩人でなくなったお前は、こう

したことになんの不満の種も見いださず、なにごとも悔やむことは

あるまい。けだし人間のなかには、ある部分が弱くなり退化するの

に比例して、強化し発達する他の部分があるからだ。――じっさい、

この時代の進歩のおかげで、お前の胸と腹のうちには、臓腑だけし

か残らぬことになろう。こういう時代は、どうやら大変近くにせま

っている。それどころか、この時代がすでに来ていはしないかどう

か、われわれの天性の鈍磨だけが、現に呼吸している環境を認識す

ることをさまたげる、唯一の障害をなしているのでないかどうか、

誰が知ろう!

 ぼくはといえば、自分の中に時たま予言者めいた滑稽さを感じる

ことはあるが、医者の慈悲心といったものはこの胸のうちに見つか

るべくもないと承知している。この汚らわしい世の中に迷いこみ、

群衆にこづきまわされて、ぼくはさしずめ一人の疲れた男――背後

の深い年月に目をやれば醒めた迷夢の跡と苦い失望としか見当たら

ず、前方には、なんの新しさも、なんの教訓も苦痛もふくまぬ雷雨

ばかりが見える、そういう疲れた男だ。この男が運命から数時間の

快楽をぬすみ得た宵には、――できるかぎり――忘れ、現在に満足

し、未来には忍従の心をきめ、みずからの冷静さとダンディズムに

酔い、目の前を通り過ぎる者たちほど下劣でないことを誇りにして、

葉巻の煙を見詰めながらひとりごつのだ――この人間たちがどこを

指してゆこうと、ぼくに何のかかわりがあろう、と。

 ぼくはどうやら、その道の人々が蛇足と呼ぶもののほうへそれて

しまったようだ。しかしこの数ページは残しておこう。自分の悲し

みの日付をとどめておきたいから。」

 筑摩世界文学大系 37 「ポオ ボードレール」阿部良雄 訳

 

 「火箭」・・・ 昔の戦いで火をつけて射た矢。敵の施設や物資に
          火をつける目的で用いたもの。火矢(ひや)
         2 艦船が信号に用いる火具。 

大辞泉



  


「アケオメ」

2012-01-04 01:31:28 | 赤裸の心



                 「アケオメ」


 遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。

 しばらく小説から離れていましたが、それは一度書いたものを原

稿に起こそうと思ったからで、ところが、それが間違いだった。自

分の書き残した文章を再び目を通すことの恥ずかしさに耐えられな

くなって、何度もペンではなくキーボードを折ろうと思いましたが、硬
 
くて出来なかった、てなことを後になって読み返すと、それは、かつ
 
て自分が排いた糞便を、誰かがわざわざ拾ってその日付まで付して
 
送り届けてきたような腹立たしささえ感じた。(ああ、これも・・・)つま

り、過去にこのブログに記した「私」とは、決して今この文章をキ

ーボードで打っている「この私」のことでないことを分って頂ける

だろうか?三年前の「私」は今の私ではありません。それは「三年

前の私」なのです。このようにして、主体を言い表す「私」という

同じ言葉でさえも、厳密には私自身を正しく捉えることが出来ない

のに、どうしてそんな言葉を使って正しく世界を語ることが出来る

でしょうか。つまり、世界は常に変化しているのに言葉はそれに応

じて変化してくれません。正鵠を射た言葉を再び同じように射ても、

白鳥は射られるために再び同じ処へは飛んで来てくれないのです。

過去の「私」が残したものを今の私が認めたくないとすれば、今の

私が信じていることも何れ怪しくなってしまうかもしれません。世間

ではそういう徒を「嘘つき」と呼びますが、そもそも、言葉とは変化

を捉えることが出来ないのです。前に言葉足らずで、「言葉なんて

信じちゃいけない」と記しましたがそういう意味からです。

 話が逸れましたが、そういう訳で時間があれば原稿用紙を汚す日

々ですが、実際、しばらくペンを持たないでいるとこんなにも間違

うかというくらい間違いますし、更には自分の拙文に落ち込み再び

書き直して、こんなことならPCなんかに残さないで始めから新た

に小説を書けばよかったと後悔してしています。すでに書き損じた
 
原稿の方が遥かに多くなってしまいました。ただ、「私」は、これか
 
らはITから新しい小説が生まれるだろうと思っていたので、こんな
 
にも空振りするとは思いませんでした。それは、もちろん私の小説
 
が拙いことを認めてことですが、IT文化さえも所詮仲間内でしか共
 
有しようとしない蛸壺文化そのものではないかと気付きました。そ
 
れは排他的で当たり障りのない同じような御追従のコメントばかり
 
が交わされて、異論を挟むことさえ憚られ、例えば、原発賛成派の
 
者は反対派のログにコメントすることさえ憚れ、「いいね!」「いいね
 
!」と言う者ばかりが集まっても議論にもならない。しかし、実際の社
 
会では賛否が渦巻いていると言うのに。つまり、我々は向こう三軒両
 
隣を失ったから仕方なくITにその肩代わりをさせているだけではない
 
だろうか。それなら、ITなどに頼らずにもう一度ご近所との付き合いを
 
取り戻した方が無縁社会と呼ばれる地域社会を少しは再生させるこ
 
とに繋がるのではないだろうか。

 おっと、話がまた逸れましたが、そういう訳で、私は書き上げた

小説をリメイクして仕方なく既存のオーソリティーに委ねるべくせ

っせと書き殴っている次第です。もちろん、すでにブログに於いて

結果は出ているのですが、それでも諦め切れない執筆する者の業か

もしれません。

 以上が私の近況を伝えると同時に、年越しの愚痴を新年の始めに

吐き出してスッキリして、新しい年を再び有る事無い事を記してこ

れまで通り時を潰すつもりですので、どうぞよろしくお願いいたします。

                      
                                 ケケロ脱走兵


 「11月15日」

2011-11-15 21:10:46 | 赤裸の心

                 「11月15日」


 11月15日は私の誕生日です。この日は七五三の日でもあるの

で子どもの頃は千歳飴だけで随分誤魔化された思い出があります。

更に、大阪では年明けの「えべっ(戎)さん」の祭りにその売れ残っ

た千歳飴が細工を変えて福飴として売られます。商人の街大阪では

三ヶ日が明けると「商売繁盛で笹持って来い!」の掛け声に寄せら

れて戎神社に参ります。今宮戎神社にはよく連れて行かれましたが、

またその福飴を与えられて、子ども心に初めて「飽いた」という感

情を知りました。だから、誕生日といえば舐めても舐めてもなくな

らないあの金太郎飴を思い出さずには居られません。

 もう小学校に上がっていましたが、近所に露天商のタコ焼き屋を

営む夫婦がいて、子どもが無かったからだと思いますがそのおばち

ゃんによく可愛がられて、祭りや夜店に連れて行ってくれました。

おばちゃんが家に呼びに来てくれるのです。夜店の嫌いな子供はい

ませんしタコ焼きも食べれるから歓んで着いて行きました。戎神社

では一度迷子になって警察の世話になったことさえありました。あ

る年の瀬でした、そのおばちゃんがいつもの様に誘いに来た時、母

親がそれまでとは態度を変えて、涙ながらに「もう連れて行かない

でくれ」と訴えたんです。「私の子を返してくれ」とも言いました。

それほど私はおばちゃんといつも一緒に居るようになってました。

母の訴えを聞いておばちゃんは仕方なく諦めて帰り、そして、それ

からもう私を誘うことはありませんでした。しばらくして、寒さの厳

しい時期だったと覚えていますが、おばちゃん夫婦は「えべっさん」

のために車の中に泊まり込み、暖を取るための練炭による一酸化炭

素中毒で二人とも亡くなりました。それから母親は、一緒に行って

たらお前も死んでたと言い、事あるごとに「お前を助けてやった」

とおばちゃんから引き離したことを自慢しました。私も母はすごい

人だと思いました。

 社会に出てから11月15日はあの坂本竜馬の誕生日であること

を知りました。もちろん、彼が生きていた時代は旧暦ですので厳密

には同じ日とは言えませんが、彼の外連味(けれんみ)のない生き方

に惹かれました。野望があっても我欲に縛られない清々しい生き方

に憬れました。ちょうどその頃は京都にいて池田屋騒動の舞台とな

った、当時は土産物屋だった三条木屋町の店で、例の革靴を履いた

竜馬のポスターを買い求め部屋の壁に貼り、竜馬が眠る護国寺にも

足を運び、そこから見下ろせる洛中の家並は今も目を閉じると浮か

んできます。歴史に埋もれていた彼を見出したのは司馬遼太郎の「

竜馬が行く」でした。その頃の京都はまさに竜馬ブームで、否、京

都だけでなく日本中がドラマの影響で幕末ブームでした。彼と誕生

日が同じである私は心の中に生きる竜馬が汚されていくようでその

流行に素直に乗れませんでした。竜馬をまるで自分のために居るよ

うに語る武田鉄矢は大嫌いです。

 私の父は、私が15才の時に亡くなりました。父が脳卒中で倒れ

る前夜、私は夢の中で父が死ぬ夢を見ました。夢を見ても目覚めと

ともにまず記憶に残ることはなかったのですが、その夢だけははっ

きりと覚えていました。父の遺体を担いで病院の階段を下りていく

夢でした。それでも、おかしな夢だと思うだけですぐに忘れてしま

いました。昼過ぎになって近所の人が父が倒れてると駆けて来てく

れました。父は私の手を痛くなるほど握り返しました。すぐに救急

車を呼んでもらって集中治療室に運ばれましたが、すでに脳死状態

でした。しばらくして、私はどうしてあんな夢を見たのか気になり

ました。予知夢というにはあまりにもはっきり記憶していて怖ろし

くなりました。そして、もしかしてこの世とは別の世界が在るのか

も知れないと素直に感じました。しかし、この世に在ってこの世に

は亡き者に従って生きるのは自らの命を全うすることにはならない

のではないか。ただ、そういう不思議があってもかまわないが、そ

れらに操られて生きたくなかった。たとえ間違っていても自分自身

の意志に従って生きようと決意して不思議な夢を封印した。宮本武

蔵が残した「神仏は尊し、されど頼らず」です。すぐに父の葬式が

行われましたが、その日は私の誕生日の11月15日でした。

 坂本竜馬は、自らが起草した「船中八策」によって大政奉還を見

届け、新政府の構想まで考えていたが自らはその要職には加わらず、

大海へ出て世界を駆け回る夢を描いていた。しかし、恨みをもった

徒によって惜しくも暗殺されてしまった。奇しくも彼が殺された日

は彼が生まれた日、即ち11月15日だった。

 

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