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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

エディ・ヒギンズ・トリオ/クリスマス・ソングスII

2007年12月20日 23時36分53秒 | JAZZ-Piano Trio
 昨年の調度今頃レビュウしたエディ・ヒギンスのクリスマス・アルバムの続編です。確かあれをレビュウした前後に購入したはずですが、あれこれクリスマス・アルバムを聴いているうちに、こちらまで手が回らず来年のクリスマス・シーズンまで持ち越しになっていたものです。メンバーはベースのジェイ・レオンハートに変わってジョージ・ムラーツ、ドラムのジョー・アシオーネからベン・ライリーに替わって、2曲入ったボーナス・トラックにはスコット・ハミルトンのサックスがはいるという構成になっています。ライナーにも書かれていますが、本作では賛美歌系のトラディショナルな作品が沢山収められているのが特徴でしょう。この種の作品は前作でも何曲か入っていましたが、あの時はどちらかといえばいわゆるクリスマスのスタンダード作品がメインでしたから、本作ではあえて前作でやり残した沢山のクリスマスのスタンダードを手がけず、もっぱらトラディショナルな作品をやっているのはエディ・ヒギンスの趣味だったんでしょうか?。

 まぁ、そういう選曲がなされたアルバムなので、ディアム~スロー・テンポでアレンジされた曲が多く、全体としてはミかなり落ち着いた雰囲気が強いですが、1曲目の「もろびとこぞりて」の中間ではヒギンスらしいスウィンギーなアドリブが展開されますし、5曲目の「われら3人の東の王」では、かつての「魅せられし心」を思わせるハードボイルドな雰囲気でアレンジされたり、前回もあったボサノバ風なアレンジの作品としては、8曲目の「あめにはさかえ」があったりもしますから、まぁ、ヒギンスらしいところは十分感じさせるものの、やはり全体にちと地味かな....という気がしないでもないです。なお、スコット・ハミルトンが参加した2曲は「きよしこの夜」と「ジングルベル」というとてつもなく有名なクリスマス・ソングですが、けっこう直球なアレンジでもうひとひねり欲しかったところです。
 という訳で、こちらの続編ですが、酒場でBGMとして流しておくならいいかもしれないけれど、どうもひとりで音楽に耳を傾けるにはちと食い足りないという感じですかね。まぁ、ヒギンスもクリスマス・ミュージックという機能性に割り切ったアレンジ&プレイで、ここでは職人に徹しているのかもしれませんが。
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許茹芸(ヴァレン・スー) /我愛夜

2007年12月19日 22時51分15秒 | 台湾のあれこれ
 こちらは確か中国本土で出た蘇慧倫のベスト盤を購入した時に注文したもので、2004年の作品となる(中国盤)。私は彼女のアルバムというと1999年の「眞愛無敵」しか聴いていないが、あのアルバムが正統派の台湾バラード的音楽でもって全編を染め抜いた作品だったとすると、5年後に出したこのアルバムは-特に前半は-かなり毛色が違ったけっこうモダンな音楽になっている。ちょっと前に「眞愛無敵」をレビュウした時に、「現在も人気シンガーとして活躍中の彼女は、今いったいどんな音楽をやっているのだろうか」と書いたけれど、案の定、2000年前後の台湾ニュー・ウェイブ以降、彼女もけっこうアップ・トゥ・デートな方向で変わっていた訳だ。

 とはいっても、許茹芸は他のみんなのように流行りのギター・ロック系の音をとりいれた音楽をやっている訳ではなく、どちらかというアンビエント・テクノ風というか、エレクトリック・ミュージック的なアレンジを採用しているのがユニークだ。そのあたりは1曲目のタイトル・トラックで明らかだけれど、アンビエント風でちょいとアブストラクトなシーケンス・パターンを配し、リズムは当然打ち込み系、ただし、全体の雰囲気は妙にトロピカルでサロン風な上品さがある上にチャイナっぽい旋律が見え隠れするという、非常にユニークな仕上がりとなっているのだ。許茹芸のヴォーカルはちょいとこまっしゃくれた舌足らずなところが、妙にファンタジックな個性を感じさせると思うのだが、おそらくそのキャラクターを考え抜いた上のアレンジなのだろう。まさに彼女のぴったりのサウンドとなっている、非常にチャーミングだ。2,3,7,10曲目あたりもそういった方向でのアレンジになっている。

 一方、従来のバラード路線としては4曲目の「只说给你听」9曲目「信号」あたりが典型的な王道路線でちょっとほっとする。また、5曲目「众里寻他」はちょっとシャンソン風にアンニュイな表情をみせるメランコリックな旋律が印象的だ(日本人が好みそうな陰影ある旋律でもある)。8曲目の「遇见另外一个人」はアコギをバックに歌った既視感を誘うようなバラードでこれもなかなかの出来である。アルバム・ラストのデュエット曲はさしずめ先のモダン・サウンドと台湾王道路線のドッキングで、フォークロア風な雰囲気、ハウス風なチャカポコリズム、チャイナ風な旋律、アンビエントっぽい浮遊感、大仰なオーケストラといった要素が入り乱れる作品だが、それが不思議と奇妙な調和を見せ、最後に相応しいドラマチックな作品になっているのもおもしろい。
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FUJIFILM FinePix F401(デジタルカメラ)

2007年12月18日 23時15分15秒 | PC+AUDIO
 今回の訪台で実は私はデジカメを携帯しなかった。理由はいろいろあって、荷物になる、充電が面倒くさいなどが主なものだが、そもそも携帯したW51SとW-Zero3のカメラを使えばいいではないとも思っていた。ひさしぶりとはいっても、いまさら台湾の風景が劇的に変化している訳でもあるまいし、仮にあったとしても、音にはうるさくても画像にはとんと拘りのないの私のことではあるので、ケータイのオマケについているカメラの画像で十分と思っていた訳である。事実、当ブログにたまにのっけるスナップ写真のほとんどは、ケータイのW51Sで撮っていたのだし、それに全くといってほど不満も感じていなかったので、今回の訪台ではほとんどデジカメは眼中になかったのだった。

 ところが、このツアーをほとんど取り仕切ってくれたいつもの同行者は、私の一緒の訪台としては多分初めてデジカメを携帯してきたのである。確か7年前の時は私が持ち込んだ2台のデジカメの1台を使ってもらったように思うのだが、その彼がコンパクトでちょいとオシャレなカメラを持ってきたのである。デジカメという代物についてはここ数年とんど感心の範囲外にあったのも事実だが、しげしげと眺めてみると、液晶ディスプレイがやたらとデカイ(笑)。しかも、話を聞いてみると、そいつが乾電池2本で駆動し、画素数は600万だか700万、しかも価格は2万円もしないのだという。デジカメといったら2000年頃、400万画素になったあたりで、メディアとしては成熟商品になったのだばかり思っていたのだが、実はとんでもなく深化していた訳だ。などと、ちょっとした浦島太郎気分になったりしたのだが、そういえばということで思い出したのが、このデジカメである。私が購入した目下最新のデジカメだ(大笑)。

 で、コレなのだが、3年ほど前にオークションで購入したものだったと思う。携帯に便利なコンパクトなものが欲しくて購入したはずだが、届いた直後こそ、多少いじくったりはしたと思うが、なにしろ前述の通り、写真を撮るということに関しては、これを購入した後くらいから、徐々にケータイの方に移行してしてしまっので、これはほとんど無用の長物と化していたのだった。さて、久々にとりだしたこのデジカメだが、画素数は250万とはいえ、当時の定価ベースでは6万台後半はしたこともあり、そこそこの機種だったと思う。スクエアでスタイリッシュなデザインはけっこう高級感があり、今もってみてもなかなか質感である。「なんだ、こんなの持っていたんだったら台湾に持っていくんだった....」などと思っても後の祭りであるが。

 とはいえ、「んじゃぁ、これからこれを使おう」という気も実はあんまりならない。何故かというと、当時は立派に薄型だったが、現在の感覚するとけっこう重厚な割に、1.5インチの液晶ディスプレイがいかにも小さくて、そのあたりがちと貧相かなと思えてしまうからだ。という訳で、久々にデジカメに対する物欲がひしひしと涌いてきた今日この頃のなのだが、買うとすれば、やはり胸ポケットにはいるくらいのコンパクトやヤツが欲しい。そうなると思い出すのは、やはり台湾への行きがけショップでみかけた、富士フイルムのFinePix Z100fdか、ソニーのDSC-T2あたりということになる。さっきも千葉市内のショップでちらっと現物をさわったりしてきたのだが、正直いってどちらもヤケに物欲をそそるデザインで甲乙つけがたい。いっそ両方買ってしまおうかと思うくらいであるが、うーむと悩んで、さきほどFinePix Z100fdを注文してしまった。やはりエビちゃんのビジュアル効果は偉大である(笑)。
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ULTRAVOX / Rage in Eden

2007年12月17日 23時28分55秒 | ROCK-POP
 先日なにげなく聴いたウルトラヴォックスの「ヴィエナ」だが、あの時はフォックス時代に比べ「なんとか楽しく聴ける」などと書いたけれど、実はあれからウォークマンに入れて何度か聴いたところ「なんとか」どころではなく「非常に楽しめる」に変わっていった。私は音楽における通俗味というのは満更きらいな質ではないと自分では思っているが、いかんせんフォックス時代の音楽な孤高ところがあまりにも印象的だったせいで、どうしてもミッジ・ユーロ期に関しては「通俗化したヴォックス」というイメージが強すぎてが辛くなっていたらしい。が、それもこれも初めて聞いてから四半世紀という時期が経過したせいだろう、ある程度独立した音楽として評価できるようになったかもしれない。とにかく、「ヴィエナ」の冷たいシンセの響きとドイツ風なテクノビート、そして全編に漂うにシニカルな哀愁みたいなところが非常に良かったのである。

 そんな訳で、あわてて「ヴィエナ」に続く「エデンの嵐」をネットで購入してきてみた。このアルバムはほぼリアルタイムで購入した記憶があるが、当時の印象としては「ヴィエナ」の出来の悪い続編という感じであまり良好なものではなかったと思う。今回「ヴィエナ」が久々に非常に楽しめたから、こちらもひょっとすると以前より良い感じで聴けるのではないかと思っていたのだが、ほぼ20年振りくらいに聴いたこの作品、やはり「ヴィエナ」には敵わないと思う。確かに1曲目の「Voice」は前作に匹敵する作品だが、全体に、「ヴィエナ」にあったインスト指向やドイツっぽい雰囲気が大分後退させ、「ミッジ・ユーロをフィーチャーしたテクノポップ」を全面に出そうとしたのか、結果的に似たようなリズム、似たような曲のオンパレードになってしまい、曲毎のメリハリがなくなってしまっているように思う。壮麗なシンセが印象的な「Voice」のあと、陰影ある哀愁の雰囲気を漂わせた「We Stand Alone」あたりまではいいのだが、「Rage in Eden」、「I Remember」、シンセベースとビコビコなるシーケンス・パターンがベースになった曲が続くといささか飽きてしまうのだ。

 旧B面に移っても、「Thin Wall」も「Stranger Within」と同様なパターンで続き、「Accent on Youth~Ascent~Your Name」のメドレーは「ヴィエナ」の後半のメドレーを再現したような仕上がりで、途中の「Accent on Youth」のインスト・パートがそのままブリッジとなる「Ascent」のスリリングさはなかなかだが、ドラマチックさ、スケール感、仕掛けの緻密などの点で、「ヴィエナ」のそれには到底及ばないという感じがする。ラストを飾るバラードの「Ascent」も今一歩盛り上がらない。このあたりを推測するに、どうも「ヴィエナ」という作品を傑作にしたのは、ヴォックス自身というよりは、プロデュースとエンジニアを担当したドイツの巨匠コニー・プランクのセンスだったのではないかという気がするのだ。いや、もちろんこの作品でもコニー・プランクは参加しているのだが、どちらかという副プロデューサーというポジションで、あくまでこのアルバムで聴ける音楽の主導権をとったのはバンド自身だったのだろう。どうもこのアルバムで聴けるヴァリエーションの貧弱さというのはバンド自身がブロデュースを兼ねた時の弊害がもろに出ているような気がするのだ。もっとも、それが故にこのアルバムは「ニュー・ウェイブ直後に確立されたテクノ・ポップの典型」として傑作という意見も当然あるだろうけれど....。
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周/精選 兒絶版

2007年12月16日 22時22分13秒 | 台湾のあれこれ
 先日、台北のCDショップ光南大批發で購入したもの。周(チョウ・ワイ)が2003年に出したベスト盤だが、しばらく前にネットのショップでこれの存在をしったものの、時既に遅しでどこでも品切れ状態になっていて悔しい思いをしたからで、光南大批發でなにげなくCDにラックに収まっているのを見つけた時、「おぉ」とばかり迷わず手にとったという訳だ。周はこれまでアルバム数枚出していて、私はそのうち2枚をもっているだけなので、彼女の買うべきアルバムといえば当然レギュラー・アルバムの方なんだろうけど、新曲が3曲入っている点といい、例によって細長の紙ケースのジャケといい、なんとなく購買意欲をそそられるアルバムだったのである。

 さて、周のアルバムはどういう訳か、いつも精選というベスト盤と同義語なタイトルがついているだけれど、これは正真正銘のベスト盤である。どうやらこのアルバムを出した時点で彼女は3作レギュラー・アルバムを出していたらしく、そこからベスト選曲+新曲3つで構成されている。先に書いた通り私は彼女の1,2作は既に購入してあるので、内容的にはそれほどありがたいものでもないが、先の訪台で頭がすっかり台湾モードになっているのに加え、先日聴いた梁静茹の「崇拝」があまりといえば、あまり素晴らしい台湾パラードだったので、音楽の方もすっかりこちらの方にシフトしてしまっているので、旧作のレトロスペクティブとはいえ、この内容はうってつけ。新曲がふたつばかり終わると、1作目のトップを飾った「不想譲[イ尓]知道」と同じく2曲目にラインナップされていた「約定」がそのまま出てくるのはうれしいし、同アルバムではちょいと地味なところ入っていたが「預言」などもこういう順番で聴くと名曲で、台湾バラードの王道をしっかり楽しませてくれる。

 それに比べると、第2作の方は-実は当時からいささか不満に思っていたのだが-どうもアコスティックなフォーク路線に多少シフトしてせいか、いささかメロディックなところが後退してしまっているようで、1作目の曲と比べるとちょっと訴求力に欠ける気がする。私がもっていない第3作目から選ばれた曲もそういう傾向があるように感じだ。ひょっとすると、2000年あたりの時期って、例の台湾ニュー・ウェイブが席捲していたせいで、正統派台湾バラードが多少陳腐化してしまっていて、遅れて登場した大型新人だった周も多少ひねりを入れざるを得なかったのかなという気もする。ちなみに1,2曲目を飾る新曲は、そのあたりを反省したのか-どうかはわからないが-、見事に第1作の頃に回帰したような素晴らしいバラードで、聴いていて「これだ」という感じで楽しめる。
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PAUL McCARTNEY / Memory Almost Full

2007年12月15日 23時51分41秒 | Beatles
 10月あたりからぼちぼちと聴き始めた「ここ10年のポール・シリーズ?」もいよいよゴール、なにしろこの6月に出たポールの最新作が本作なのである。前作はポールの一人多重録音による作品だったが、今回はそれと同路線のものと先のツアー・メンバーも参加したバンド編成で収録されたものが混在している作品となっている。プロデューサーはバンドでアルバム一枚分を録音してあったにも関わらずポール一人だけの多重録音スタイルで録音することを主張したらしいナイジェル・ゴドリッチに替わって、「Driving Rain」で担当したデビッド・カーンに戻っている。老境を向かえたポールの等身大の姿を伝えたいと思うがあまり、全てをポールに手がけてもらいたがったナイジェルのプロデュース・ワークはポールにはちと息苦しかったのかもしれない。

 さて、内容だが、こうした経緯をほぼ忠実に反映した出来だ。つまり「Driving Rain」と「Chaos And Creation In The Backyard」の間くらい発表されたらしっくりとくるような、つまりバンドっぽいノリとホーム・ミュージック的にインティメートな感触が妙に混在しているような仕上がりといえる。また、ここ数作の中では久方ぶりポールらしい外向的なポップ・ミュージックに多少回帰したようなところもあり、しかもそれが冒頭の数曲に集中していることもあってか、アルバム全体の印象としてはかなり明るくポップな印象が強い。そのせいか日本盤のキャッチは「あの頃のポールが戻ってきた」である。あと、おもしろいというか、おやと思ったのはアナログ盤でいえばB面に当たる後半の曲(7曲目から)がメドレー形式になっていることで、もちろん「アビー・ロード」みたいなど怒濤のメドレーって訳ではなく、とりあえず繋げてみましたみたいなところがあるメドレーではあるんだけれど、こういう小細工をするポールは久々に聴いたような気がする。

 とりあえず、数回聴いただけだが、全体から受ける手応えからいうと「Driving Rain」の重厚さ、「Chaos And Creation In The Backyard」の枯淡の境地といったものに比べると、近2作とかなり似通った雰囲気の曲も多く、今一歩「この作品だけの売り」みたいなものが見えてこないアルバムという気もするがどうだろうか。まぁ、作品の成り立ちからして、このアルバム「Driving Rain」と「Chaos And Creation In The Backyard」の落ち穂拾いみたいなところがないでもなさそうだし、所属するレーベルがEMIから替わり前作からけっこうい短いインターバルで出されたことも考えると、ちとリリースを急ぎすぎたような感じもするのだが....。
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鈴木宗男、佐藤優/反省-私たちはなぜ失敗したのか?-

2007年12月14日 23時46分30秒 | Books
 先の訪台の時に読了したもの。外務省のラスプーチンこと佐藤優と疑惑の総合商社といわれた鈴木宗男の対談集である。テーマは文字通り2002年以降世間を大騒ぎさせた外務省疑惑事件である。この事件については、先月読んだ「国家の罠」で佐藤優がその経緯ややりとりについて詳細に描いていて、かなりおもしろかったが、本書はその補遺のようなスタンスになるのだろうか、いや、補遺というにはあまりに豪華である。なにしろ今度は本尊鈴木宗男が登場するのだ。このふたりでこの事件について、順に回想しつつ、時にあの時こうすればよかったと反省するのだが(だからタイトルが「反省」となっている)、さすがにマスコミと世間に悪のレッテルを貼られ巨悪の象徴のように語られたふたりが揃ったせいか、いつものとりすましたようなところがなく、時にかなり熱く実名入りであけすけな批判が連発する。さしずめ「今度はこっちの反転攻勢をかけてやる」ってな勢いである。その熱っぽさがまたおもしろい。

 それにしても、「国家の罠」もそうだったが、仮にここに語られていることが真実だとすると、我々は数年前なんとマスコミに踊らさせていたことか。ご両人ともあまり人相が優しくなかったせいもあるが(笑)、私自身、当時は陰険そうな佐藤の表情と、繰り返しオンエアされた鈴木が自民党の会議室で怒鳴り声を上げる場面を繰り返し刷り込まれたため、このふたりをすっかり悪党だと思ってしまっていたのだ。おそらく世間でもそうだろうし、未だにそう思っている人の方が多いはずだが、結局のところはこれらの本でご両人に悪のイメージはどうやらマスメディアで作られた虚像らしく、それを背後で操っていたのは外務省本体(+α)だったことが浮き彫りにされる。こうなると俄然巨悪に感じるのは外務省ということなってくるのだが、はたしてどうなのだろう。この本を読むと外務省がひとつに明確な意図をもって策謀を巡らしたように感じるのだけれど、なんとなく、そういう明確なものより、自己保身に走った役人たちの集合無意識みたいなものが(戦前の陸軍とかもそうだったように)、ああいう流れを生んだのではないかとも感じのだが。
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蘇慧倫/同名專輯

2007年12月14日 00時07分11秒 | 台湾のあれこれ
 これは先の訪台で入手してきたものではなく、昨年リリース直後に既に購入してあったものだ。彼女は2001年の「戀戀真言」以来、5年ほどシンガーとして活動を停止していたらしく、このアルバムは久々のカムバック作といった趣があったのだが、なんとなく聴きそびれていたところ月日が経ってしまい、先の訪台では本作に続く「左利き」が既にリリースされていて、当然そちらを購入してきたので、そろそろこっちを聴いておこうと思った訳である。それにして、台湾のトップ・アイドル、国民的な人気者として君臨していた彼女はどうして歌手として活動を停止していたのだろう?。レーベルも上華に移籍しているところからして、プロダクションのごたごたがあったのか、元々女優指向の強い彼女のことだからして、アイドル的な活動にうんざりして女優業に専念したのか、異国の地にいるファンにはよくわからないのだが、おそらくその両方なのだろう。

 さてこの5年振りの新作だが、音楽の佇まいが大分かわっている。前作までの数作にあったギター・ロック路線がけっこう後退して、オーソドックスなバラード路線をベースになだらかで拡がりのあるナチュラルな感触になっている感じである。ここ数作にあった楊乃文ばりのギター・ロック・サウンドや、アイドル後期のこまっしゃくれたポップ・センスも悪くなかったが、やはり私には生真面目なスターが無理矢理特定のキャラを演じているような不自然さを感じたのも確かで(発売元の滾石の意向が強かったのかもしれない)、このアルバムで聴けるような、あまり演出臭のないさらりとしたサウンドでまとめた音楽の方が、むしろ蘇慧倫のような人には合っていると思う。ただ、その分台湾ポップらしい抑揚あるメロディックなセンスさだとか、メリハリといったものも後退しているので、全体としては地味な作品になってしまっているのも事実である。このあたりは聴く人の好みということになると思う。

 曲としてはオーソドックスなバラードに回帰したような1曲目の「不想想太多」、ちょっとサロン風なアコスティック・サウンドにのって、心地よいヴォーカルを聴かせる4曲目の「輪廓」が出色の出来だ。6曲目の「找到幸福那年」も「満足」の頃を思い出せるバラードで、なんとなく「おかえり、ターシー」といいたくなるような仕上がりでうれしくなるし、8曲目の「我們」できける宇宙的といいたいような拡がりも、かつての「鴨子」の頃にもどったような趣があって、どことなく懐かしい。ともあれ、5年振りにカムバックした彼女の新作は、本当の意味で着流しの自然な蘇慧倫が出た作品になったと思う。前述の通り彼女は既にこれに続く「左利き」という作品を出している訳だけれど、そこでもこれに準じた内容になっているのだろうか?。まぁ、それはともかく、しばらくはこの作品を聴き倒すしかあるまい。
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王心凌(シンディー・ワン・シンリン)/Fly Cyndi

2007年12月13日 22時33分10秒 | 台湾のあれこれ
 という訳で、この訪台で一番街角で見かけた女のコだったシンディー・ワンのアルバム。台北空港へ向かう途中、CityCafeでコーヒーを飲みながら、ふと「このコ、ほんとによく見かけたよなぁ」などと思いつつ、飛び立つ直前に台北空港内のCDショップ店に入ったらすぐ見かけたので、ものはついでにと購入してきてしまった。それにして台北市内のショップに比べると空港内は200元(800円)くらい高くて、買値はほぼ500元、つまり2000円もしたのであった。こんなことになるなら、光南大批發で購入しとけば良かったと後悔したものの、後の祭りである。「まぁ、日本に帰ってきてネット・ショップでもこのくらいの価格になってしまうからいいか」と自分を慰めたものだったが....(笑)。

 さて、このアルバムだが、調べてみるとなんと5作目であった。デビュウ作は2003年に出ているから、もうけっこうなベテラン・アイドルである。音楽を聴いてみると、これが実に賑々しいアイドル・ポップで1曲目など、ガムラン風なリズム、中華風のメロディ、そこにロリ風なアイドル声のヴォーカルが乗っかるという、外国人が聴いたらさぞや「おぉ、台湾のアイドル!」って感じで喜びそうな音楽になっている。とにかく元気一杯、怖い物はなにもないってな、突き抜けたような幼児っぽいパワーを感じさせるヴォーカルなのが印象的だ。ただ、この手の賑々しいアイドルポップばかりかというと、実はそうでもなく3,4曲目あたりからは、ごくまっとうなしっとり系なバラードも歌っていて、こういう曲ではおおよそとはバラードとは無縁そうなロリ声で、しっかりバラードを歌いこなしてしまうあたりは、彼女のけっこうな実力を感じさせたりもするから侮れない。7曲目の抑揚あるメロディを危なげなく歌いこなすあたりはなかなかだ。ルックスは「堀北真希+優香」といった感じだが、音楽的には「アイドル寄りにシフトした大塚愛」といったところだろうか。シンディー・ワンの所属レーベルはエイベックス・トラックス台湾である。

 ちなみにこのアルバム、おまけにDVDがついている。ピンナップの撮影風景と1曲目のMTVが収められているだけなので、ホントのおまけだが、今やそのマケケもかつてのようなVCDではなくDVDになったのは7年という時代の流れを感じさせる。それにしても、このDVDを見ると「堀北真希+優香」って感じでもないかもしれないと思い始めた。もうすこしバタ臭いというか、アジア的な濃さがあるルックスなんだよな。ついでに書くと、彼女は現在25歳、日本ならとっくにアイドルをやっている年齢ではないが、それでも様になってしまうのは台湾の風土の大らかさというものだろうか。まぁ、カタログを見ると歴代の彼女のアルバムでも、今回が一番若作りだったりするのだが(笑)。
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梁静茹(フィッシュ・リョン)/一夜長大

2007年12月13日 00時43分03秒 | 台湾のあれこれ
 さきほど「崇拝」のレビュウで、「アルバムを購入したのは多分これが初めてである」と惚けて書いたのだが、どうも梁静茹という名前を我が家のCD棚に既にあるような気がして仕方なかったので、今し方あれこれ探してみたところ、これが出てきた。CDシングル使用の薄いプラケースに入っていて、「Promotion Only Not For Sale」と刷られているから、きっと他のCDを購入した時にオマケでもらったかなにかしたのだろう。曲は「一夜長大」その他全部で5曲がフィーチャーされている(ジャケ写真もまじめな女子大生風で若い)。変わっているのはこの5曲が3セット入っていることで、計15曲入って勘定になる。聴いてみるとヴァージョン違いということでもないらしく、まるっきり同じ5曲が3回繰り返されることなる訳だ。きっとショップでBGMとして連続再生させることを前提にした作りなのだろうか、プロモーション・ディスクらしくておもしろい。

 さて、収録された5曲だがどれも1999年のデビュウ・アルバム「一夜長大」に収録された曲で、こういう代物が作られたこと自体、彼女はデビュウ時から滾石唱片の期待の新人だったことを伺わせたりもするのだが、内容の方も中々である。もちろん昨夜聴いた「崇拝」のような練りに練った歌唱という程には円熟している訳でもないが、ちょっとハスキーな声で、クールでドライさと、ウォームでウェットな情感を妙な具合にバランスさせたユニークな個性は既にこの時期から出来上がっているのは凄い。さすがにジョナサン・リーに2年に薫陶を受けただけはある完成度の高い歌唱と個性である。音楽的には王道台湾ポップスなのだが、随所にウェストコースト風なアコースティック・サウンドが味付けとして随所に顔を出すのが印象的で、1999年といえば台湾ニュー・ウェイブは既に始まったいたから、そのあたりを考えて、多少、ロード・ミュージック的な線で売ろうとしていたのかもしれない。特に「一夜長大」や3曲目などそういった趣がある。一方「色虹」と4曲は、極上の台湾バラードで、これは素直に楽しめる仕上がりとなっている。
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梁静茹(フィッシュ・リョン)/崇拝

2007年12月12日 23時35分18秒 | 台湾のあれこれ
 梁静茹(フィッシュ・リョン)は以前から名前だけは聞いたことがあった人なのだが、アルバムを購入したのは多分これが初めてである。彼女は数々のアーティストをスターにした李宗盛の秘蔵っ子として、1999年にデビューしたらしく、いつのまにか滾石唱片の中堅スターとなってしまった感があるが、このアルバムは新作らしく台北のショップではけっこう派手目にディプレイされているところが多かったので(赤を基調としたジャケ写真は日本のカメラマン、蜷川実花撮影だとのことだ)、試しに購入してみた。ジャケットはDVDサイズで、歌詞カードが紙のケースにプラスされた特殊ケースに、けっこう厚手のフォトノート(写真集+パステルカラーのノート)が同梱されている。「こんなノートもったいなくて使えないぜ」とかいってはいけない(笑)、この無駄なゴージャスさが台湾なのである。これに更にDVDが付いた豪華版もあるらしい。うーむ、そっちにすればよかったかな。

 さて、内容だがこれは一聴して魅了された。なにしろタイトル曲の「崇拝」が素晴らしい。アカペラで歌い始める厳かな開幕からピアノが絡み始め、心の琴線に触れまくりの旋律が歌われるあたり、「今時めずらしいくらいに正統派台湾ポップス」という感じだし、ストリングスやコーラスが重なってドラマチックに盛り上がるあたりの展開も素晴らしく、なんか久々に台湾ポップスの神髄を聴いたという気にさせてくれたのだ。彼女のヴォーカルは、女性としてはちょい低めのアルトくらいの音域で、声質もちょいとかすれ気味で、私の好みからすると、それほどど真ん中にヒットしているタイプでもはないのだが、抜群の歌唱力、人柄が伝わってきそうな誠実な歌い振りなど、とにかく説得力抜群だ。2曲目「セラヴィ」も理知的な面とほどよくコントロールされた情感とか絶妙にバランスしていて歌の職人を感じさせやけに心地よい。

 さて、この正統派王道台湾ポップスからはじまるアルバムだが、5曲目あたりから昨今のモダンな台湾ポップスの音にも目配せしているようで、ガレージ風なギター・サウンドやサイケなサウンドなども顔を出すが、彼女のヴォーカルはウェットなところと乾いたところが妙に交錯するところがあって、こういうサウンドだとそのドライさがうまくのって違和感を感じさせないところがいい。坂本風なく・ストリングスとエレトリックなサウンドをバックに配した6曲目などもおもしろく聴けるし、7曲目の楊乃文みたいなロック・サウンドもなかなかだ。ところでこの梁静茹だが、実はマレーシア人で台湾の人ではない。台湾のポップスのど真ん中にいながら、どこか自分はそれに客観視いているような微妙な距離感のようなものはひょっとすると、こうした出自によるものかもしれないな。
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臺灣之歌

2007年12月12日 00時37分40秒 | 台湾のあれこれ
 今回の訪台で驚いたのは、以前ならそこらに掃いて捨てるほどあったCD/VCDショップが激減していたことだった。なにしろカセットテープやVCDが駆逐されたというのは分かるが、CDやDVDなどは商品メディアとしてはまだまだ商品になるだろうに、どうしたことだろうか。やはりこれは台北で海賊盤を一切見かけなくなったことと無縁ではないような気もする。そのあたりの業者はその手の商品は、もはや国内は諦めて海賊盤天国中国本土に出荷しはじめたというところなのかもしれない。とはいえ、海賊盤といっても、当時から本国や欧米のアーティストのそれはほとんどみかけたことはなく、もっぱら日本のアーティストに限られていたのだが....。

 さて、このアルバム(VCD)は士林夜市の裏通りにあるエロDVDなどが置いている極めて怪しげな店で購入してきたものである。とはいえ、多分これは海賊盤ではない。HYSというマイナー・レーベルからでている代物で、タイトルから分かるとおり台湾演歌のスタンダード(50~80年代)を集めたアルバムである。ご覧の通りの戦前の台湾を撮影したとおぼしきノスタルジックなジャケに惹かれて、まとめて6枚ほど購入してみた。こちらの期待としては50年代頃の台湾の街角に鳴ってたであろう、いにしえの台湾演歌の音と映像が拝めたらうれしいな....というものだった。が、なにしろ、一枚20元、日本円にして80円というタダみたいな値段だから、過剰な期待は禁物である(なにしろプラケースなし、二つ折りのジャケ写真に無造作にCDがはいっているというお寒いパッケージなのだから推して知るべしである-笑)。

 さて、これらのアルバム帰国して、早速DVDプレイヤーでかけてみたのだが、やはり内容は予想とおりのものだった。外国の小綺麗なリゾート地だの街の風景をバックにいささか露出過剰な水着を着たモデルさんからうろうろしているを撮りっぱなした映像にカラオケ用の歌詞字幕がつくというものだった。もちろん音楽もいささかチープな打ち込み主体のオケをバック、名も知れない歌手がスタンダードをカバーするというスタイルで、映像、音楽のアレンジともノスタルジーのノの字もない代物であった。そういえば、7年前に訪台した時もVCDではないが、この手のCDを購入してきて、ちょいと聴きかじってそのまま放置してある気がするし、ひょっとしたらその前はその手のカセットテープなんかも購入しているかもしれない。懲りないヤツである。
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呉楚楚、潘越雲、李麗芬/3人展

2007年12月11日 23時45分30秒 | 台湾のあれこれ
 今回の訪台で購入してきたものの1枚。今では台湾のメジャー・レーベルとなった滾石唱片の第1作であり、おそらく潘越雲のデビュー作となる作品の復刻ということになるらしい。潘越雲が滾石に残した作品は、最近リマスターされ順次復刻されているようだけれど、この作品は潘越雲の単独作品ではないので、ひょっとするとそれとは別の流れで復刻されたのかはよくわからない。ともあれ、この作品では、呉楚楚、潘越雲、そして李麗芬という3人のシンガーがそれぞれ曲を歌い分けている。これが当時潘越雲が所属していたレギュラー・グループだったか、それとも一種のコンピレーションだったのかはよくわからないが、ジャケ写真を見るとステージで3人揃っているところなどもあり、多分後者だったのだろう(それにしてはジャケにグループ名が一切ないのはちと不思議だが)。

 収録された音楽は、まるで時代の彼方から聴こえてるような牧歌的でアコスティックなフォーク・ミュージックである。クレジットでは81年とあるが、日本なら71年といっても通用しそうな私小説的、四畳半的なムードが濃厚で、聴いていてなにやら既視感を誘うような音楽になっている。前述のとおりリード・ヴォーカルは曲毎に呉楚楚、潘越雲、そして李麗芬が歌い分けているが、潘越雲以外は当然のことながら初めて聴く人である。男性シンガーの呉楚楚はちょっと甲高く細身のあるヴォーカルが独特のひなびた風情を感じさせ、李麗芬は澄んだ伸びやかな声質が印象的という具合に、両者の歌はそれなりに個性も趣もあるのだが、やはり潘越雲の歌と比べてしまうといささか弱い。その後の彼女を知っているからかもしれないが、彼女のヴォーカルが登場するだけで、既にこの時代から独特の存在感と風格があたりに漂いはじめてしまうからさすがだ。

 サウンドはほぼアコスティック・フォークをベースにしているものの、うっすらドラムやベースも入るし、ストリングスやフルートなどが絡む曲もあるが、このスカスカな感じはやはり70年代フォークとしかいいようがない。その後、台湾ポップスの王道路線となるメロディックなAOR風なところは、この時点では全くない。潘越雲が名作「情字這條路」を発表するのは88年だから、この作品はそれからたかだか7年前の作品でしかないのだが、ぱっと聴くとまる20年くらいの距離を感じさせる。ひょっとすると80年代の台湾ポップスというのは、むしろここで聴けるようなフォーク風な作品が主流で、そこに「情字這條路」みたいな作品が出てきたから斬新だったということなのかもしれないが。
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BlogOut in 台北 @CityCafe

2007年12月10日 21時38分56秒 | 台湾のあれこれ

 3日目は帰るだけである。8時半出発、途中免税店に寄って成田に着いてみたら17時を過ぎていたという感じで、ほとんど書くことはなにもない。なので。この3日間の落ち穂拾いのようなことを書いておこう。 この三日間、食べたものはほとんど屋台のものばかりである。1日目はそぼろごはん、牡蛎のオムレツ、大きめのイカだの野菜が入った八宝菜風のスープ、腸詰め、牛肉乾、台湾ビール、2日の基隆ではそぼろごはん、細長い湯葉を揚げたようなもの、排骨、頂呱呱(台湾のファーストチェーン、フライドポテトがさつまいもなのだ)のフライドチキン、といったものである。コーヒーショップではドトールコーヒー(日本と全く同じ、そういえば珈琲舘は激減していたな)の他、台北駅の近くにある怡客(イカリ)咖啡というのも入ってみた。この店、日本のチェーンだとばかり思っていたら、どうも台湾資本らしい。モダンな内装で一見高級そうなのだが、値段もそう高い訳ではなくて(メニューはまるで日本風なのだが)、ソファーなどゆったりしていて2日の深夜、歩き疲れをいやすには格好の場所だった。またいってみたい。

 ついでに写真のCityCafeだが、実はこれはセブンイレブンの中にある店?で、最後に寄った免税店の近くにあったものである。レジで注文するとテイクアウト用のレギュラー・コーヒーを入れてくれて、3人くらいしか座れないカウンターみたいなところで飲むというスタイルだった。1000店突破とか偉そうに書いてあるが、セブンイレブンの一角におくだけなら1000店だってそう難しいもんでもないだろう....などと思ったりしたが、どこのコンビニにもあったという訳でもない。ちなみに見えにくいが、看板の下でにっこり笑っている優香と堀北真希を合わせたようなコは、王心凌(シンディー・ワン)で、一日目の写真としてアップロードした台北ウォーカーの表紙を飾っていたのも彼女である。どうも台湾のトップ・アイドルらしく、このツアーでポスターだのTVだので一番見かけた人という気がする。

 という訳で短い台湾ツアーもこれでおしまい。よーやく台湾にいけたので、次回は最低でも3泊4日、拠点もいつもの台北ではなく、今度は基隆とか高雄といったところに移して台湾を楽しんでみたいものだ。 だって、どうせ外国に泊まるならまるで東京のようなところより、下の写真みたいなノスタルジックのとこの方が気分でるでしょ、もっとも下の写真は基隆の駅前にあった多分お役所でホテルではないが。

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BlogOut in 基隆

2007年12月09日 21時37分54秒 | 台湾のあれこれ

 2日は午前中に台北の原宿?西門町の探索からスタート。まだ若者が大挙して繰り出す前の閑散とした西門町をぶらぶらと歩きながら、そのまま台北駅方向に歩き、台北三越の裏にある光南大批發というCDショップへと向かう。この店は私が台湾に赴くと必ず大量にCDを買い込む店なのだが、同じ目的でかつてよく通った士林夜市の烏龍院(昨夜いったら店が廃墟のようになっていたのが悲しかったな)や西門町のタワーレコードが既にない現在、最後の頼りともいえるショップである。7年振りに行く同店だったが、雰囲気はほとんど変わらないものの、かつてずらりと並んでいた日本アーティストの海賊盤(ベスト盤の類)は跡形もなく一掃されていたのは驚いた。映画の海賊CDも同様である。前からそういう話しは聞いていたが、本当に全くない。日本の人気アーティストに一銭もギャランティの入らない海賊盤がところ狭しと並んでいるのにかつて苦々しく思ったかと思えば、全くなければないでちょっと寂しいと思うのだから、人間とは勝手なものである。

  さて、午後は今回の台湾ツアーの個人的には目玉というか、ハイライトと勝手に決めていた基隆へと向かう。基隆は日本的でいったら小田原と横須賀が一緒になったような、比較的大きめの街なのだが、私はかつてここに一度だけ来たことがあり(確か最初に訪台した時だったと思う)、メインストリートにずらりと密集する屋台街の壮観ともいえる風景に圧倒されたことがあったのだが、以来、いつかこの屋台街が本格的に賑わう夜に訪れてみたいと思っていたのだった。それが今回、私のリクエストで実現したという訳だった。 基隆へ台北から電車で4,50分くらいにあるが、近代的でモダンな台北駅に対して、基隆駅はいかにも日本統治時代の古き良き駅舎の雰囲気を残していて(まぁ、台中駅ほどそのまんまという風情ではないのだが)、降り立つだけで懐かしい雰囲気になるし、駅を降りたらすぐに海があって潮の香りがするのも雰囲気がいい。駅を降りたら海があって潮の香りがするなら淡水はもっとロマンチックで観光地っぽい雰囲気もあるが、こちらは横須賀的なハードボイルドさがいいとでもいったらいいか。

 ともあれ、すでに夕刻も近く海沿い歩道を歩いていく、見覚えのあるマックが見えてきた。記憶によればあの巨大な屋台街をその奥なはずだ。これまでのろのろ歩いてきた歩調がいきなり早くなった自分でもわかった(笑)。はたしてそこは昔みたとおりの巨大な屋台街だった。記憶によればもうすこし壮大な屋台街だったようが、きっと年月の流れが記憶をデフォルメしていたのだろう。それにしたって、やはりこれは凄い。とくに提灯がずらりと並ぶメインの飲食店街は私がきた時のままで、ここの名物だったはずの天ぷら(薩摩揚げ)やカレーライスも私の記憶通りの場所にあったのはうれしくなってしまった(ちなみに海賊盤CDはこの屋台街にもなかった....というかCDやDVDショップそのものが昔に比べるとない)。規模でいったら当然士林夜市の方が凄いだろうけれど、個人的にはこちらに方が正統派、というか昔ながら屋台街という気がしてしまう。ここをぶらぶらとど真ん中にある神社の前で夕食をぱくつきながら、今度はぜひここに一泊してこのあたりを思う存分に歩きたいと思ったほどだ。

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