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ドボルザーク 交響曲第9番「新世界」/ライナー&シカゴSO <SACD>

2007年12月31日 18時07分06秒 | クラシック(一般)
 年末聴きたくなる「第9」は、私の場合、ベートーベンのそれではなく、もうここドホルザークの「新世界」の方....ということは、一昨年の調度今頃に書いた記憶があるけれど、この「新世界」の演奏はというと、これまたあの時書いた記憶があるのだが、私にとってはフリッチャイがベルリンを振った1959年のステレオ録音が決定盤で、その他に私が持っているセル、クーベリック、カラヤン、ケルテス、小澤といった指揮者が振った演奏については、どれね「いまひとつ」といったイメージがあったもので、ことこの曲に関しては、指揮者やオケの違いを聴き比べにあまり興味がなかったのだが、たまにはいいかも....ということで購入したのがこれである。

 さて演奏だが、指揮者がハンガリー系のフリッツ・ライナーと手兵シカゴいうことで、ひょっとすると、とりえといったらゴリゴリ感だけ....みたいな絵に描いたようにザッハリッヒなものかと予想していたが、なかなかいい演奏だ。もちろん、ライナーだからして情緒面ではごくごくさっぱりしているし、第1楽章などもドラマチックの中から浮かび上がる望郷の念だという雰囲気はあまりなく、彼らしくてきぱきと進むが、この曲の交響曲的なフォルムを重視すればこういう演奏もありだと思う。耳タコな第2楽章はベタベタせずにさっぱりと清潔に歌っているのが品格を感じさせるし、室内楽的といいたいようなシカゴの締まったアンサンブルもそうした雰囲気を倍加している。第3楽章はシカゴの機動性を満喫させるスポーティーな演奏だ。主部とトリオをあまり極端に対比させず....というか、もう我慢できないといった風情のトリオのパワフルさにシカコらしさを感じさせないでもない。最終楽章についても前楽章に輪をかけた出来である。エネルギッシュに燃え上がるような演奏という訳でもないが、交響曲ラストに置かれたアレグロ楽章として聴くなら、ぐいぐいと進んでいく様がなんとも小気味よい演奏だと思う。また、ラスト近くこれまで登場した主題が走馬燈の如く交錯する場面の、交通整理のうまさもまたライナーである。

 という訳で、このアルバム考えてみたら、私が持っている「新世界」でも、ケルテス、セルに続く3つ目のハンガリー系指揮者のものとなった。ドボルザークはチェコの人だから、ハンガリー出身の人にとっては、近しいものはあっても、決して「おらが音楽」というほどのものではないと思うのだが、他にショルティやドラティなんかも振っているだろうし、ハンガリー人にとってなにか琴線に触れるものでもあるのだろうか?。まぁ、単に超有名作品ということだけなのかもしれないが....。ちなみに収録は1957年、ステレオ最初期の録音となる。解像度とマスの響きがほどよく調和したウェル・バランスの録音といえるが、さすがにレンジ感はそこそこだし、そこはかとないナローな感じがいかにも時代を感じさせなくもない。SACDという器は、元テープが収録されていた時にあった録音の限界すら残酷に描写してしまう....といったところか。
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