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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

鈴木宗男、佐藤優/反省-私たちはなぜ失敗したのか?-

2007年12月14日 23時46分30秒 | Books
 先の訪台の時に読了したもの。外務省のラスプーチンこと佐藤優と疑惑の総合商社といわれた鈴木宗男の対談集である。テーマは文字通り2002年以降世間を大騒ぎさせた外務省疑惑事件である。この事件については、先月読んだ「国家の罠」で佐藤優がその経緯ややりとりについて詳細に描いていて、かなりおもしろかったが、本書はその補遺のようなスタンスになるのだろうか、いや、補遺というにはあまりに豪華である。なにしろ今度は本尊鈴木宗男が登場するのだ。このふたりでこの事件について、順に回想しつつ、時にあの時こうすればよかったと反省するのだが(だからタイトルが「反省」となっている)、さすがにマスコミと世間に悪のレッテルを貼られ巨悪の象徴のように語られたふたりが揃ったせいか、いつものとりすましたようなところがなく、時にかなり熱く実名入りであけすけな批判が連発する。さしずめ「今度はこっちの反転攻勢をかけてやる」ってな勢いである。その熱っぽさがまたおもしろい。

 それにしても、「国家の罠」もそうだったが、仮にここに語られていることが真実だとすると、我々は数年前なんとマスコミに踊らさせていたことか。ご両人ともあまり人相が優しくなかったせいもあるが(笑)、私自身、当時は陰険そうな佐藤の表情と、繰り返しオンエアされた鈴木が自民党の会議室で怒鳴り声を上げる場面を繰り返し刷り込まれたため、このふたりをすっかり悪党だと思ってしまっていたのだ。おそらく世間でもそうだろうし、未だにそう思っている人の方が多いはずだが、結局のところはこれらの本でご両人に悪のイメージはどうやらマスメディアで作られた虚像らしく、それを背後で操っていたのは外務省本体(+α)だったことが浮き彫りにされる。こうなると俄然巨悪に感じるのは外務省ということなってくるのだが、はたしてどうなのだろう。この本を読むと外務省がひとつに明確な意図をもって策謀を巡らしたように感じるのだけれど、なんとなく、そういう明確なものより、自己保身に走った役人たちの集合無意識みたいなものが(戦前の陸軍とかもそうだったように)、ああいう流れを生んだのではないかとも感じのだが。
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蘇慧倫/同名專輯

2007年12月14日 00時07分11秒 | 台湾のあれこれ
 これは先の訪台で入手してきたものではなく、昨年リリース直後に既に購入してあったものだ。彼女は2001年の「戀戀真言」以来、5年ほどシンガーとして活動を停止していたらしく、このアルバムは久々のカムバック作といった趣があったのだが、なんとなく聴きそびれていたところ月日が経ってしまい、先の訪台では本作に続く「左利き」が既にリリースされていて、当然そちらを購入してきたので、そろそろこっちを聴いておこうと思った訳である。それにして、台湾のトップ・アイドル、国民的な人気者として君臨していた彼女はどうして歌手として活動を停止していたのだろう?。レーベルも上華に移籍しているところからして、プロダクションのごたごたがあったのか、元々女優指向の強い彼女のことだからして、アイドル的な活動にうんざりして女優業に専念したのか、異国の地にいるファンにはよくわからないのだが、おそらくその両方なのだろう。

 さてこの5年振りの新作だが、音楽の佇まいが大分かわっている。前作までの数作にあったギター・ロック路線がけっこう後退して、オーソドックスなバラード路線をベースになだらかで拡がりのあるナチュラルな感触になっている感じである。ここ数作にあった楊乃文ばりのギター・ロック・サウンドや、アイドル後期のこまっしゃくれたポップ・センスも悪くなかったが、やはり私には生真面目なスターが無理矢理特定のキャラを演じているような不自然さを感じたのも確かで(発売元の滾石の意向が強かったのかもしれない)、このアルバムで聴けるような、あまり演出臭のないさらりとしたサウンドでまとめた音楽の方が、むしろ蘇慧倫のような人には合っていると思う。ただ、その分台湾ポップらしい抑揚あるメロディックなセンスさだとか、メリハリといったものも後退しているので、全体としては地味な作品になってしまっているのも事実である。このあたりは聴く人の好みということになると思う。

 曲としてはオーソドックスなバラードに回帰したような1曲目の「不想想太多」、ちょっとサロン風なアコスティック・サウンドにのって、心地よいヴォーカルを聴かせる4曲目の「輪廓」が出色の出来だ。6曲目の「找到幸福那年」も「満足」の頃を思い出せるバラードで、なんとなく「おかえり、ターシー」といいたくなるような仕上がりでうれしくなるし、8曲目の「我們」できける宇宙的といいたいような拡がりも、かつての「鴨子」の頃にもどったような趣があって、どことなく懐かしい。ともあれ、5年振りにカムバックした彼女の新作は、本当の意味で着流しの自然な蘇慧倫が出た作品になったと思う。前述の通り彼女は既にこれに続く「左利き」という作品を出している訳だけれど、そこでもこれに準じた内容になっているのだろうか?。まぁ、それはともかく、しばらくはこの作品を聴き倒すしかあるまい。
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