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シェーンベルク 「浄夜」 (まとめ)

2007年04月26日 23時59分01秒 | マーラー+新ウィーン
 数えてみたら「浄夜」も16枚レビュウしてました。私は新ウィーンの新譜なら再発なりで自分で持ってないものを見かけると、かなりの確率で購入してしまうのですが、この曲の場合、交響曲のフィルアップとか、組み合わせのソースとして選曲されることも多いためか、けっこうな種類があったというところでしょうか。まぁ、10種以上はあるとは思ってはいたものの、まさかこんなにあったとは....。この曲、同じ弦楽合奏ということで、よく引き合いに出すチャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」などより、現在ではよほど人気曲なのかもれませんね。

 さて、今回まとめて聴いた印象としては、70年までの演奏は弦楽六重奏版でも弦楽合奏版でもそうですが、とにかく狂おしいまでに激しさと、忘我の境地で陶酔する甘美な部分の落差がやたらと大きくとった典型的な表現主義芸術というか、たたずまいをもっているの特徴といえるでしょう。具体的にいえば、ブーレーズの弦楽合奏版では激しさが、カラヤンでは陶酔的な甘美さが、アサートンは音響的なエキセントリックさが全面に出されていましたし、弦楽六重奏版ではラサールがやや突き放したような冷徹なバランス、また、ブーレーズの弦楽六重奏版では弦楽合奏の時とは逆にロマン派的な陶酔感が全面に出していたといえますが、いずれにせよ、どれも緊張感の高い、息詰まるような雰囲気の中で演奏が進んでいくものでした。

 ところが、80年代降の演奏では演奏がかなり様変わりして、この曲の伸びやかな美しさのようなものを全面に出し、不協和音や耳障りな音響が使われる部分は解決済みの問題として、さらりと流すというスタイルになっているようです。あえていえば「リラックスした演奏」に聴こえる演奏がにわかに増えていたように感じですかね。その代表格はこの曲の明るい色彩感と甘美な旋律を全面に出したシャイーの弦楽合奏版とシェーンベルクSQの演奏ということになるんでしょう。更にいえば、こうした傾向は90年代になるといっそう加速しているようで、サロネンだとか湯浅の振った演奏となると、もうムーディーといいたくなるような、耳障りの良い「当たり前に美しい音楽」になっていくように聴こえました。

 ちなみに80年代以降の演奏でも、オルフェウスCOはかなり緊張感の高い演奏でしたけど、独特なリズムのキレから来る「軽さ」のようなものは、やはり今時を感じさせました。また、私の聴いた演奏で一番古いものだったストコフスキーはややハリウッド映画のサントラみたいなムードがやや古くさい感じがしたのが難点だったですかね。
 という訳でいろいろ聴いてきて、特に印象に残ったのはラサールのパーフェクトさ、シャイーのみずみずしさ、サロネンの流麗さといったところですか、前まで完璧だと思っていた演奏だと思っていたカラヤンの演奏が少々古くさいと感じたのは、やはりその後のリラックスしたスタイルが一般化して、そういう演奏を沢山聴いてしまったせいかもしれませんね。

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