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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
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シェーンベルク 浄夜(弦楽六重奏版)/ブーレーズ&アンサンブル・アンタルコンタンポラン

2007年04月07日 22時24分32秒 | マーラー+新ウィーン
 シェーンベルクの「浄夜」は大好きな曲だ。シェーンベルクといっても、無調や十二音の技法を使った小難しい音楽ではない。19世紀のどん詰まりに25歳のシェーンベルクが、当時どっぷりと浸かっていたでろう、爛熟した後期ロマン派の雰囲気をそのまま表現したかのようなロマンティックこの上ない作品である。曲は「冬の夜、月の光の下1組の男女が森を歩いている。女は他の男のは子供を宿したことを告白するが、男はそれを許し、自分の子供として育てることを誓い、2人の愛は浄化される....。」という、いかにも世紀末な情景を描いたリヒャルト・デーメルの同名の詩を下敷きとしているが、音楽もそのストーリーに忠実に再現したものなっている。なお、オリジナルは弦楽六重奏だが、後に作曲者自身によって弦楽合奏用アレンジされたものもあり、どちらも頻繁に演奏されるが、音楽そのものの流れはほとんど同一である。

 さて、この「浄夜」だが、全体は切れ目なく演奏される単一の緩徐楽章のような曲であるが、曲の性格上からいっても特定の形式にはなっていないようである。ただし、大まかには5つ部分の構成されているようで(あんまり重要視することがないことは分かってはいるのだが....)、CDなどでもそのようにトラックやインデックスが分けられていることが多い。私はこの曲をこれまでかなり愛好していながら、この曲が前述のブログラムとおおよそどう対応しているかはもちろん、5つのパートの区切りすら判然としなくて、長年の宿題のようにとなっていたのだけれど、いい機会だから、今回はじっくりと聴いて、そのあたりを解決....とまではいかなくても、ある程度見通しをつけてみたいと思う。

Pt.1 非常にゆっくりと (6分半)
 やや鬱蒼として重々しい冒頭は、月夜を下を歩く二人の情景を現しているようだ。この後、ややせっぱ詰まったような感情の高まりを見せる部分が続く、余所の男の子を身ごもってしまった女が、そのことを一緒に歩く男に告白すべきなかどうか葛藤している様子なのかもしれない。そのピークで女は男に告白するというか。
Pt.2 幅広く (5分半)
 音楽はウィーン風な優美で女性的な旋律に変わる。ということで、当然ここは女の告白を現しているのだろう。この女性は自分の不幸な生い立ちから、見知らぬ男に身を任せ、身ごもったあげくに、愛する男に出会い、人生の報いを受けたと告白する訳だ。途中スケルツォ風をデフォルメしたような部分が現れるが、これなど流転したらしい過去を語っているのだろう。
Pt.3 重々しく強調して(約2分)
 チェロによる重々しく叩きつけるような響きは、告白を受けた男の衝撃を物語っているのだろうか。その後、冒頭の月夜を下を歩く二人の情景が再現されると、今度は男が語り出す。
Pt.4 非常に幅広く、そしてゆっくりと (9分半)
 重々しいムードが替わり、ちょっとブラームスを思わせる壮麗な旋律が登場するが、この部分の暗から明への転換はなかなか感動的で、この曲のハイライトといえる。男は彼女の全てを許し、その子供は祝福されているのだと語るのだ。
Pt.5 非常に静かに(約4分)
 三度、月夜を下を歩く二人の情景が再現されるが、冒頭の重々しさとはうってかわって、全てが浄化されたような雰囲気をもっている。オーラスはキラキラするようなイメージの中ワーグナー風に終わる。

 という訳で、今までは何を意味するのかさっぱり分からなかったこの曲のプログラムだけれど、こうやって詩のあらすじと照らし合わせながら聴くと、なんで今まで分からなかったのだろうかというくらいに一目瞭然であった。また、この曲って「情景-女の告白-情景-男の答え-情景」という詩と同じ構成になっているから、こじつければロンドとかソナタみたいに解釈できないこともない音楽ということも発見であった。ともあれ、この曲を聴いて早四半世紀、ようやく宿題が終わったという気分である。
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ハイドン 交響曲第19番「啄木鳥」/フィッシャー&AHハイドンPO

2007年04月07日 11時51分42秒 | ハイドン
 全3楽章、演奏時間も10分ちょいくらいのとてもコンパクトな作品です。第1楽章は他の作品でも度々でてくる「天高く馬こゆる秋」みたいなムードで、さえぎるものは何もない空みたいな雰囲気があります。ほんの少し温度感は低いけれど、とてもさわやかな風情がそう感じさせるのでしょう。また、途中、度々登場する16分音符で弦がせわしく動き回るトロモロ風な部分は、この楽章の良いアクセントになって躍動感を高めています。第2楽章はニ短調のアンダンテですが、静謐でしずしずと進む典型的な緩徐楽章といえますが、シンコペは多用されますし、ややあちこちに寄り道するようなリズムがあるのは、両端楽章の躍動感、リズミカルさにはさまれた唯一の遅い楽章というポジションを考慮した結果なのかもしれませんね。

 第3楽章では再び第1楽章の雰囲気に戻りリズミカルな音楽となります。ここでも弦がせわしく動き回るトロモロ風な部分が頻出して躍動感を高めていますが、全体としての盛り上がりは第1楽章に比べると今一歩という感じで、第2楽章の雰囲気も流れ込んでいるようなところもありますが、何しろ3分の楽章ですので、あれこれ考えているうちにあっという間に終わってしまいます。
 さて、ニックネームですが、両端楽章に登場するトロモロ風な弦の動きにちなんで、啄木鳥(きつつき)と名付けました。まぁ、こんな音型はハイドンに限らず同時期の交響曲には沢山でてくるんでしょうけど、この曲の場合、何故かその部分がとても印象的に響いたのもので、あれこれ考えずに即決定と相成りました
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