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シェーンベルク 浄夜(弦楽六重奏版)/アサートン&ロンドン・シンフォニエッタ

2007年04月08日 20時11分36秒 | マーラー+新ウィーン
 デビッド・アサートンとロンドン・シンフォニエッタによる弦楽六重奏版による演奏。この曲のプログラムにはあまりこだわらず、堅実で折り目正しく、とにもかくにも譜面を忠実に音として具体化することを主眼とした、ある意味即物的な演奏だと思う。確かアサートンという指揮者は、自らロンドン・シンフォニエッタを組織して、近~現代の音楽の専門家としてデッカであれこれ録音してようだから、当然学者タイプの指揮者だったはずで、こういうザッハリッヒな演奏になるのはある意味必然なのかもしれない。そういえば、あんなに重厚ではないが、ロバート・クラフトが振ったシェーンベルクとけっこう近い感触も感じる。これに比べれば、昨日聴いたブーレーズの演奏は、実は非常にロマンティックな起伏に富んでいた思うくらいだ。

 第1部は非常にゆっくりと始まり、女の葛藤を表したとおぼしき表現主義的な激しい部分も重厚かつシンフォニックに表現しているという感じで、ことドラマチックさという意味では昨日聴いたブーレーズ比べ今一歩という感がする。逆に優美で女性的な旋律に始まるウィーン風な第2部にそういう部分はさらりと流し、むしろ主題の展開的なところを入念に表現して、前パートとの対比というよりは連続性を重視している印象だ。つかの間主題が回帰する第3部もまるで前パートのコーダのように始まる。
 暗から明へ転ずる第4部では、ドラマチックな壮麗さはやはり今一歩で、ブーレーズのようなカタストロフィがない。入念に書き込まれた錯綜する旋律の綾みたいなところはよく表現されているのだが、なんとなくブラームスの室内楽を聴いているような、ある種の堅苦しさや律儀さといったものを感じでしまうのだ。なので、ハッピーエンドなハズの第5部でも、そうした雰囲気の表現は控えめである。

 全体としては、昨日聴いたブーレーズの演奏に比べ、この曲のブラームス的な精妙さのようなものは十分に感得できるのだが、世紀末的な情緒だとかワーグナー風の浄化のカタストロフィーみたいな点では、いささか平板でメリハリ不足を感じてしまった。実はブーレーズの演奏はこれまでのイメージだと、しつこい、もたれる演奏というイメージがあって、あまり積極的に手が伸びなかったのだが、こうやって聴き比べてみると非常に優秀な演奏だったことを実感した。さて、明日はこの曲の演奏としては定評のあるラサールの演奏を聴いてみたい。
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