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シェーンベルク 浄夜(ピアノトリオ版)/トリオ・コン・ブリオ

2007年04月24日 22時00分50秒 | マーラー+新ウィーン
 自宅にある「浄夜」の演奏も先日の湯浅とアルスターのものが最後かと思っていたら、肝心なのを忘れてました。なにしろこれを買ったもんで、どうせならいろいろ聴き返してみようということで、このところ連続して「浄夜」聴いていた訳ですが、「浄夜」を探してCDラックのあちこちをひっくれそのうち、当初の目的を忘れてしまったというところです。さてこの演奏はエドゥアルト・シュトイエルマンという人が編曲したピアノ三重奏による「浄夜」です。シュトイエルマンという人はピアニストで、かつシェーンべルクの同世代、そしてある程度その進歩的な音楽観も共有していたようなので、この編曲もベルクやウェーベルンが編曲したも作品の次くらいには「正統派」としての価値があるんじゃないでしょうか。

 さて、肝心の内容ですが、基本的には「浄夜」の世界を3人で忠実に再現してはいます。特に致命的な欠落感を覚えることもないし、妙な違和感もありません。非常に精巧に出来た「浄夜」のミニチュアワークといったところでしょう。ただし、この曲は「いくつかの線が複雑に絡む音楽」という側面が確実にありますから、いくらピアノは2本の手で弾くとはいえ、本来6人でやるべき音楽を3人でやった寂しさはぬぐえません。特に心の葛藤を描いたような動的な部分だと、主たる旋律はオリジナルと同じように弦が歌っているのに、バイオレンとチェロの間隙を埋めるピアノがリリースの短い減衰系の音であることも手伝ってか、あまりにこじんまりとまとまってしまった感がつきまといます。結果として、この曲のどろどろした情念だとか、後半の魂が浄化されるような壮麗さだという点になると、多少食い足りなくなるという訳で....。

 そんな訳で、オリジナルが世紀末な主人公たちのドラマを生々しく再現したのだとすれば、こちらの編曲版その主人公たちを遠くで眺めているみたいな(笑)、割とサロン・ミュージック的な気分でさらりと描いたところでしょうか。その意味ではこちらも割と軽い気分で楽しむべきかもしれませんね。あっ、そうだ、こういう例えははどうでしょうか。弦楽合奏版がカラー映画で、弦楽六重奏版はモノクロ映画だとすると、このピアノ三重奏は同じストーリーを描いたオシャレな写真集みたいな感じ。だめ?。
 あっ、そうそう、余談ですが、ピアニストのアルフレッド・ブレンデルは、これはを編曲したシュトイエルマンの弟子だそうな。

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