(童話)万華響の日々

いつもご訪問ありがとうございます、ブログ開始から大分心境も変わってきました

5年たって少しも変わらないメルトダウン燃料の動きは不気味だ

2016-03-07 21:03:00 | 千年大災害と脱原発・核廃絶推進の闘い

驚くべきずさんな東電社内管理の実態が明らかになった、しかも最も重要なメルトダウンという判定基準が3.11から5年も気づかなかったという事実、炉心損傷という表現でその場をごまかしたといわれても言い逃れできないずさんさだ、

 真実を公表せずだいぶ経ってから後出しするやり方はここでも行われたのかと思いたくなる

先日TBSテレビで炉心溶融の実態を示すシュミレーションをみたが、炉心底部にある計測用のパイプから2500度の溶融燃料が格納器に流れ落ちたというものだ、いまだに注水して炉心を冷却している、その汚染水の量も並大抵のものではない、

1,2,3号機はいずれもメルトダウンしており廃炉しかないのだが、その廃炉とする工程は本当に可能なのだろうかと改めて首をかしげたくなる、

 3/4の朝日新聞で福島県民のアンケート(回答1015人)     調査結果が出ていた、放射性物質への不安を感ずる人
は68%であり、廃炉作業が不安だという人は85%に上る、もの凄い高濃度放射能の中で核燃料デブリをどうやって取り出せるのか全く不明だ、その処分方法も全く不明だ、

 それにいまも燃料デブリが注水で冷やされているとはいえいつ水不足または注水不能状態になって放射能が大気中や水中に飛び出すか分かったものではないとそら恐ろしくなった、

 そういう意味で福島原発は「アンダーコントロール」などと到底言えたものではない、それどころか危険はあいかわらず薄皮一枚で覆われた破裂寸前の状態といっていいのではないか、3.11から5年たつがとんでもない危機に直面していると思ったほうがいい

引用記事  
2/25朝日新聞 {東電「基準、5年気づかず」 炉心溶融、事故3日後に判定可能

東京電力は24日、福島第一原発事故当時の社内マニュアルに、核燃料が溶け落ちる炉心溶融メルトダウン)を判定する基準が明記されていたが、その存在に5年間気付かなかったと発表し、謝罪した。東電は事故から2カ月後の2011年5月まで炉心溶融を公表しなかったが、基準に従えば3日後の3月14日には1、3号機について判定できていたという。

 事故では1~3号機で炉心が溶融して大量の放射性物質が漏れた。当時の社内テレビ会議のやりとりなどから、東電幹部らが当初から炉心溶融の可能性を認識していたことが分かっているが、東電は5月に炉心溶融を正式に認めるまで、会見などでは「炉心溶融」を使わず、核燃料が傷つく状態を意味する「炉心損傷」と説明していた。

 東電によると、判定基準は、10年4月改訂の「原子力災害対策マニュアル」に「炉心損傷の割合が5%を超えていれば炉心溶融と判定する」と明記されていた。東電は炉心溶融の公表遅れの理由として「判断する根拠がなかった」と説明してきた。柏崎刈羽原発を抱え、原発事故の検証を続ける新潟県の技術委員会の求めで当時の経緯を調べ直すなかで、今月になって基準の記載に社員が気付いたという。

 東電は事故発生から3日後の3月14日午前、格納容器内で測定された放射線量から3号機の炉心損傷割合を30%、1号機も55%と確認。2号機も15日夕に35%と分かった。いずれも5%を超えており、炉心溶融と判定・公表ができたとしている。当時は、この基準があることに気付いていなかったという。

 東電の担当者は「気付くのに5年間かかったことは誠に申し訳ない」と謝罪。今後は、炉心溶融の判定や公表ができなかった経緯や原因を調べるという。(西川迅)}(太字・下線はブログ筆者)

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿