UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

オウム大量処刑は究極の国家権力の行使・・・

2018-07-28 01:11:45 | 日記
一昨日、7月26日の午後、GGIはやんごとなき用事を済ませて新幹線で帰途についておりました。

朝食をろくに食べていませんでしたので、午後2時を過ぎていたでせうか、車内で買ったいろどりの良い若干オシャレではあるものの結構なお値段のお弁当を食しておりましたら、隣の席にいた人物がポツンを申しました

「オウム関係者6人に対して死刑を執行・・・」
「えっ!なんですか?ほんとですか・・・」
「いま電光掲示板のニュースで流れていました」

その後、GGIも懸命に電光掲示板を見ていたのですが、このニュースを目にすることはできません・・・ほんとかよお・・・半信半疑でありました。午後3時少し前、新幹線を降りてから駅の売店で新聞を買おうと夕刊を探していましたら、店員さんが毎日新聞の夕刊を10部ほどもってきて店頭に並べはじめました。GGIはいそいで手に取りました。大きな見出しでした。

《オウム13死刑囚 全執行/けさ 林死刑囚ら6人/教団無差別テロ 区切り》

前回の大量処刑は7月6日でしたから、わずか20日のあいだに計13人もに対する死刑執行、これまでに類を見ない大量処刑・・・こんなことがあっていいのか・・・言葉がありません

在来線に乗り換え最寄りの駅に到着して駅に降り立ったときには暑さと大量処刑のニュースで気分は最悪、歩いて帰る元気はなく、タクシーで帰宅しました。もう4時半を過ぎていたでせうか、すぐに首相と法相宛ての抗議文の作成にとりかかりました。今日中に安倍クンと上川法相に送付し、マスコミ各社に知らせるためです。

なんともショックであり、死刑に反対する市民としては最悪の事態なのですが、適切な言葉ががなかなかオツムに浮かびませぬ。ネットのニュースや夕刊などから材料をかき集めて、何回も何回も書き直し、何とか仕上げたのが午後8時過ぎ、まずアベ君や上川法相にファックスで送り、次いでマスコミ十社ばかりに送り終えたら午後9時を回っておりました。

そのあと、あまり急なことでありましたので、知人らに事後承認を得るために電話などなど、次いで遅い夕食、ようやく冷たいビール・・・暑すぎる長い一日でありました・・・

死刑に賛成であっても反対であっても、わずか二十日のあいだに13人に対する死刑執行、文字通りの大量処刑に何とも表現のしようがない重苦しいものを誰もが感じるのではないでせうか・・・

昨日の毎日新聞朝刊に、究極の確固権力の行使、という表現がなされていました。

たしかにそうでありませう・・・「国家権力」なるものは抽象的な存在のように思われ、その具体的イメージはふだんは必ずしもはっきりいたしません。機動隊などが何かに反対する市民を抑えつけようとする姿などを目にしますと、これが「国家権力」の行使なのかなどと感じたりはしますが、そのような場合でも、このたびの大量処刑から受ける異様な感じ、むき出しの「国家権力」という感じとは異なるものです。やはり、理由はともあれ、国家の名において白昼堂々と密室でいっときに何人もの人間の命を奪う行為、誰であろうと、神さまであろうと阻止することができない行為、これを「究極の国家権力の行使」とした毎日新聞の表現は正鵠を得たものと言えませう。

このたびの計13人のオウム関係者の大量処刑がどの程度異様なものであるか、それは日本の近現代史を少しばかり振り返ってみると理解されるのではないかと思います。

日本の近現代史において、大量処刑が行われた有名な例はこれまでにいくつか存在しています。たとえば完全なデッチアゲ事件であった「大逆事件」(幸徳秋水事件、1911年)、戦前最大のクーデター未遂事件であった二・二六事件(1936年2月)それに極東軍事裁判でのA級戦犯の処刑などが、過去の大量処刑の代表的な例であると言ってよいと思うのですが、これらの歴史的な大事件で実際に処刑された人は何人ぐらいであったと、あなたは思われますか?

その数字は以下のとおりです

天皇らの殺害を企てとされた「大逆事件」(幸徳事件)では、死刑判決を受けた者は24名ですが、実際に処刑(絞首刑)されたのは12名であるとされています(他は特赦で無期刑に減刑、あるいは仮釈放)。

約1500人の陸軍青年将校らが決起、天皇が激怒して鎮圧を命じたとたとされる二・二六事件で処刑(軍法会議、銃殺)されたのは首謀者された将校・民間人ら17人とされています。

極東軍事裁判(二次大戦の連合国によるポッダム宣言に基づいた裁判)においてA級戦犯(平和に対する罪)として死刑を宣告され処刑(絞首刑)されたのは7人(軍人が6人、民間人が1人)とされています。

この3つの事件のうち歴史的ともいえる大逆事件と二・二六事件はいわゆる国事犯や内乱罪とされる、国家から最も危険視される犯罪です(そのため最高刑は死刑とされています)。また戦犯の場合も、最も重い犯罪の範疇に属するものです。これらの過去最大といってもよい大量処刑の人数は、それぞれ12名、17名、7名です。

これらの数字とくらべますと、オウム関係者の13人の処刑はこれらの事件における大量処刑のレベルと同じものであることがわかります処刑者の数だけから判断しますと、オウム事件は果たして大逆事件や二・二六事件、二次大戦の戦犯処刑などの誰もが知っている歴史的な大事件に匹敵するような大事件ということになります。しかし、果たしてオウム事件はこれらの歴史的大事件に匹敵する事件であったのでしょうか・・・

オウム事件は無差別テロとはされているものの、国事犯や内乱罪に該当するような国の根幹にかかわる犯罪ではありません。もちろん戦犯の範疇に属する事件でもありません。また、大逆事件の場合も二・二六事件の場合も、戦前の天皇制国家の下で治安機関や軍が大きな力を持っていた時代の、むき出しの国家権力による公正にはほど遠い裁判の結果に基づく大量処刑ですが、一方、オウム関係者の大量処刑は戦後の民主主義社会における裁判の結果がもたらしたものです。

これらのことを考えますと、戦後の民主主義社会とされる社会のもとでの、オウム関係者13人もの大量処刑がいかに突出した異常で異様なものであるかが理解されるではないかと思います。

以上に記しました理由から、このたびの大量処刑は、まるで戦前の社会に戻ったかのような「究極の国家権力の行使」ともいうべきものであり、国民の生殺与奪の権利はわれわれが手にしているのだという、強い「国家の意思」を感じざるを得ない、というのがGGIの考えです。国家というものの恐ろしさを心底から感じさせる大量処刑です。

これは日本の現代史に大きな汚点を残す大量処刑です。安倍内閣の下での、モリ・カケ問題をはじめとした一連の不祥事などとはくらべものにならないくらい大きな汚点です。この大量処刑は安倍内閣の独裁的ともいえる強権的な政治姿勢の帰結でありませう。この汚点は平成の世が終わっても、新天皇が即位しても、栄えある東京オリンピックが開かれても、カジノが繁盛しても、消えることは決してないでありませう。国際社会もこの汚点に目をつぶることはないでありませう。

昨日の午後、某知人から電話がありました

「抗議文のこと、某地方紙の朝刊社会面に小さく小さく出ていました」

大きさなんかどうでもいいのです。小さくてもいいのです。ダメなメディアが多いなか、報じてくれること、そのことだけで意味があるのです。某地方紙に感謝であります

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・・

今日の写真は本文と関係ありませぬ。新幹線で食べてお弁当を撮ったものです。クリックしてご覧になるほどのものではありませぬが、食いしん坊の方はご覧になってくださいませ

グッドナイト・グッドラック!