UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

終戦の詔書:他国の主権を排し領土を侵すがごときは、もとより朕が志にあらず・・・

2021-08-16 00:58:18 | 日記
昨日は8月15日、76回目の終戦記念でした。近くのお寺が正午に鐘を鳴らしているのを耳にして気づきました。

そこで、終戦時に御年4歳であったGGI、もう老い先長くはありませんので、殊勝なことに、天皇による敗北宣言、いわゆる玉音放送で知られる終戦の詔書をもう一度読んでみることにしました。「飛ばし読み」なんかせずに、全文に目を通すことを決意しました・・・

かようなしだいで以下に昭和天皇による終戦の詔書の内容を紹介いたします。終戦の詔書については以前に一度この日記で紹介したと思うのですが、今日は現代語訳が付された、西日本新聞の2014年8月15日の記事からの引用です。

原文は修辞に修辞の限りを尽くした空疎な言葉を積み重ねた悪文ともいえる一文でありますので、内容がよく理解できず、玉音放送を聞いても勝ったのか敗けたのか分からなかった人も少なくなく、逆に国民のさらなる戦意を鼓舞する演説だと勘違いした人もいたとのことです。玉音放送を聞いて泣いている大人がいるのを目にして日本は敗けたのだと分って愕然とした軍国少年もいました。GGIは終戦時、岐阜県の大垣あたりにいて米軍の空爆下で逃げ惑っていたことになっているのですが、まったく記憶なし・・・

西日本新聞の記事では現代語訳が付されています。現代語訳は郷学研修所・安岡正篤記念館(埼玉県)の助言を受けて作成したとされています。

<玉音放送の全文>(終戦の詔書)

 朕(ちん)、深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置をもって時局を収拾せんと欲し、ここに忠良なるなんじ臣民に告ぐ。
 朕は帝国政府をして米英支蘇(べいえいしそ)四国(しこく)に対し、その共同宣言を受諾する旨(むね)通告せしめたり。
 そもそも帝国臣民の康寧(こうねい)を図り、万邦共栄の楽(たのしみ)をともにするは、皇祖皇宗(こうそこうそう)の遺範(いはん)にして朕の拳々(けんけん)おかざるところ。さきに米英二国に宣戦せるゆえんもまた、実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾(しょき)するに出で、他国の主権を排し領土を侵すがごときは、もとより朕が志にあらず。
 しかるに交戦すでに四歳(しさい)を閲(けみ)し、朕が陸海将兵の勇戦、朕が百僚有司の励精、朕が一億衆庶の奉公、おのおの最善を尽くせるにかかわらず、戦局必ずしも好転せず、世界の大勢また我に利あらず。しかのみならず敵は新たに残虐なる爆弾を使用してしきりに無辜(むこ)を殺傷し、惨害の及ぶところ真(しん)にはかるべからざるに至る。しかもなお交戦を継続せんか、ついにわが民族の滅亡を招来するのみならず、ひいて人類の文明をも破却(はきゃく)すべし。
 かくのごとくは朕、何をもってか億兆の赤子を保(ほ)し、皇祖皇宗の神霊に謝せんや。これ朕が帝国政府をして共同宣言に応じせしむるに至れるゆえんなり。
 朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し遺憾の意を表せざるを得ず。
 帝国臣民にして戦陣に死し、職域に殉じ、非命にたおれたる者および、その遺族に思いを致せば、五内(ごだい)ために裂く。かつ戦傷を負ひ、災禍をこうむり、家業を失いたる者の厚生に至りては朕の深く軫念(しんねん)するところなり。
 おもうに今後、帝国の受くべき苦難はもとより尋常にあらず。なんじ臣民の衷情(ちゅうじょう)も朕よくこれを知る。しかれども朕は時運のおもむくところ、堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、もって万世のために太平を開かんと欲す。
 朕はここに国体を護持し得て、忠良なるなんじ臣民の赤誠(せきせい)に信倚(しんい)し、常になんじ臣民と共にあり。
 もしそれ、情の激するところみだりに事端をしげくし、あるいは同胞排擠(はいせい)、互いに時局をみだり、ために大道を誤り、信義を世界に失ふがごときは朕最もこれを戒む。
 よろしく挙国一家、子孫相(あい)伝え、かたく神州(しんしゅう)の不滅を信じ、任重くして道遠きをおもい、総力を将来の建設に傾け、道義を篤くし、志操(しそう)をかたくし、誓って国体の精華を発揚し、世界の進運に後れざらんことを期すべし。
 なんじ臣民それよく朕が意を体(たい)せよ。

 いかがでしたか。どこまでお分かりになりましたか?ふりがなが付されてなかったら、もうチンプンカンプン・・・でもですね。意味は分らなくても、この詔書を声に出して重々しくゆっくと読み上げているうちに、不思議なことに、だんだん自分はとっても偉いんだと、気分が高揚してきますよ!ほんとうです、どうか一度試してみてください!

では次に西日本新聞による現代語訳を紹介いたします

<現代語訳>
 私は深く世界の大勢と日本の現状に鑑み、非常の措置をもって時局を収拾しようと思い、忠義で善良なあなた方臣民に告げる。
 私は帝国政府に米国、英国、中国、ソ連の4カ国に対しその(ポツダム)宣言を受諾することを通告させた。
 そもそも帝国臣民の安全を確保し世界の国々と共に栄え、喜びを共にすることは、天皇家の祖先から残された規範であり、私も深く心にとめ、そう努めてきた。
 先に、米・英2カ国に宣戦を布告した理由もまた、帝国の自存と東亜の安定を願ってのものであって、他国の主権を侵害したり、領土を侵犯したりするようなことは、もちろん私の心志(意志)ではない。
 しかしながら、戦闘状態はすでに4年を経て、わが陸海将兵の勇敢な戦闘や、官僚・公務員たちの励精、一億民衆の奉公は、それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転せず、世界の情勢もわれわれにとって不利に働いている。
 それだけでなく、敵は新たに残虐な爆弾(原子爆弾)を使用して、罪のない人々を殺傷し、その被害ははかり知れない。それでもなお交戦を継続すれば、ついにわが民族の滅亡を招くだけでなく、それから引き続いて人類文明をも破壊することになってしまうだろう。
 そのような事態になったとしたら、私はどうしてわが子ともいえる多くの国民を守り、皇祖皇宗の神霊に謝罪することができようか。これが私が政府に宣言に応じるようにさせた理由である。
 私は帝国とともに終始、東亜の解放に協力してきた友好国に対して、遺憾の意を表さざるを得ない。
 帝国臣民であり、戦場で没し、職場で殉職し、悲惨な最期を遂げた者、またその遺族のことを考えると内臓が引き裂かれる思いがする。さらに戦場で負傷し、戦禍に遭い、家や仕事を失った者の厚生については、私が深く心配するところである。
 思うに、今後、帝国の受けるであろう苦難は尋常ではない。あなたたち臣民の本心も私はよく知っている。しかし、私はこれからの運命について堪え難いことを堪え、忍び難いことを忍んで将来の万世のために太平の世を切り開こうと願っている。
 私は、ここにこうして国体(天皇を中心とする秩序)を護持して、忠良なあなた方臣民の偽りのない心を信じ、常にあなた方臣民と共にある。もし激情にかられてむやみに事をこじらせ、あるいは同胞同士が排斥し合って国家を混乱に陥らせて国家の方針を誤って世界から信用を失うようなことを私はもっとも戒めたい。
 国を挙げて一つの家族のように、子孫ともどもかたく神国日本の不滅を信じ、道は遠く責任は重大であることを自覚し、総力を将来の建設のために傾け、道義心と志操(守って変えない志)をかたく持ち、日本の栄光を再び輝かせるよう、世界の動きに遅れないように期すべきだ。あなた方臣民は私のそのような意を体してほしい。
=2014/08/15付 西日本新聞朝刊=

 この現代語訳、正確であり分りやすいのはグッドです。しかしながら、原文にある天皇の尊大な口ぶりがあまり再現されてないように感じられ、GGIとしましては少々もの足りませぬ。また、「臣民」と言う言葉が現代語に訳されていないのはいかがなものであろうか、と愚考いたします。これは「天皇の家来であるところの民」といった意味ですが、おそらく明治維新のころの「造語」です。ですから、正確には「わが家来であるところの民よ」とでも訳すべきでありませう・・・・

 終戦の詔書の文面において一番問題があるのではないかとGGIが思うのは、「先に米英二国に宣戦せるゆえんもまた、実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾(しょき)するに出で、他国の主権を排し領土を侵すがごときは、もとより朕が志にあらず」(先に、米・英2カ国に宣戦を布告した理由もまた、帝国の自存と東亜の安定を願ってのものであって、他国の主権を侵害したり、領土を侵犯したりするようなことは、もちろん私の心志(意志)ではない)という部分です。

これはイケマセンね。大変イケマセン、これではまったくの責任逃れではないか・・・これでは戦争を仕掛けたことに対する国家の最高責任者としての反省の念は皆無ではないか・・・「もとより朕が志にあらず」と言い訳するとは、まことに往生際がよろしくありませぬ。この期に及んでも、よくぞこのようなことを言ったものだ、君主としてまことにみっともないではないかと慨嘆せざるを得ません。

 しかしながら、「朕は時運のおもむくところ、堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、もって万世のために太平を開かんと欲す」という、この一つのフレーズにより、昭和天皇は戦後に備えて、平和を志向する天皇へと一挙にイメージチェンジすることに見事に成功した、ともされております

みなさんの感想はいかがでしょうか。この終戦の詔書と2014年12月9日の日記に掲載しました「開戦の詔書」とあわせてお読みなると、勉強になり過ぎるぐらい勉強になりますよ・・・

まったくの余談になりますが、終戦後、悪ガキたちは天皇の口真似をして、「朕思わず屁をこいた、汝臣民臭かろう、国家のためじゃ我慢せえ」などとふざけて言ったものでありました。今は昔の話でございます。戦前であれば不敬罪ものでありませう・・・・

今日の写真は76年目の終戦記念日の、まことに平和なる湖岸の風景を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ。

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!
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2 コメント

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マッカーサーの答弁 (ポン)
2021-08-22 14:27:13
ヨッサリアンが言われる戦争責任は当然あります。

外交や情報におぼこいというか稚拙というかの日本が米国のハルノート(ハルノートを準備したのはハルの部下のロシヤのスパイであったという話がありますね)や禁輸の挑発にやすやすと乗って、無謀な客観的に勝算無しで国民を死地に追いやる戦争を始めた責任は当然あります。

ところでヨッサリアン以下のマッカーサーの答弁知ってハリマすか??

マッカーサーの米国上院議会外交軍事委員会に召喚され
諮問された時の答弁抜粋、
 「 日本は人口8000万人の優秀で優良の労働力が有する小さな島国で 空と陸から日本を封じ込めた米国の戦略に日本が1000万人の失業者が出ると恐れたための、自衛のための安全保障上の戦いであった。」

マッカーサーの証言について愚考 (ヨッサリアン)
2021-08-29 21:48:49
ポンさま、コメントをいただきありがとうございます

私どもはマッカーサーの米国議会における証言なるものについてはまったく存じ上げません。また、この証言はいったいいつのことなのか、委員会はどのようなことを目的としたものなのか、何を質問されたのか、彼がなぜ召還されたのか、どのような資格・立場で証言を行ったのか、そのときの米国の政治情勢はどのようなものであったかなどなど、貴殿の一文には背景情報がまったく欠けておりますので、マッカーサーの発言がどのような価値・意義を有しているのか、いないのか、歴史的に何らかの意味を有するものであるのか(否か)については、推測に基づく以外には何も申し上げようがありません。

しかしながら、上記のように基本的な背景情報が欠けるものであっても彼の証言内容が妥当性を有しているか否かという点について私どもの考えを若干述べることはできます。

まず、一番気になることは彼の証言内容は歴史上のある出来事の真相・意味を考えるにあたっての重要な歴史学上の方法論に欠けていることです。歴史学の初歩と言ってもよいのですが、歴史上のある出来事を考えるにあたっては、その出来事だけを断片的に捕えて見つめていても真相に迫ることはできません。歴史はいろいろな出来事のつながりであり、それらの各出来事は相関性・関連性を有しているからです。つまり、歴史上のある出来事について考える場合は他の歴史上の出来事との関連性を見極めることに努めること欠かすことができません。つまり歴史上のある出来事について考え論じるにあたっては、歴史を点だけではなく線で捉えること、場合によっては面で捉えることが必要なのです、これは歴史学の基本です。ところが、マッカーサーの証言は太平洋戦争だけを見つめているだけであり、単に開戦前当時の日本の経済的要因のひとつ(失業問題)だけを考察の対象としているに過ぎず、それまでに日本が行ってきた様々な戦争との関連性において太平洋戦争を考察するという歴史的視野に欠けています。すなわち、彼の証言はいわば森(失業問題という特定の経済問題)だけを見て、森(明治以来の日本の安保戦略の全体像)見ていないと言う致命的欠陥を有していると言わざるを得ません。

もっと具体的に説明してみませう。明治維新により誕生した新たなる国家「大日本帝国」の安全保障戦略は一言でいえば「脱亜入欧」(それを支える手段は「富国強兵」)でありました。米兵等の列強の圧力にまけて開国はしたもののこのままでは西欧列強の植民地にされてしまうとの危機感がこの安保戦略を生み出したのでありませう(ついでながら申し上げますと、大日本帝国の安保戦略は、元はといえば、伊藤博文が欧州でドイツの学者に吹きこまれたものです)。この脱亜入欧という安保戦略、少々乱暴な言い方かもしれませんが、要するに、まずは日本近隣の諸国を順次軍事力などで圧倒したり、植民地化して、英米などに並ぶ世界の「列強」にのし上がる、次いでアジアの盟主になるためにアジアから英米を中心とした欧米列強の影響を排除することを内容です。もちろん、この安保戦略は日本を守るため、つまり「自衛」のための戦略です。ですから太平洋戦争までに日本が行ってきた戦争は、他国が何と言おうと、すべて日本帝国にとっては「自衛」のための戦争ということになります。

その手はじめは台湾征伐(台湾出兵)です。早くも、明治維新からわずか4年目の明治4年には日本はこの安保戦略に基づき外国(外地)に出兵しているのです。あきれるばかりのすばやさです。いちいち記しませんが、その後、太平洋開戦に到達するまでの間、日本はこの安保戦略に則り、さまざまな戦争を行ってきました。日本は明治維新から太平洋戦争開始までの73年間戦争続きであったといっても過言ではないほど、たくさんの戦争をやってきました。そして目的通り、日本は太平洋戦争に至ったときにはリッパに「列強」の列に加わっていました。そのあとにやってきた歴史上の出来事が「太平洋戦争」であったのです。ですから、太平洋戦争は日本にとっては明治維新いらいの日本の安保線戦略の総仕上げとも言うべき戦争だったのです。つまり列強となったいま、いよいよ英米を中心とした列強をアジアから排除して、日本がアジアの盟主となることを意図したのです。より具体的に申し上げれば、戦前、軍内部では、陸軍を中心とした「最終的にソ連と対決すべき」という考え方と、海軍を中心とした「南進して英米との対決」という考え方が拮抗していたのですが、最終的には「南進」を目指すことになり、この方針にしたがい太平洋戦争の開戦に至ったというのが、大日本帝国が米英に挑むことになったことのおおまかな歴史的過であることは歴史が証明するところです。

以上に述べた説明が決して的外れのものでないことは、昭和天皇の開戦の詔書をお読みになればご理解いただけるでありませう。昭和天皇は私がいま説明した日本の明治以来の安保戦略を「朕」の言葉に置き換えて述べています

以上に説明したことを考慮するならばマッカーサーの証言内容はマッカなウソとは申しませぬが、太平洋戦争に至るまでの、上記のような日本近現代史における歴史的過程をまったく無視しており、その意味において、先に述べたように彼の証言は「木だけを見て森を見ていない」歴史的視野にまったく欠けるものであると言わざるを得ません。

すなわち、マッカーサーは「米国に封じ込められると1000万に失業者が出るので」自衛のために戦争に打って出たなどと述べていたとされていますが、上記のような歴史的過程を考えるならば、失業者云々という程度の経済的要因が原因で日本があの無茶な戦争を始めたわけではありません。失業云々はまったく的外れであるとは申しませんが、少なくとも日本が米国に対して先端を開いたことの主な要因ではありません。せいぜいのところ付随的な経済的要因に過ぎません。ですから全く的外れとは言えないとしても、失業問題のことだけを理由に、あれは自衛戦争であったと断じるのはあまりにも単純すぎるご都合主義の論理に過ぎないのではないかと私は考えます。(しかしながら、日本は「自衛」を目的とした明治以来の安保戦略に則って太平洋戦争を開始したのですから、日本人にとっては「自衛のための戦争」であったということになるのでありませう)。また、開戦に至る、より直接的な経済的要因を挙げるならば、失業問題ではなく、むしろ常識的には石油問題ではないでしょうか。何しろ、それまで日本は最も重要な資源とも言うべき石油に関しては全面的に米国に依存していたからです

かようなしだいで、マッカーサーの証言なるものは「木だけを見て森を見ていない」、すなわち太平洋戦争に至るまでの歴史的過程・背景を無視したピント外れのものに過ぎない、あるいは思いつきの範囲を超えるものではないのではないかというのが、彼の証言に関する私の考えです。つまり議会でのマッカ-サーの証言はたいして意味のあるものではなく、まして歴史的に注目に値するものではありません。つまりあの太平洋戦争の英雄マッカーサーさんの証言だからと気になさる必要などまったくありませんと、もうしあげておきたいと思います

それに失業者1000万人説もどの程度根拠があるなのか、荒っぽい数字であるだけに、怪しいのではないかと思います。つまり、失業問題に関するマッカーサーの証言の信憑性は不明です。マッカーサーはどこからこのような数字を引っ張り出してきたのでしょう?また、太平洋戦争に踏み切るにあたって、軍や政府関係者、経済界の関係者などが上記のような失業問題を大きな障害として重要視していたと言う話は、私は寡聞にして存じ上げません

(もっとも、そうは言っても私は戦争における経済的問題の重要性を否定しているわけではありません。経済問題を重要視していた関係者はいました。たとえば、戦時中、経済的要因を重視して、投獄されていながら経済雑誌などを差し入れてもらい、日本の各種経済指標について緻密な分析を行うことにより、日本が敗戦に至る時期をほぼ言い当てていた専門家がいました。つまり太平洋戦争の経済的要因を注視していた関係者は日米にいたものと考えられます。また軍人でありながら「(経済的観点から)日本という国には持久戦をおこなう資格は無い」と断じてしていた人物もいました)。

靖国に参拝されるような方々の中にはマッカーサーの証言のことを知って、「ほら見て見ろ、われわれだけではない、敵国の将軍までもが、あれは自衛あのための戦争だったと言っているじゃない!だからあの戦争は正しかったのだ」と鬼の首をとったかのように手を打って喜ばれるかもしれませんが、それは「いいとこどり」の近視眼的なご都合主義に過ぎないでないでありませう。

と、いろいろ勝手なことをダラダラ記しましたが、「それにしてもマッカーサーはどうしてこのような証言を行ったのだろう」という疑問は残ります。この点に関して、それこそ推測に推測を重ねるしかないのですが、ごく大雑把に申しますと、アッカーサーが証言を行った当時の(私は彼が証言を行ったのは、朝鮮戦争で司令官を更迭され、退官したあとのこと、つまり民間人になってからのことではないかと思いますが、もちろん確かではありませぬ)、米国の政治情勢、日本の政治情勢、共産主義国家が勢いを強めていた冷戦下の国際情勢が、彼の証言内容に何らかの影響を及ぼしていたのではないか、というのが私の考えです。

以上、愚考だらけの駄弁に次ぐ駄弁、おゆるしくださいませ

蛇足1)明治以来の日本の安保戦略については、日本の近現代史が専門の東大教授・加藤陽子氏による、高校生を前に授業を行ったときの記録をまとめた「それでも日本人は戦争を選んだ」という十年ほど前の著作において分りやすく説明されています。よろしければご一読を。
蛇足2)また「歴史」になるものをどう捉えるのかという問題については、ロシア革命の研究で世界的に有名な英国の歴史家E.H.カーによる「歴史とは何か」という名著がございます(岩波新書)。お読みになっても損はいたしませぬ・・・


加藤陽子
E.H.カー 歴史とは何か

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