UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

私は百歳まで生きていたい。百歳までがんばれば何とか・・・

2018-01-05 01:53:25 | 日記

みなさんは長生きしたいですか?したいですね。でも、なぜ長生きしたいのですか?というのが今日の日記のテーマです。

ところで、みなさんのなかには「袴田事件」のことをご存知の方も少なくないかと思います。

1966年6月に静岡県清水市(現静岡市)で起きた、みそ製造会社の専務さんとその家族が殺害された事件です。この事件で犯人であるとして逮捕され、死刑判決を下された元プロボクサーの袴田巌(はかまだ・いわお)さんは、静岡地裁に対して行っていた第二次再審請求の結果、2014年3月27日に再審開始の決定を受けました。次いで静岡地裁は即日巌氏を釈放するよう命じました。検察側は釈放に異議を申立てましたが認められませんでした。こうして、逮捕されていらい48年の長きにわたり獄中にあったのですが、巌維持はようやく自由の身になりました。

しかし、現在、検察側はこの決定について東京高裁に抗告しています。釈放から3年8カ月もが過ぎていますが、いまだに検察側の抗告に対する結論が下されていません。このため巌氏の無罪が確定するまでにはまだまだ長い月日を要するのではないかと懸念されます。

巌さんは釈放された後、静岡で実姉の秀子さんと暮らしています。半世紀近くのあいだ三畳足らずの狭い空間に閉じ込められ、ひとり死の恐怖にさらされ続けていたため、巌さんは極めて深い精神的外傷を負っています。釈放後に姉の秀子さんは、正常な精神状態を取り戻すにはほど遠い状態であることを、釈放直後の巌さんの様子を語っています。そのときの秀子さんの話の内容は以下のサイトに掲載されていますので、よろしければご覧になってください

http://president.jp/articles/-/13208

秀子さんは釈放から3年半以上を経た現在の様子を最近静岡で行われた集会で話されており、その内容が死刑廃止を求める市民団体のニューズレターに掲載されていました。今日は相変わらずの手抜き、このニューズレターの丸写しに過ぎないのですが、秀子さんの話を紹介いたします。現在、巌さんは82歳、秀子さんは85歳です。

《(帰って来てから)3年半ですが、本人はだいぶ明るくなったと思っております。だけど午前中はやっぱり自分の世界、巌の世界に浸っております。午後になると私にお金をちょうだいと言って、午後から出かける時もありますし、11時ごろから出かけることもあります・・・

 今は支援者の方が付き添ってくれております。7月13日に階段から転げ落ち、救急車で運ばれたりということもあったものですから、それ以後、みなさんが心配して午前中と午後に分けて付き添ってくれております・・・

 それから大体3,4時間は歩きます。自動販売機でコーヒー飲んだりジュース飲んだりして、130円とか150円を入れてボタンを押すと出てくるという、あれが楽しいんじゃないでしょうか。これは多摩病院に入院していたときに500円をお小遣いとしてくれて、こういうふうに使うんだよと言って教えてくださったそうです。一回教えるとクリアしまして、かならずそれは実行します。そういう点はいいんですが、ともかく午前中は自分の世界で一人楽しんでおります。今日も出かけましたので、私たちはお昼ご飯を食べてこちらに来ましたが。これが遅くならないと帰らない。昨日、私の留守に帰ってきて、私がいなかったので、奥の部屋を開け回って覗いておりました。それで私が部屋に入ったら、「ああ、いたのか」っていう状況で、私が姉であることは認めておりますが、まだ冗談を言って話すというところまではいきません。だいたい無口な人間ですので、あまり話をしない。ですから必要以外のことは話しかけないようにしています。

 自分で自分のことは何でもします。お布団の上げ下ろしとか、お風呂も自分で入れます。昨日はその友だちが先に入ったと思ったのか、お風呂の栓を抜いちゃっておりましたが、やっぱりそういうところがちょっとおかしいですね。私は半分ぐらい戻ればいいと思っておりますが、半分どころじゃなく、まあ1割2割ぐらいしか戻っていない。だから、これ治る薬ないんですよ。ですから元の姿になるのはいつのことやらということで、私はそのまんましばらく辛抱しております。

 長い裁判でございます。来年(2018年)の3月には再審開始の決定が下されると思うんです。私は良いほうへ傾いていると思っております。でも裁判所の判決が出るまで分りません。もうダメならダメでまた頑張るしかないと思っております。私は100歳まで生きていたい。100歳まで頑張れば何とかなるかなと思っております。今85歳でございます。長い長い裁判で、皆さまにおつき合いいただきました。これからもよろしくお願い申し上げます。》

(以上はFORUM90、VOL 157から引用しました)

巌さんがまだ釈放されるに至っていなかった2012年に、GGIは知人らと協力して、湖都の市内で袴田秀子さんの講演会を開催したことがあります。講演後に食事を共にしたときに秀子さんとあれこれ話をいたしまた

「秀子さんはふだんはどのように暮らされているのですか」

「普段は法律事務歩の事務の手伝いなどをしています」

「おひまときは、どのように過ごされているのですか」

「ひまなときは、最近はパソコンでマージャンのゲームなんかしたりするのですが、私、結構強いんですよ!」

まことに明るい気さくな方でありました。

東京高裁で再審決定にたいする検察側の異議申立てが棄却されても、検察側には最高裁に特別抗告するという手段がまだ残されています、そうなると最高裁で少なくとも数年・・・このままでは裁判はまだ延々と続くことになるのではないかと懸念されます・。このことが、秀子さんの「100簑まで生きていたい」という言葉になったのでありませう。この言葉、ほんとうに重い、重すぎるくらい重い・・・

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

今日の写真は本文とは関係ありません。わがガーデンのサザンカを撮ったものです。よろしればクリックしてご覧くださいませ

グッドナイト・グッドラック!

 


お月さま、雪でいいのですか?・・・

2018-01-04 01:19:45 | 日記

昨日は寒い一日でした、天気が目まぐるしく変わる一日でした

日が照っていたかとおもえば、あっという間に空が暗くなり、小雨が降りだしたとおもったらみぞれになり、あれっっと思ったら小雪が散らつきはじめ、雪になってしまったと思っていたらまたお日様が顔を出して・・・

でも、新年も三日目になりましたので、寒いなか、人生の義理をはたすべく某知人宅を表敬訪問いたしました

途中、電車に乗ろうと券売機にお金をいれて出てきた切符を手にしようとしましたら、肩をポンポンと軽くたたかれました。誰だろうと思って振り返りましたら、GGIより背の高い、マスクをしたベッピンさんが千円札一枚、ヒラヒラさせていました。目がニッコリ笑っておりました

この千円札、GGIの所有物でありましたが、お金をポケットから取り出そうとしたとき、ヒラリと逃亡してしまったのです

おお、これはラッキー、「あっ、あっ、ありがとう!」

まことに感謝でありました、ベッピンさんが拾ってくれるなんて、新年からまことに縁起良きことであるよ、とルンルン気分で知人宅へ。そうだ、この千円札、無くしていたかもしれないのだから、無くしたつもりでおみやげでも買っていこうと、知人宅の近くのコンビニに入り千円分のスイーツを買いました。友人宅では、あたたかいコタツに入って、たらふくお寿司をたべて、ビールを飲んで、ついでにスイーツもいただき、まことに快適でありました。

スイーツを口にしながら、「ちかごろ、何にでも抹茶を混ぜるのが流行っているなあ、パンやケーキ、おまんじゅうにスイーツ、何にでもめったやたらに混ぜているけれど、抹茶を入れとけばいいというのは邪道や、GGIは抹茶とは相性がよくありませぬ、だから今日は抹茶が入っていないスイーツを選んで持ってきた」などと勝手なことを言っているうちに、時計の針は早や午後8時を回っております・・・

帰り道も寒いだろうとおもい、ポカポカ炬燵に別れを告げ、急いで知人宅をあとにしました。冷たい風は吹いていましたが雨も雪も降っておりませぬ。知人宅を出てしばらく歩いておりましたら知人が自転車で追いかけてきて、「おみやげ、渡すの忘れてた」と紙包を持たせてくました。またしても感謝であります

しかしながら、帰途、最寄の駅で電車を降りましたら、雪が降っているではありませんか、横殴りの雪です、でも空を見上げましたら、なんとまん丸のお月さまが浮かんでいるではありませんか!これはどうなっているのだ?

びっくりしてGGIはお月さまに声をかけました

「お月さま、雪が・・・・」

「いいの、いいの」

「でも、お月さま、雨ではなくて雪が・・・」

「いいの、いいの」

「ほんとうにいいのですか?お月さま」

「いいのよ、しつこいわねえ、いいの、ほんとうに」

「いいのですか、雨ではなく雪ですよ、むかしからお月さまには雪ではなく雨と決まっているのですよ、お月さま、あなたはむかし、雨ならいい、濡れていこうなどとおっしゃってるのですが、雪となると問題ではありませんか?」

「何度言ったらわかるの、いいのよ、いいの。あなたはかん違いしているのよ、言う相手を間違ってるわよ、それを言うなら月形半平太さん、つまり月様に言いなさい」

「えっ、何ですか?お月様と月様とは別人なんですか?」

「あたりまえじゃない、もう《月形半平太》の名セリフにひっかけてヘタクソなジョークが言うの、止めなさい!私、ヘタなジョークを得意気に振り回すしつこい男は嫌いなの」

「あっ、そうでしたね、お月さまはお侍ではなく女性だったんですね、これは失礼いたしました、どうかお許しを・・・・」

お月さまに嫌われてしまいましたので、気分なおしに近くのコンビニで熱いコーヒーを飲んでから家路を急ぎました

庵にたどり着き、あ~今日は寒かったなあと一息ついてから、知人がくれたおみやげ、中身は何だろうと思い紙包を開けました。そうしましたら、出てきのは・・・・

「京名菓 抹茶ケーキ 宇治抹茶使用」!

かようなしだいで終わり良ければ・・・まことに良き新年の一日でありました

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

今日の写真は「お月さま、雪が」を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ

グッドナイト・グッドラック!


一般参賀に行ったことはないけれど・・・

2018-01-03 02:03:12 | 日記

昨日1月2日は、「一般」国民が皇居で一般ではないとされている天皇一家の姿を目撃することができる日でした。

いわゆる「一般参賀」が許される日です。お昼のニュースでたくさんの臣民、ではなく一般市民が押しかけている様子が報じられていました。現天皇の退位が近づいていることもあって平成の世で最高の人出であったとのことです。

GGIも一度は行ってみたいものだと思っているのですが行ったことはありませぬ。靖国神社にも一度は参りたいと思っているものの、やはり行ったことはありませぬ。でも、かなり以前のことですが、首都圏で暮らす某親戚一同といっしょにお上りさん気分で「はとバス」に乗って東京めぐり、皇居前広場で皇居二重橋を背景に記念写真を撮ってもらったことがあります、ささやかなる念願がかなって、GGI、いたく満足でありました。田舎シティ・ボーイのGGIは帝都を感じさせる皇居近辺の光景に感じ入ったことを記憶しております

GGIは現天皇とは何の関係もないのですが、これまたかなりかなり以前、現天皇が(まだ皇太子のころであったころでせうか?)植樹祭かなにかでわが湖国を訪問、わがガーデンの前を通っている湖岸の大通りを車で通り過ぎたときに、その姿を目にしたことがあります。

警官が事前に、GGIが不在の間に、わがマザーをだまくらかして我がガーデンを捜索するというまことに無礼なことがありました。天皇訪問の時間帯には湖岸の大通りは全面通行禁止でありました

天皇とその奥さんがわががガーデンの前の大通り、ガーデン寄りの京の都へ上る車線ではなく反対側の江戸方面に下る湖岸よりの車線を車で通り過ぎたとき、奥さんは窓から歩道にいならぶ人たちに手を振っていたのですが、天皇は隣の席でガーデン寄りの車線の方を眺めていましたので、ガーデン前の歩道に突っ立っていたGGIと目があってしまいました。車が通る車線の側の歩道にはたくさん見物人がいたのですが、ガーデンよりの歩道には人影まばらでしたので、このような想定外の遭遇とあいなったのでございます

天皇はGGIと目があってしまいましたので仕方なしにGGIの方に手をお振りになりました。それでGGIも仕方がないので礼儀正しく手を振りました。ただし、このときGGIはステテコ姿であり、たいへん失礼をばいたしました。戦前なら、そんな姿で手を振ったりしたら不敬罪ものだったかもしれませぬ。

でもですねえ、天皇とGGIの距離は10メートルあるかないか、「ジャッカル」のような狙撃の名手であれば十分可能な範囲内でありました。警備陣のみなさま、GGIのガーデンまでをも令状なしで捜索したというのにこのありま、もっとご注意あそばせ・・・

などと、またまた脱線いたしましたが、今日の話題は一般参賀にまつわるGGIの忘れがたき思ひ出でございます

思い出の元となった事件は1969年(昭和44年)1月2日に起きました。GGIが御年28歳のときのことです。一般参賀の場で、皇軍の元兵士が天皇(昭和天皇)めがけてパチンコ玉を放って狙撃しましたが、失敗に終わったという事件です

と書けば、ご存知の方も少なからずおられることでありませう。俗にいう「天皇パチンコ襲撃事件」です。犯人は奥崎謙三という名の元陸軍兵士、上等兵、このとき彼はパチンコ玉を放ってから「ヤマザキ、天皇をピストルで撃て」と叫びました。後に彼は「ヤマザキ、天皇を撃て」と題した著作を出版していますが、「ヤマザキ」という人物が参賀の場にいたわけではありません。かつて戦場で生死を共にした同僚兵士の名を叫んだのだとされています。

 奥崎謙三上等兵は戦時中、まさに生き地獄そのものであった、ほとんどの将兵が生きて帰ることができなかったニューギニア戦線の数少ない生き残りの兵士です。兵士の大半は、もう米軍と戦うための弾薬も尽き食糧の補給も絶望的であり見捨てられたも同然であり、視線をさまよったあげく、戦死ではなく、病死か餓死への道をたどるしかありませんでした。

ニューギニアのジャングルの中で、食べ物を手に入れることができない兵士たちは何とか生きのびようと、ときには人肉までも口にせざるを得ませんでした・・・・

戦後、彼は独りで執拗ともいえる断固とした態度で、南方の地に兵士たちを見殺しにしたとして、天皇の責任を追及し、また上官が敗戦を知っていたにもかかわらず同僚の兵士数人をを勝手に殺害したとして、その責任を追及するために元上官を追いかけ回していました。パチンコ襲撃事件はそのよう彼の高度のなかで起きた事件です。

このパチンコ襲撃事件が起きるまでは、天皇一家が立ち並ぶ宮殿のベランダには何も施されていなかったのですが、事件後、ベランダはガラス張りにされ、今に至っています。おそらく堅牢な防弾ガラスでありませう。部厚いガラスにむこうから参賀にこたえる様子は金魚鉢の中の天皇一家という感じがしないでもありませぬ、かつては「菊のカーテン」などと言われたことがありますが、昨今は「ガラスの壁」ということでありませうか・・・

この事件、パチンコ玉は天皇がいた場所までには達しておらず、そのためいわゆる「暴行未遂」事件に終わりました。このため、懲役1年半の刑に処せられるに留まりました。裁判に際して彼は天皇をはじめ関係者の証人喚問を行うよう求めたとのことです。被告としてはこのような要求を行うことは当然のことなのですが、証人喚問は実現しませんでした。

また後に、元上官の殺害を企てて上官の息子を改造拳銃で負傷させるという事件を起こし、殺人未遂罪で懲役12年の刑を科せられています。この上官を追い求める姿などを描いた、「ゆきゆきて、神軍」と題された異色のドキュメンタリー映画」(1987年、原一男監督)が製作されています。この作品は日本映画監督協会新人賞ベルリン国際映画祭カリガリ映画賞など数々の賞を受賞しています

などなど、まとまらなくなりましたが、これがGGIの一般参賀にまつわる思ひ出でございます。

これらの事件や映画に関心のある方は以下のサイトなどをご覧になってくださいませ
http://www.maroon.dti.ne.jp/knight999/shouwa.htm

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E5%B4%8E%E8%AC%99%E4%B8%89

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

今日の写真は昨日の一般参賀を報じるテレビの画面を撮ったものです。クリックしてご覧になるにはおよびませぬ。ニュースでは、インタビューされた幼稚園児か小1ぐらいと思われる男の子が「天皇陛下のお言葉で一年を大切にして取り組んでいきたいと思います」と答えていました!この男の子、忠良なる臣民になることでありませう

グッドナイト・グッドラック!


元旦テレビ番組、一望の荒野のなかで唯一注目されたのはあの人物・・・

2018-01-02 01:13:42 | 日記

わかりきったことでありますが、昨日は2018年、すこしも違和感はないのですが、テレビのニュースで「平成30年云々」とアナウンサーが言っているのを耳にして、えっそうなんだあ、もう三十年経ったの、平成の三十年間と昭和元年からの三十年間をくらべると、なんとなく、平成はあっという間だったなあという気がいたしました、などと書きますとまたしても脱線しとうでありますので、

それはさておき、元旦で困りますのは、毎年のことですが、元旦の新聞、ページ数だけは大サービスではあるものの、読むとろこがほとんどないことです。GGIの孤独なるお食事に欠かすことができないおかずは新聞記事ですので、読むところがない新聞ではおかずがないのも同然、何とも落ち着きませぬ・・・

朝日新聞さんよ、調査報道に力を入れているというのならば、このようなときにこそショモない中途半端なトピックスや特集記事、人生論や生き方論、毒にも薬にもならない中途半端な文化論みたいなものなんかどんどん削って、日頃載せることが容易ではない長文の調査報道記事を掲載されてはいかがでせうか。えっ、他紙も似たようなものだから、これでイイノダとおっしゃるのですか!

新聞だけではありませぬ。元旦に限ったことではありませんが、テレビも見たくなるような番組はほとんどありませぬ。一望の荒野であります

いつであったか元テレビ関係者に申したことがあります

「最近のテレビ、ますますひどくなる一方やなあ、NHKもだんだん民放の水準にちかづいてきた、どうしようもないなあ」

そうしましたら、この人物、テレビ放映が始まって以来日本のテレビ界はずっと一望の荒野であることを認めつつ、こう答えました。

「そやけどなあ,ええところというか、テレビが世間の役に立っている点が皆無というわけではない。ときには役立つことが一つや二つはある。その一つは、ある人物の顔がおもいっきりクローズアップされて画面いっぱいに大きく映し出された場合や、とくに政治家かなんかの顔がクローズアップされると、この人物、正直な人間であるかどうか、すぐに誰にでも直感的にわかるということ、これは他のメディアでは不可能」

この説明は結構当を得ているように思います。いつであったか、米国の作家、カカート・ヴォネガットさんが次のようなことを書いていたからです

「何人かの人物といっしょに、初めて講演会で話すことになったときのことです。多くの人々をまえで講演をするのは初めてだったので、いったい何をどのように話したものかと悩んでいたら、隣の席に座っていた、これまで何度も講演の経験がある人物がアドバイスしてくれたのです。《ヴォネガットさん、何も心配はいりません。聴衆は誰もあなたの話の内容に耳を傾けてなんかいませんから。聴衆はただあなたが正直な人間であるかどうかを知りたがっているのです》。このアドバイスのおかげで気が楽にり、私は初めての講演でしたが緊張せずに話すことができました」

それでテレビの二つ目にいいところは何かとこの元テレビマンに聞きましたら

「あのなあ、テレビのいいところであるかどうかは別として、こんなことがあったんや、あるとき、ある独り暮らしのお爺さんが孤独死した、そのとき遺書みたいなものが残されていた、そこには《テレビさん、ありがとう》と書いてあったんや・・・・」

「そうかあ・・・・・」

ということで、すっかり話が脱線してしまいましたが、元旦のテレビで唯一注目されたと申しますか、かなり意外であったのは、いまお騒がせのあのキム君が元旦に演説したことを伝えるお昼のNHKのニュースでありました。

これまで彼の演説振りは、肉声ではほとんど放映されていないのではないでせうか、とにかくGGIは彼の演説振りを初めて目にしました、肉声を耳にするのははじめてでありました。その声の調子と言い、落ち着いた演説振りといい、かなり意外なものでありました

背広にネクタイ姿、ときおり原稿に目をおとしてはいましたが、低音の落ちついた口調で、落ち着き払って話していました。金切り声があげたり大げさな身振りをすることはまったくありませぬ。どこかの国の、ややもするとヒステリックな口調になりがちな、身振り手振りをしたがる人物の演説よりは落ち着きのあるものでありました。

このようなことを申しますと当世の日本では非国民などといわれそうでありますが、ウソだと思われる方は以下のサイトなどでNHKのニュースをご覧になり、ご自分の目でお確かめになってくださいませ。演説場面の画像を省略せずにをちゃんと放映したNHK、お手柄ものであります

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180101/k10011276671000.html

演説の内容も全体的に思ったよりもおとなしいものでした。今後もミサイル計画を推進、もう米国は北を攻めることはできない、などとあいかわらずのことも言っていましたが、来月のピョンチャンオリンピックについて、「大会が成功裏に開催されることを心から望む。われわれは代表団を派遣する」などと述べ、また南北関係について「北朝鮮で建国70年、韓国でオリンピック開催を迎える《意義深い年》であり、南北関係を改善すべきだ」と強調したり、米韓合同軍事演習の中止を求めたりと、なかなか外交的にバランスのとれた、よく計算された巧みなものであったというのがGGIの個人的感想であります

キム君の演説ぶりはあの北の国営テレビ、女性アナウンサーの猛々しい絶叫振りとは大きく異なり、全体として意外におとなしいものであったのはGGIには驚きでありました・・・

(なおこのキム君の元旦の演説について、韓国大統領府は、「南北関係改善の必要性を提起して、ピョンチャンオリンピックへの代表団派遣の用意があると明らかにし、そのための南北の当局者の接触を提案したことを歓迎する」と評価している、とNHKニュースは伝えています)

今日の写真は演説するキム君のテレビ映像を撮ったものです。よろしければクリックしてご覧くださいませ

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!


小学校五年生君による片腹痛~い指摘・・・

2018-01-01 00:25:04 | 日記

「90歳、なにがめでたい!」などとゼイタクすぎる不満を広言したりする御仁もおられますが、年をとっても元気でいられることは感謝すべきことでありますので、GGIはすなおに、あけましておめでとうございます、とごあいさつさせていただきます

と、もっともらしいことを申し上げてしまいました。でも、まことに残念でありますが今日の話題はそれほどめでたい話ではございませぬ。きわめてリアルな話でございます

先日の新聞に、わが湖国の男性の平均寿命は日本一と報じられていました。約82歳だそうであります。某日、某知人とこのニュースのことを話していましたときに

「GGIはただいま76歳、平均寿命まで生きられるとしたらあと6年や、オレの寿命はあと6年・・・」

「GGIよ、オマエいつまでたっても甘いなあ、何にもわかってないなあ、82歳は平均寿命に過ぎん、ただの目安や、そこまで元気で生きていられるとは限らん、それになあ、平均寿命とは別に平均健康寿命というものがあるのをGGIは知らんか、あまり人の世話にならずに元気に生きていられる寿命のことや」

「ふ~ん、なるほど、それで平均健康寿命って現在どのくらい?」

「直近の2013年のデータでは男性は71~72歳少々らしい」

(上記の数字は以下のサイトからの引用です)

http://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=56304&pno=2?site=nli

「えっ、そうなの!それならGGIは平均健康寿命をもうとっくに超えてしまってるやないか、これはえらいコッチャ、どないしょ・・・」

「何をあわてているのや、この平均健康寿命の数字は、GGI、おまえさん、ノーテンキに毎日どーでもエエことばかり日記にかいているけれど、ええかげんにしなさい、もうそろそろお迎えが来たときのことを考えなさいということを意味してるのや、わかったか!」

「御意」

このような話を交わしてから知人とわかれ、街をぶらついておりましたら、交通安全運動、小学生が作った標語が記されている立て看板に遭遇しました。

今日の写真はこの立て看板を撮ったものです。どうかクリックしてご覧になってくださいませ。

GGIはこう見えましても、日本で唯一の交通安全運動標語立て看板研究家でありますので、以下にGGIによるこの立て看板に関する考察を記します

標語に曰く

《「まだいける」 そんな思いが 命取り》

参りましたね、図星であります!ヒリヒリと身に滲みる痛~い指摘であります・・・なかなかの作品であります、これまでに目にしたことがる立て看板のなかで一番傑作かつ傑作だったのは「なれた道、ふざけて帰ると 車がおそう」というものでしたが、これに次ぐ優秀作品であります

平均健康寿命を超えてしもうた、でもまだ生けていられる、まだいける、まだ平均寿命までには間がある、だからまだいける、まだいける、そんなムシのいい思いをしているうちに、気がついたら、あれぇ~・・・

この標語の作者、まだ小学校五年生であります。それなのに、人生の深き真実を見事に突いております。まことに的確なるご指摘であります。つつしんで敬意と感謝の意を表させていただきます

などと書いておりますあいだも、近所のお寺から除夜の鐘の音が聞こえてまいります。みなさま、良き年になりますよう、心からお祈り申しあげます。

なもあみだぶ・なもあみだぶ・なもあみだぶ・・・

グッドナイト・グッドラック!